スフィンクスの雑学12選!鼻を壊したのはナポレオンじゃない

ギザの大スフィンクスの顔には、なぜ鼻がないのでしょうか。ナポレオン軍が大砲で壊したという話が有名ですが、実はナポレオンが生まれるより前から鼻は失われていました。

約4500年前に岩山から彫り出されたこの巨大像は、長く砂に埋もれたり修復でかえって傷んだりと、波乱に満ちた歴史をたどってきました。

そんなスフィンクスにまつわる雑学を12個ご紹介します。研究にもとづく項目には出典を添えています。

鼻と砂にまつわる受難の歴史

まずは、スフィンクスが長い歴史のなかで受けてきた災難から見ていきましょう。

1. なぜ鼻がない?犯人の正体

なぜ鼻がない?犯人の正体のイラスト

スフィンクスの鼻は、ナポレオン軍が大砲で撃ち落としたという話が有名です。しかし遠征より前の1737年に描かれたスケッチで、すでに鼻はありませんでした。

歴史家マクリーズィーは、1378年にイスラム教の修行者スーフィーが顔を壊したと書き残しています。豊作を願って像を拝む農民の姿に、怒ったためだそうです。

顔には今も、ノミなどでこじ取った跡が残りますが、10世紀には鼻が傷んでいたという記録もあり、犯人については諸説ありまだ確定していません。

※スーフィー:修行を通して神に近づこうとするイスラム教の人々のことです。

2. 長く砂に埋もれていた体

長く砂に埋もれていた体のイラスト

スフィンクスは長い歴史の大半を、肩まで砂に埋もれて過ごしてきました。1798年にナポレオンの遠征隊が描いた絵でも、地上に見えているのは頭と背中だけです。

体のまわりの砂がすべて取り除かれたのは、1925年から始まった発掘でした。フランス人技師のバレーズが、約11年かけて全身を掘り出しています。

3. 夢のお告げで王になった?

夢のお告げで王になったのイラスト

スフィンクスの前足の間には、紀元前1401年ごろに建てられた石碑があります。刻まれているのは、のちの王トトメス4世が王子だったころに見た夢の話です。

昼寝をしていた王子の夢にスフィンクスが現れ、砂を取り除けば王にしようと告げました。ただ、自分が王になる正しさを示すための宣伝だったと見る研究者もいます。

※この石碑は「夢の碑文」と呼ばれます。碑文は、石に刻まれた文章のことです。

4. あごひげはロンドンにある

あごひげはロンドンにあるのイラスト

スフィンクスのあごひげの破片の一部は、イギリスの大英博物館に展示されています。19世紀に前足の間から見つかったもので、高さは78.7cmもあります。

博物館の解説によると、このひげは像が作られた当初からあったものではありません。1000年以上のちのトトメス4世の時代に、付け足されたとみられています。

※ひげの破片は大英博物館以外にも残っています。

出典:大英博物館

5. 修復でかえって傷んだ体

修復でかえって傷んだ体のイラスト

スフィンクスは20世紀にも修復されましたが、使われたセメントなどが柔らかい石灰岩を傷めてしまいました。セメントが石となじまず、ひびが入ったのです。

1988年には右肩の石の一部が崩れ落ち、当時の考古当局のトップは職を追われました。その後は約10年かけて古いセメントなどを取り除き、修復をやり直しています。

※石灰岩は、貝殻やサンゴなどが積もって固まった比較的やわらかい岩です。

巨大像の正体と作り方

続いて、スフィンクスがいつ、どのように作られたのかを見ていきましょう。

6. 作られたのは何年前?

作られたのは何年前のイラスト

スフィンクスが作られたのは、今からおよそ4500年前とされます。隣にピラミッドを持つカフラー王の時代とする説が有力ですが、父のクフ王の時代とみる説もあります。

一方で、実は7000〜1万年前に作られたという説もあります。像を囲む岩壁の傷み方が、雨による浸食に見えるというのが根拠です。

しかし主流の学界ではこの説は否定されており、柔らかい石灰岩は風化が早く、地下水などの影響でも説明がつくためだそうです。

※浸食は、雨や風、水の流れで岩が削られることです。建造の年代には諸説あります。

出典:AERA(古代エジプト研究協会)

7. 積まずに岩山から彫った像

積まずに岩山から彫った像のイラスト

スフィンクスは石を積み上げたのではなく、もとの岩盤を彫って作られました。周りを掘り下げたときに出た石の塊は、隣の神殿を建てる材料に回されています。

体は3つの地層にまたがっていて、頭の部分は硬くて目の細かい岩でできています。一方で胴体は泥灰岩という柔らかい層にあたり、傷みやすいのが弱点です。

顔が胴体よりきれいに残っているのも、この岩の硬さの違いによるものです。1992年には、弱った首や肩を心配する声も報じられました。

※大きさは長さ約73m、高さ約20mで、古代の像としては最大級とされます。
※泥灰岩:「でいかいがん」と読み、粘土をふくむ柔らかい岩です。

出典:AERA(古代エジプト研究協会)

8. 実は未完成だったスフィンクス

実は未完成だったスフィンクスのイラスト

スフィンクスの周りの石切り場では、1978年に運びかけのまま放置された石の塊が3つ見つかりました。近くからは、ビールか水を入れた壺のかけらや石のハンマーも出ています。

正面の神殿も、外側の石が貼られないままです。工事は途中で止まったとみる研究者が少なくありません。

ある研究者は古代と同じ石のハンマーと銅のノミで実験し、100人なら3年ほどで彫れると試算しました。銅のノミは数回打つだけで刃が鈍り、こまめに研ぎ直す必要がありました。

※100人で3年という数字は、実験にもとづく推定です。

出典:Smithsonian Magazine(2010年)

9. 昔はカラフルな姿だった

昔はカラフルな姿だったのイラスト

今は砂色に見えるスフィンクスですが、顔には赤い顔料の跡が残っています。ほかの部分からも、黄色や青の痕跡が見つかりました。

長年調査を続けてきた研究者のなかには、かつては漫画のように派手な色で飾られていたと考える人もいます。今の素朴な姿とは、かなり違う印象だったのかもしれません。

※顔料は、色をつけるための粉のことです。
※全身の色づかいまでは分かっていません。

出典:Smithsonian Magazine(2010年)

名前と太陽と日本との縁

最後に、スフィンクスの名前や太陽との関係、そして日本との意外なつながりを紹介します。

10. 本当の名前は分かっていない

本当の名前は分かっていないのイラスト

スフィンクスの元の名前は、記録がなく分かっていません。1000年ほどのちには「地平線のホルス」を意味する名で呼ばれ、太陽神として拝まれました。

スフィンクスという呼び名はギリシャ語で、「締めつける」という言葉が語源ともいわれますが、後から結びつけた説明というのが通説です。

現地のアラビア語では「アブ・アル・ホール」と呼ばれ、「恐怖の父」という意味になります。これも古い名前が似た音の言葉に置き換わった可能性があります。

※ホルスは、ハヤブサの頭を持つ姿で描かれる古代エジプトの神です。

11. 春分の夕日は右肩に沈む

春分の夕日は右肩に沈むのイラスト

春分と秋分の日には、夕日がちょうどスフィンクスの右肩に沈むように見えます。2020年には、エジプトの観光・考古省がその様子を公表しました。

さらに夏至の日には、夕日が2つのピラミッドの間に沈むといいます。同省はわざとそう配置したと主張していますが、はっきりした結論は出ていません。

※春分と秋分は、昼と夜の長さがほぼ同じになる日です。

出典:エジプト観光・考古省(2020年)

12. 幕末の侍が記念写真を撮影

幕末の侍が記念写真を撮影のイラスト

1864年(元治元年)に江戸幕府の使節団がヨーロッパへ向かう途中でエジプトに立ち寄りました。一行は侍の姿のまま、スフィンクスの前で集合写真を撮っています。

撮影したのは、イタリア出身の写真家アントニオ・ベアトで、幕末の日本を撮ったフェリーチェ・ベアトの弟でした。写真の左下には、ベアトの署名が残っています。

※使節団は、国の代表として外国へ送られた人々の集まりです。

まとめ

スフィンクスの鼻は、ナポレオン軍の砲撃ではなく、それより前に人の手で壊されたとする説が有力で、長く砂に埋もれ、近代の修復でかえって傷むなど、受難の多い歴史をたどってきました。

また、石を積まずに岩山から彫り出された像で、かつては色鮮やかに塗られていた可能性もあります。春分の夕日や幕末の侍の写真など、意外なつながりも少なくありません。

4500年の間にさまざまな人の手が加わってきたことを知ると、同じ写真でも少し違って見えてきます。ギザを訪れることがあれば、鼻の跡や肩の修復部分にも注目してみてください。

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更新日:2026年10月11日(日) 10:07

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