スティーブ・ジョブズの雑学12選!臭すぎて夜勤に回された

スティーブ・ジョブズは若いころ、実の父が経営する料理店に通い、そうとは知らずに握手していました。のちに事実を知ってからも、ジョブズは最後まで名乗り出ていません。

ジョブズはアップルの創業者の1人で、iPhoneなどを世に送り出した人物です。アップルを離れていた時期には、ピクサーを育てたことでも知られます。一方で、周りを驚かせる奇行やこだわりの逸話も数多く残しました。

そんなスティーブ・ジョブズにまつわる雑学を12個ご紹介します。

生まれと若き日の奇行

まずは、養子として育った生い立ちと、アップルを始める前後の若き日の話です。

1. 大学進学が養子の条件

大学進学が養子の条件のイラスト

ジョブズの生みの母は、大卒の夫婦に託したいと望んでいました。養父母が大卒でないと知ると署名を拒み、「いつか大学に行かせる」との約束で応じています。

ところがジョブズは約半年で中退。その後も約1年半、カリグラフィーなどの授業をもぐりで聴講しました。2005年のスタンフォード大学卒業式で、自ら語った話です。

※カリグラフィーは、文字を美しく書く技術のことです

2. 知らずに握手した実の父

知らずに握手した実の父のイラスト

ジョブズはサンノゼ北部の地中海料理店に何度か通い、シリア出身の店主と握手していました。後年、妹モナ・シンプソンが実の父を探し当てると、その店主が父だったのです。

握手のとき、互いに親子とは知りませんでした。ジョブズは妹に口止めして最後まで名乗り出ず、裕福ゆえにゆすりや暴露を警戒したと伝記で語りました。

3. 体臭で夜勤に回された

体臭で夜勤に回されたのイラスト

1974年ごろアタリ社で働いていたジョブズは、果物中心の食事なら体臭は出ないと信じ、シャワーをめったに浴びませんでした。同僚から苦情が出て、上司のアル・アルコーンは彼をほかの社員がいない夜勤に回しています。

アップルを始めた頃には、ストレス解消に便器へ足を浸すこともあったと、公式伝記にあります。

4. 相棒に伏せたボーナス

相棒に伏せたボーナスのイラスト

アタリのゲーム「ブレイクアウト」の基板設計をジョブズが請け負い、スティーブ・ウォズニアックが4日ほど徹夜で仕上げました。ジョブズは報酬を約700ドルと伝え、その半分を渡しています。

部品を減らした分のボーナスは伏せたまま。ウォズニアックが知ったのは何年も後で、ジョブズは伝記で覚えていないと答えました。

※基板は、電子部品を取り付けて回路を作る板のことです

※報酬やボーナスの金額は、資料によって違いがあります

アップル創業期の素顔

続いては、禅への傾倒や社員番号0番の騒動など、アップル創業期の素顔に迫ります。

5. 永平寺での修行も考えた

永平寺での修行も考えたのイラスト

ジョブズは若い頃から禅に傾倒し、曹洞宗の僧・乙川弘文に師事しました。福井県の永平寺で修行することまで考えましたが、弘文に「カリフォルニアにとどまるように」と助言され、思いとどまっています。

1991年にヨセミテで挙げた結婚式を執り行ったのも、この弘文でした。日本を好み、京都にもたびたび足を運んでいます。

※乙川弘文(おとがわ こうぶん)は、知野弘文の名でも知られます

※曹洞宗は禅宗の一派、永平寺は「えいへいじ」と読みます

6. 社員番号は0番を要求

社員番号は0番を要求のイラスト

1977年、初代社長のマイク・スコットが社員番号を振りました。ウォズニアックが1番、ジョブズは2番です。

不満なジョブズは1番を求め、断られると「0は1より前だ」と言い張って、その番号を要求します。こうして社員証は0番になりました。ただし銀行の給与システムが0を受け付けず、給与の上では2番のままだったとされます。

7. 娘の名がついたコンピューター

娘の名がついたコンピューターのイラスト

1978年に長女リサが生まれても、ジョブズは長く自分の子と認めませんでした。DNA鑑定で父である確率は94.1%と出ています。それでも1983年のTIME誌で、「米国男性の28%が父親になりうる」と主張しました。

一方で新型コンピューターには「Lisa」と名付け、後に娘の名から取ったと認めています。父娘はのちに和解しました。

8. 黒タートルは三宅一生製

黒タートルは三宅一生製のイラスト

1980年代にソニーを訪れたジョブズは、三宅一生がソニーのためにデザインした制服に感心しました。アップル社員にもベストを着せようと提案しましたが、社内で大ブーイングを浴びて断念しています。

代わりに三宅に自分用の黒いタートルネックを頼み、100着ほど作ってもらいました。以後、これがトレードマークになります。

※三宅一生は「みやけ いっせい」と読みます

カリスマの流儀と最期

最後は、破格の報酬や家庭での顔、そして最期の言葉にまつわる話です。

9. 年俸はたった1ドルだった

年俸はたった1ドルだったのイラスト

アップルCEOとしてのジョブズの年俸は、わずか1ドルでした。2000年時点で、ギネス世界記録に「最も報酬の低いCEO」として載っています。

ただし同じ年、取締役会から約4,000万ドルの自家用ジェット機を贈られました。1,000万株分のストックオプションも受け取っています。

※ストックオプションは、決められた値段で自社の株を買える権利のことです

出典:ギネス世界記録

10. わが子のiPad利用を制限

わが子のiPad利用を制限のイラスト

iPadが発売された2010年の終わりごろ、ジョブズはニューヨーク・タイムズの記者に「お子さんたちはiPadが好きでしょう」と聞かれました。答えは「まだ使っていない。家では子どものテクノロジー利用を制限している」というものです。

記者が2014年の記事で明かした話で、一家は夕食時に本や歴史の話をしていたといいます。

11. 酸素マスクにもダメ出し

酸素マスクにもダメ出しのイラスト

2009年に入院していたとき、深い鎮静状態だったジョブズは、医師が着けた酸素マスクをはぎ取りました。「デザインが嫌いだ」とつぶやき、ほとんど話せない状態で「5種類持ってこい、気に入るものを選ぶ」と言い張ったのです。

指につける酸素モニターも、醜くて複雑すぎると不満を口にしていました。

※ネットでは臨終の床での話として広まっていますが、実際は入院中の出来事です

12. 最期の言葉はOh wow

最期の言葉はOh wowのイラスト

ジョブズは2011年に56歳で亡くなりました。妹モナの弔辞では、最期に妹パティや子どもたちと妻ローレンを順に見つめ、その先を見て「Oh wow」と3回繰り返したそうです。

SNSで広まった「富や名声は死を前に無意味だった」という遺言は作り話です。伝記にも弔辞にもなく、ファクトチェック団体も誤りと判定しました。

※弔辞(ちょうじ)は、亡くなった人を悼んで述べる言葉です

まとめ

スティーブ・ジョブズは、「いつか大学に行かせる」という生みの母の条件のもとで養子として育ちました。実の父とは客と店主として握手を交わしながら、最後まで名乗り出ていません。

若いころはシャワーをめったに浴びずに夜勤へ回され、アップルでは社員番号0番を求めるなど、周りを困らせる逸話も残しています。

三宅一生に頼んだ黒いタートルネックや、入院中に酸素マスクのデザインにまで注文をつけた話からは、最期まで続いたデザインへのこだわりが伝わってきます。製品の美しさを追い求めた姿勢は、身の回りの細かな物にまで向けられていたのでしょう。

あわせて読みたい

更新日:2026年10月4日(日) 07:27

コメントを入力

TOP