自由の女神といえば緑色の姿を思い浮かべますが、完成したころは銅そのものの赤茶色でした。しかも最初の約16年間は、船を導く灯台としての役目も担っていたのです。
像を生み出したのはフランスの彫刻家バルトルディで、完成は1886年のことでした。デザインの成り立ちや足元に隠れた鎖、切手をめぐる思わぬ騒動まで、この像には意外な話が数多く残されています。
そんな自由の女神にまつわる雑学を12個ご紹介します。
誕生と建設にまつわる裏話
まずは、自由の女神が形になるまでの話から見ていきます。アイデアの出どころから建設の工夫まで、意外な事実が隠れています。
1. 原点はスエズ運河の灯台案

彫刻家のバルトルディは1860年代後半、エジプトの農婦の姿をした巨大な灯台像をスエズ運河の入口に置く案を、エジプト総督に提案しました。計画は実現しませんでしたが、米国国立公園局は自由の女神のデザインが「ほぼ確実に」この案から発展したと説明しています。
一方で本人は、のちに両者は無関係だと主張していました。
※「総督(そうとく)」は、その地域を治める最高責任者のことです
出典:米国国立公園局
2. 右腕だけが先にお披露目

像の完成より先に、右腕とトーチだけが1876年のフィラデルフィア万博に出品されました。その後はニューヨークのマディソン・スクエア公園に約6年間置かれ、50セントを払えばトーチのバルコニーまで登ることができたのです。
これは、台座の建設資金を集めるための宣伝でした。
3. デザインは特許で守られた

バルトルディは1879年、アメリカで像のデザインの意匠特許を取得しています。意匠特許とは、ものの形や見た目を守るための権利のことです。
ミニチュア像などの複製品が出回ることを見越して、早めに備えたものとされています。
出典:米国特許商標庁
4. 薄い銅板と揺れる仕組み

外側の銅板は厚さ約2.4mm。米国国立公園局は「1セント硬貨2枚を重ねた厚さ」と説明しています。これを打ち出し細工で形作り、鉄の骨組みに取り付けました。
骨組みの設計はエッフェル塔で知られるエッフェルで、銅板をばねのように動く金具で留め、風や気温による動きを逃がしています。強風時は像が最大約7.6cm、トーチは最大約15cm揺れるのです。
骨組みは約100年後に銅との接触で腐食し、1980年代にステンレス鋼へ替わりました。
※「打ち出し細工」は、薄い金属の板を木型に当ててハンマーでたたき、立体的な形を作る技法です
※エッフェルのフルネームは、ギュスターヴ・エッフェルです
※揺れの幅は、公式の数値をセンチメートルに換算した目安です
出典:米国国立公園局
像の細部に込められた意味
続いては、像の色や形に込められた意味です。何気なく見ている部分にも、それぞれ理由があります。
5. 完成時は赤茶色だった

1886年の完成時、像は銅本来の赤茶色でした。その後は酸化で表面に緑青ができ、20〜30年ほどかけて緑色に覆われていきます。
1906年ごろに塗り直す案も出ましたが、陸軍省の技師は「緑青は像の輪郭を和らげて美しくしている」として、除去しない方針をとったと報じられました。緑青は内側の銅を守る保護膜にもなっています。
※「緑青(ろくしょう)」は、銅の表面にできる青緑色のさびです
6. 足元に隠れた砕けた鎖

足元には砕けた鎖と足かせがありますが、衣のすそに隠れて地上からはほぼ見えません。1876年の初期デザインでは左手に鎖を持ち、完成像では鎖が足元に移り、左手には独立記念日を刻んだ銘板があります。
米国国立公園局は、構想の中心人物ラブライエが奴隷制廃止論者だったことを挙げ、抑圧からの解放の象徴としています。
※「足かせ」は足にはめて自由を奪う道具、「銘板(めいばん)」は文字を刻んだ板のことです
出典:米国国立公園局/米国議会図書館
7. 王冠の7本の突起の意味

王冠には7本の突起と25の窓があります。米国国立公園局や特許の文書の説明では、突起は後光の光線を表したものです。
「7つの海と7大陸」を表すという説明もよく見かけますが、作者の意図だったという確かな記録は見つかっていません。
※「後光(ごこう)」は、神や仏の体から放たれる光のことです
出典:米国国立公園局
8. 移民の象徴になるまで

台座に刻まれた詩「新しい巨像」は、エマ・ラザラスが1883年に資金集めのため書いたものです。一度は忘れられ、台座に付けられたのは1903年でした。
像の本来のテーマは「世界を照らす自由」です。隣のエリス島に入国審査所ができると、船で着いた移民がトーチを歓迎の光と受け止め、移民の象徴という意味が育ちました。
出典:米国国立公園局
意外な歴史とエピソード
最後に、完成後の自由の女神がたどった歴史を紹介します。灯台としての役目から日本との縁まで、話題はさまざまです。
9. 灯台として働いた約16年

自由の女神は灯台局の管轄で、1886年に灯台として明かりをともしました。しかし光が弱く、航海の役には立たないと判断されてしまいます。
1902年に灯台としての役目を終え、管轄は陸軍省へ移されました。灯台だった期間は約16年です。
※「管轄(かんかつ)」は、その仕事を受け持って管理することです
出典:米国沿岸警備隊
10. 爆破事件で閉ざされたトーチ

第一次世界大戦中の1916年、対岸のブラック・トム島の軍需品集積所がドイツの工作員に爆破されました。破片が像に刺さり、爆風でトーチを持つ腕が押されて骨組みが傷んだため、以来トーチは公開されていません。
トーチは1980年代の修復で金箔を貼った新しいものに替わり、元のトーチは自由の女神博物館に展示されています。
※「軍需品(ぐんじゅひん)」は、武器や弾薬など戦争に使う物資のことです
※「工作員」は、敵国に送り込まれて破壊活動などを行う人のことです
出典:米国国立公園局
11. 切手の写真はレプリカ

米国郵政公社が発行した永久切手の自由の女神は、本物ではなくラスベガスのホテル「ニューヨーク・ニューヨーク」にあるレプリカの写真でした。切手は30億枚以上印刷されましたが、レプリカを作った彫刻家が著作権侵害で訴えます。
2018年の判決では、郵政公社に約350万ドルの支払いが命じられました。
※「永久切手」は、郵便料金が変わってもそのまま使える切手のことです
出典:CNBC(2018年)
12. お台場の女神のルーツ

お台場の自由の女神の始まりは、1998年(平成10年)から翌年にかけての「日本におけるフランス年」です。この企画でパリの像が貸し出され、お台場に展示されました。
好評だったため、パリ市の許可を得て2000年(平成12年)に複製が常設されました。そのパリの像はセーヌ川の中州にあり、ニューヨークの方角を向いています。
まとめ
自由の女神は、最初から今の姿や意味をもっていたわけではありません。完成したころは赤茶色の銅の色で、緑青に覆われるまでに20〜30年ほどかかりました。移民を迎える象徴という意味も、エリス島に入国審査所ができてから少しずつ育ったものです。
また、厚さ約2.4mmの薄い銅板を、エッフェルが設計した骨組みで支える工夫もありました。風や気温による動きを逃がす仕組みのおかげで、像は強風の日も少し揺れながら立っています。
ニューヨークを訪れる機会があれば、王冠の突起や左手の銘板にも目を向けてみてください。
あわせて読みたい
更新日:2026年10月5日(月) 02:45

藤堂高虎の雑学12選!身長約190cmで全身傷だらけ
ジョン万次郎の雑学12選!英語ができすぎてスパイを疑われた
万里の長城の雑学12選!レンガの接着剤はもち米だった
秦の雑学10選!鹿を馬と言い張り逆らった者を粛清した
明智光秀の雑学10選!信長にキンカン頭と罵られ続けていた
中世ヨーロッパの雑学12選!鎧は20kgほどで騎士は走れた
南北朝時代の雑学12選!神器なしで即位した天皇がいた
藤堂高虎の雑学12選!身長約190cmで全身傷だらけ