江戸の長屋の雑学12選!大家の副収入はトイレの中身だった

江戸の長屋の大家さんは、多くが建物の持ち主ではありませんでした。しかも収入源の一つは、住人が使う共同トイレの中身だったのです。

裏長屋の典型的な広さは、土間込みで6畳ほどで、水は共同の井戸でくみ、布団や食器は借りてすませることもできました。狭い住まいには、暮らしを回すための仕組みがいくつもあったのです。

そんな江戸の長屋にまつわる雑学を12個ご紹介します。研究にもとづく項目には出典を添えています。

狭くて安い九尺二間の住まい

まずは長屋の住まいそのものから見ていきます。どれくらいの人が借家に住み、広さや家賃はどの程度だったのでしょうか。

1. 町人の約7割は借家暮らし

町人の約7割は借家暮らしのイラスト

江戸や大坂では、住人の約7割が家を借りて住む「店借」だったと推定されています。

店借は町の運営に加わる資格がなく、町の負担も基本的にありませんでした。町人地の人口密度は1km²あたり約6万7000人と推計され、武家地の約4倍にのぼります。

※「店借」は「たながり」と読みます。「町人地」は町人が住む地域、「武家地」は武士の屋敷がある地域です。

出典:コトバンク(旺文社日本史事典)/港区史(ADEAC)/Wikipedia

2. 九尺二間は土間込みで6畳ほど

九尺二間は土間込みで6畳ほどのイラスト

「九尺二間」は、間口約2.7m、奥行約3.6mの住まいです。江戸時代で最も狭い住居の大きさとされ、裏長屋の典型でした。

土間込みで6畳ほど、畳の部分は4畳半ほどです。背中合わせに仕切った棟割長屋では、窓は入口側にしかありません。押し入れもなく、布団は枕屏風で隠したといわれます。

※「九尺二間」は「くしゃくにけん」と読みます。「間口」は家の正面の幅です。「棟割長屋(むねわりながや)」は、1棟を背中合わせに区切った長屋を指します。

出典:コトバンク(日本国語大辞典、世界大百科事典)/国立国会図書館レファレンス協同データベース

3. 家賃は大工の1〜2日分ほど

家賃は大工の1〜2日分ほどのイラスト

文化・文政期の裏長屋の家賃は、月300〜500文ほどでしたが、幕末になると500〜600文ほどに上がっています。

江戸文化歴史検定の公式解説集では、目安は坪あたり月100文です。3坪弱の九尺二間なら、月300文ほどになります。文政期の大工の日当は銭に直すと500文台なので、1〜2日分ほどの稼ぎで払えた計算です。

※「文(もん)」はお金の単位です。金額は時期や資料によって幅があり、あくまで目安です。

出典:サライ/日本食文化の醤油を知る/大丸

4. 共同トイレの戸は下半分だけ

共同トイレの戸は下半分だけのイラスト

長屋では各戸にトイレを作らず、数軒で共用していました。江戸ではこれを「惣後架」と呼んだと、『守貞謾稿』に記されています。

江戸の惣後架は、戸が下半分しかない「半戸」でした。京坂の共同トイレは半戸ではなかったとする研究もありますが、なぜ半戸にしたのかははっきりしていません。

※「惣後架」は「そうこうか」「そうごうか」と読みます。『守貞謾稿』は「もりさだまんこう」と読みます。「京坂」は京都と大坂のことです。

出典:法政大学学術機関リポジトリ/コトバンク

大家さんの意外な正体と役目

長屋の暮らしに欠かせないのが大家さんです。ところがその立場や収入源は、今の大家さんとはかなり違っていました。

5. 大家の多くは雇われ管理人

大家の多くは雇われ管理人のイラスト

大家は、家主や家守とも呼ばれました。その多くは長屋の持ち主ではなく、地主に代わって土地と建物を管理する雇われの管理人でした。

仕事は家賃の取り立てや、町からのお触れの伝達、住人の調査など幅広いものです。地位は「株」として売買されることもあり、1791年(寛政3年)の記録では家主は約2万人いました。

※「家守」は「やもり」と読みます。住人を調べて帳面にまとめる仕事は「人別改め(にんべつあらため)」と呼ばれました。記録上の人数は1万9868人です。

出典:コトバンク

6. 親も同然の大家が負った責任

親も同然の大家が負った責任のイラスト

「大家といえば親も同然」の裏には、大家が住人の責任を負う仕組みがありました。

長屋を借りるには身元保証人の「店請人」が必要で、親類や同郷の人がその役を務めます。

幕府の法令集「公事方御定書」では、住人が自宅で博打の場を開くと、家主も罰を受けました。財産に応じた罰金に加え、100日の手鎖です。

さらに捨て子が見つかれば、その町の住民や大家が養育を負担しました。行き倒れの面倒も、町や大家の負担になったようです。

※「店請人」は「たなうけにん」と読みます。「手鎖(てじょう)」は、手に鎖をかけて自由を奪う刑罰です。「博打」は賭けごとのことです。

出典:コトバンク(世界大百科事典ほか)/落語と江戸

7. トイレの中身は大家の収入

トイレの中身は大家の収入のイラスト

共同トイレにたまった大便は、畑の肥料として農家に売られました。代金を受け取ったのは住人ではなく大家です。『守貞謾稿』にも、代金は家主のものと記されています。

「店中の尻で大家は餅をつき」という川柳も残っています。

ただし江戸では尿は売り物にはならず、溝に捨て大便だけを便所にためていたのです。一方で京都や大坂では尿は住人のもので、大坂では冬に綿や野菜と交換していました。

※肥料にする糞尿は「下肥(しもごえ)」と呼ばれます。川柳の「店中」は長屋じゅうの住人のことです。

出典:法政大学学術機関リポジトリ/小学館(ことばの窓)/屎尿・下水研究会

井戸まわりと長屋の暮らしぶり

最後は、井戸まわりから日々の暮らしまでを見ていきます。水の使い方やご近所づきあいにも、長屋ならではの事情がありました。

8. 井戸は水道、七夕は井戸替え

井戸は水道、七夕は井戸替えのイラスト

上水が届く地域の長屋では、井戸はいわば水道でした。上水は石や木の管を流れ、細い竹の管を通って共同の上水井戸に届き、人々はそこから水をくみ上げて使いました。

この井戸を掃除するのが「井戸替え」です。江戸では7月7日の七夕に、大名屋敷から裏長屋まで一斉に行われたと記録にあります。

井戸の底には井戸職人が入り、住人は総出で作業を手伝いました。終わると井戸にお神酒と塩を供えたそうです。

※「上水(じょうすい)」は、飲み水などに使うため町まで引いた水のことです。7月7日は旧暦の日付です。

※本所・深川は埋立地のため上水がやめられ、1899年(明治32年)に近代水道ができるまで、水船で運ばれる売り水に頼っていました。

出典:東京都水道局/学研/コトバンク(日本国語大辞典)/江東区

9. 井戸端会議は明治生まれの言葉

井戸端会議は明治生まれの言葉のイラスト

「井戸端会議」は、明治に生まれた言葉とされており、世界大百科事典によると明治半ばごろ、官庁や会社で定着し始めた「会議」になぞらえたものでした。

名づけたのは男たちで、皮肉まじりの呼び名だったようです。日本国語大辞典が挙げる最も古い用例は、1899〜1902年の『東京風俗志』です。

出典:コトバンク(世界大百科事典、日本国語大辞典)

10. 長屋の町に多かった独り者

長屋の町に多かった独り者のイラスト

江戸の町は、男性が女性よりずっと多い町でした。1721年(享保6年)の町方の人口は約50万人でした。そのうち男性が約32万人、女性は約18万人です。

女性は男性100人に対して55人ほど。出稼ぎにきた独り身の男性が多く、長屋にも独り者が多かったと考えられます。この差はしだいに縮まり、1867年(慶応3年)には男女がほぼ同じ数になりました。

※町方は町人が住む地域の人口で、武士は含みません。正確には男性32万3285人、女性17万8109人と記録されています。

出典:参議院調査室(2006年)

11. 布団も食器も借りて暮らす

布団も食器も借りて暮らすのイラスト

長屋の住人は、身のまわりの品を借りて暮らすこともできました。料金を取って品物を貸す「損料屋」があったからです。

扱う品は衣服や布団、蚊帳や食器から冠婚葬祭の道具まで幅広く、1773年の書物にも名が見えます。狭くて物を置けず、引っ越しも多い長屋暮らしに合った仕組みでした。

※「損料屋」は「そんりょうや」と読みます。「損料」は、品物を借りたときに払う使用料のことです。

出典:コトバンク/日本食文化の醤油を知る

12. 引っ越しそばは配るもの

引っ越しそばは配るもののイラスト

引っ越しでそばを配る習慣は、遅くとも天明年間には江戸に広まっていました。それ以前は、小豆の粥や餅を配っていたそうです。

配る相手は向こう三軒両隣と大家で、自分で食べるものではなくあいさつの品でした。大家にはせいろ5枚、隣には2枚ずつという話もあります。「おそばに」の語呂合わせは、後付けとみられています。

※天明年間は1781〜1789年です。「向こう三軒両隣」は、向かいの3軒と左右の2軒を指します。

出典:日本穀物検定協会/Wikipedia

まとめ

江戸の町人の約7割は借家暮らしだったと推定され、裏長屋の典型が九尺二間でした。土間込みで6畳ほどの部屋に住み、家賃は大工なら1〜2日分ほど。トイレや井戸は共同で使っていました。

長屋を管理した大家さんの多くは、持ち主ではなく雇われの管理人です。住人が博打の場を開けば罰を受けることもある一方、トイレの中身を売る収入もありました。

布団や食器は借り、引っ越しではそばを配る。狭い住まいだからこそ、物を多く持たず、ご近所との関係を大切にする暮らし方が根づいていたのでしょう。

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更新日:2026年10月4日(日) 07:57

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