「解剖の本を訳そう」と決めたとき、杉田玄白はアルファベットすら習っていませんでした。辞書もほとんどなく、眉についての短い一文に春の長い一日を費やしたこともありました。そんな手探りの中で、仲間と訳し上げたのが『解体新書』です。
教科書でおなじみの玄白ですが、晩年に書いた思い出の記録や長生きの心得、自分の影と語り合う本など、意外な一面もたくさんあります。
そんな杉田玄白にまつわる雑学を11個ご紹介します。
ゼロから始めた翻訳の苦労
『解体新書』の翻訳は、言葉の手がかりがほとんどない状態から始まりました。まずは、その苦労が伝わる話から見ていきましょう。
1. アルファベットも知らずに翻訳

1771年(明和8年)、玄白は前野良沢らと江戸の小塚原で腑分けを見学しました。オランダの解剖書の図が正確なことに驚き、翌日から翻訳に取りかかります。
ところが玄白は、アルファベットさえ習っていない状態でした。そのときの心境を、のちに「艪舵なき船の大海に乗出せしが如く」と書き残しています。
※腑分け(ふわけ)は死体解剖のことです。
※「艪舵なき船〜」は、かじもない船で大海に乗り出したようだ、という意味です。
2. 眉の一文に丸一日かかった

翻訳を始めたころは、辞書も文法書もほとんどありません。「眉とは目の上に生えた毛である」程度の一文さえ、春の長い一日をかけても分からなかったそうです。
『蘭学事始』には「長き日の春の一日には明らめられず」とあり、たった一行に苦しんだ様子が分かります。
それでも仲間と集まって少しずつ訳を進め、原稿の書き直しは11回に及んだとされます。腑分けの見学から『解体新書』の刊行までは、およそ3年半かかりました。
3. フルヘッヘンドは記憶違い?

『蘭学事始』には、鼻の説明にある「フルヘッヘンド」の意味を探る話が出てきます。木の枝を切った跡や、掃除で土が集まる様子の用例から「うずたかい」と解き明かしたと書かれているのです。
ところが、実際の原書にはこの語が見当たりません。そのため、晩年の玄白の記憶違いではないかという説もあります。
※原書は、ドイツ人クルムスの解剖書をオランダ語に訳したもので、通称「ターヘル・アナトミア」と呼ばれます。
4. 今も残る玄白たちの新語

当時の日本語には、オランダ語の医学用語にあたる言葉がたくさん欠けていました。「神経」「軟骨」「門脈」などは玄白らが生んだ言葉とされ、今も使われています。
一方、膵臓は意味が分からず、腺を表すオランダ語klierの音を当てて「大機里爾」と訳しました。「膵」の字が使われるのは、もっと後の時代です。
※大機里爾は「だいきりいる」と読み、大きな腺という意味です。
解体新書と蘭学事始の裏話
『解体新書』と、のちに書かれた『蘭学事始』には、表からは見えにくい事情も隠れています。
5. 本番前に出したお試し版

1773年(安永2年)、玄白は『解体新書』に先がけて『解体約図』を出しました。全5枚の、いわば予告編のようなもの。玄白自身は「ひきふだ同様のもの」と表現しています。
そこには、幕府の出版取り締まりの反応をうかがう意味もあったと考えられます。いきなり本を出すのではなく、まず様子を見る慎重さがあったのでしょう。
※ひきふだは、広告のちらしのことです。
6. 名前が載らなかった前野良沢

1774年(安永3年)刊の『解体新書』には、翻訳の中心だった前野良沢の名前がありません。良沢が訳の出来に納得しなかった説や、幕府のとがめが及ばないよう配慮した説があります。
玄白は、完璧さより早く世に出すことを重んじたようです。のちに弟子の大槻玄沢へ改訂を命じ、改訂版は玄白の死後の1826年(文政9年)に出ました。
※名前がない理由には諸説あります。
7. 露店で見つかった蘭学事始

『蘭学事始』は、数え83歳の玄白が蘭学の始まりを書き残した本です。原稿は失われたとされますが、幕末に神田孝平が湯島の聖堂裏の露店で写本を見つけました。
1869年(明治2年)、玄白の曾孫が刊行し、福沢諭吉も費用を出して後押しします。福沢はのちの再版の序文に、読むたびに「感極りて泣かざるはなし」と書きました。
※写本(しゃほん)は手で書き写した本のこと。発見のいきさつは福沢の序文によるもので、疑問も出されています。
長生きした玄白の晩年の素顔
玄白は当時としては長生きで、晩年まで筆を執り続けました。ここからは、健康法や人柄が見えてくる雑学です。
8. 長生きの心得「養生七不可」

体が弱かったといわれる玄白ですが、数え85歳まで生きました。1801年(享和元年)にまとめたのが、長生きの7か条『養生七不可』です。
まずは「昨日の失敗をくよくよしない」「明日を心配しすぎない」の2つ。続いて、飲み食いの度を越さない、まともな物以外は口にしない、病気でないのに薬を飲まない、の3つです。
残りは、元気でも夫婦の営みを過ごさない、体を動かして楽をしすぎない、の2つで今の健康法にも通じる内容です。
※養生七不可:「ようじょうしちふか」
9. 九幸に込めた9つの幸せ

晩年の玄白は「九幸」という号を使いました。人生で得た9つの幸せに由来するとされ、「九幸翁」とも名乗っています。
泰平の世に生まれたことや長生きしたこと、子や孫が多いことなどがその中身です。老いてますます元気なことも数えていて、戒名にも「九幸」の字が入っています。
※号(ごう):本名とは別に名乗る名前のことです。
※九幸:「きゅうこう」
10. 自分の影と語り合う医学書

1810年(文化7年)、玄白は医学随筆『形影夜話』を刊行しました。このとき数え78歳。夜、障子に映る自分の影法師と問答する、ユニークな形式の本です。
医学を学ぶ者の心構えや治療の例、医学を改めていく考えなどが語られています。校正を担当したのは、養子の杉田伯元でした。
※形影夜話:「けいえいやわ」
※影法師は:光が当たってできる人の影のことです。
11. 幕府を痛烈に批判した本

1807年(文化4年)、玄白は『野叟独語』を書きました。数え75歳のときです。軟弱な旗本やぜいたくな大名に怒り、幕府の政治を痛烈に批判した本です。
外国への備えである海防にも触れ、これも影法師との問答形式で書かれています。内容が内容だけに公開されず、写本でのみ残りました。
※野叟独語:「やそうどくご」
※旗本は、将軍に直接仕えた家臣のことです。
まとめ
杉田玄白は、アルファベットも知らない状態から仲間と翻訳に挑み、『解体新書』を世に送り出しました。「神経」や「軟骨」など、玄白らが生んだとされる言葉は今も使われています。
一方で、良沢の名前が載らなかった事情や、『蘭学事始』が露店で見つかった話など、本の裏側にも意外なドラマがありました。
晩年は長生きの心得を残し、自分の影と語り合う本も書いています。偉人というより、悩みながら前に進んだ一人の人間として見ると、玄白がぐっと身近に感じられるかもしれません。
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更新日:2026年10月14日(水) 09:41

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