在位はわずか9〜10年ほどで、目立った実績もほとんど残していない少年王。それなのに、ツタンカーメンはなぜ古代エジプトで最も有名なファラオの1人になったのでしょうか。
答えは、1922年に王家の谷で見つかった墓にあります。ピラミッドではなく谷の地下に造られた墓から、黄金のマスクをはじめ5000点以上の副葬品が出てきたのです。
そんなツタンカーメンにまつわる雑学を12個ご紹介します。研究にもとづく項目には出典を添えています。
黄金の秘宝の意外な中身
墓から出た宝は、豪華さだけでなく素材や数にも驚きがあります。まずは黄金の秘宝の中身から見ていきましょう。
1. 黄金の棺は約110kg

ツタンカーメンのミイラは、人の形をした3重の棺に納められていました。そのいちばん内側の棺は金でできていて、重さは約110kgもあります。
有名な黄金のマスクは約10kgなので、棺のほうがおよそ10倍も重いのです。マスクはこの棺の中でミイラにかぶせられ、黒い樹脂で棺ごと固まっていました。
※棺の重さは110.4kgとする資料もあります
出典:エジプト観光・考古省/エジプト博物館(カイロ)
2. マスクの青はガラスだった

黄金のマスクの頭巾には、青いしま模様が入っています。宝石のラピスラズリだと思われがちですが、実は色をつけたガラスです。
発見者のハワード・カーターも、自身の記録に「ラピスラズリ色のガラス」と書き残しました。一方で、眉や目元のふちどりには本物のラピスラズリが使われています。
※ラピスラズリは、深い青色をした宝石の一種です
出典:オックスフォード大学グリフィス研究所
3. 宇宙から来た鉄の短剣

ミイラの包帯の中、右の太ももあたりから鉄の短剣が見つかっています。2016年の分析で、ニッケルを約11%含む隕石の鉄でできていると分かりました。
エジプトで鉄が広く使われるのは、紀元前8世紀ごろからです。ミタンニ王国が祖父の王に鉄の短剣を贈った記録があり、その贈り物だった可能性も指摘されています。
※ニッケルは、銀白色をした金属の一種です
出典:Eos(2016年)/千葉工業大学(2022年)
4. 下着が140枚以上あった

墓の衣装箱からは、たたまれた腰布が140枚以上見つかりました。ふんどしのような布で、メトロポリタン美術館は「おそらく王の下着」と紹介しています。
腰布や手袋には、サイズ違いのものもありました。王が成長に合わせて、実際に身につけていた可能性も考えられます。
出典:メトロポリタン美術館
5. 実は2回盗掘されていた

ツタンカーメンの墓は、盗掘されなかった王墓と紹介されがちです。ところが実際には、埋葬から間もないころに少なくとも2回荒らされていました。
そのたびに役人が封をし直し、通路はがれきで埋められます。やがて入り口は後の時代の工事で出た土砂や作業員の小屋の下に隠れ、長く見つからなかったとされます。
出典:Theban Mapping Project
記録から消されかけた少年王
ここからは、ツタンカーメン本人の生涯に目を向けます。名前や家族、そして死因にも意外な話が残っています。
6. 最初の名はツタンカーテン

ツタンカーメンが即位したときの名前は、ツタンカーテンでした。父の代に信じられた唯一神アテンにちなみ、「アテン神の生ける似姿」という意味です。
のちに「アメン神の生ける似姿」を表すツタンカーメンに改め、古い神々の信仰に戻したことを示しました。即位は9歳ごろと幼く、側近の意向が強かったとみられます。
7. 公式の王名表から消された

後の王セティ1世が神殿に刻ませた王名表には、ツタンカーメンの名前がありません。アメンホテプ3世の次が、いきなりホルエムハブになっているのです。
アクエンアテンからアイまで、アマルナ時代に関わる4人の王がまとめて外されたと考えられています。実は女王ハトシェプストも、この表には載っていません。
※「王名表」は、歴代の王の名前を順に並べた記録のことです
※「アマルナ時代」は、アテン神だけを信じる改革が行われた時代を指します
出典:World History Encyclopedia
8. 両親はきょうだいだった

2010年に発表された王族のミイラのDNA解析で、ツタンカーメンの両親はきょうだいだったという結果が出ました。父はアクエンアテンとみられるミイラです。
母は「若い婦人」と呼ばれるミイラで、有名な王妃ネフェルティティではありませんでした。ただし、この解析の方法には批判もあり、今も議論が続いています。
出典:Scientific American(2010年)/AFPBB(2010年)
9. 死因は骨折とマラリアか

2005年のCT調査では頭を殴られた跡が見つからず、暗殺説の根拠は弱まりました。2010年の研究では、ミイラからマラリア原虫のDNAが見つかっています。
左の太ももの骨折で弱ったところにマラリアが重なり、命を落とした可能性が高いそうです。墓から杖が130本ほど出ており、足が不自由だった根拠の1つとみる説もあります。
※マラリア原虫は、蚊がうつす病気マラリアの原因となる小さな生き物です
※死因は確定しておらず、ほかにも諸説あります
出典:NPR(2005年)/Scientific American(2010年)/ARCE
呪いの噂と発見後の受難
墓の発見は世界中で大きな話題になりました。けれども、その後のツタンカーメンには呪いの噂や思わぬ災難がついて回ります。
10. 呪いを浴びた25人のその後

墓を開けた人には「ファラオの呪い」がかかると騒がれました。2002年の研究は、封印を破る場面などに立ち会った25人の寿命を調べました。
死亡時の平均年齢は約70歳で、立ち会わなかった人とのはっきりした差は見られませんでした。いちばん呪われそうな発見者カーターも、発見から16年あまりのちに64歳で病死しています。
出典:BMJ(2002年)/ブリタニカ百科事典
11. 調査で首を切り離された

1925年に始まったミイラの調査では、埋葬のときに注がれた黒い樹脂が大きな壁になりました。ミイラが棺やマスクにくっつき、日光で温めてもはがれなかったのです。
そこで調査チームは熱したナイフを使い、首を切り離しました。腕や脚も関節のところで外され、調べたあとで組み直されています。
出典:Popular Science(2025年)
12. マスクのひげを接着剤で

2014年、カイロのエジプト博物館で黄金のマスクのあごひげが外れました。職員がすぐ固まるエポキシ系の接着剤で付け直すと、ひげは少し曲がり、跡も残ってしまいます。
翌年に発覚し、ドイツとエジプトのチームが接着剤を除いて、古代にも使われた蜜ろうで付け直しました。元館長らは懲戒の裁判にかけられることになります。
※エポキシ系の接着剤は、強く固まる接着剤の一種です
※「蜜ろう」はミツバチが巣を作るときに出すろうです
※「懲戒(ちょうかい)」は、仕事上の不正や失敗に対して処分をすることです
出典:National Geographic(2016年)
まとめ
ツタンカーメンは在位が短く、目立った実績も少ない王でした。それでも、約110kgの金の棺や隕石の鉄でできた短剣など、墓から出た品々は今も多くの人を驚かせています。
その一方で公式の王名表から外されたり、調査で首を切り離されたりと、受難の多い王でもありました。呪いの噂も、立ち会った人たちのその後を見ると印象が変わってきます。
記録から消されかけた王が、墓の発見で世界に知られる存在になったのは不思議なめぐり合わせです。黄金のマスクを写真で見るときは、頭巾の青いしまにも注目してみてください。
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更新日:2026年10月21日(水) 12:08

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