重陽の節句の雑学12選!平安貴族は菊の綿で顔を拭いた

9月9日の重陽の節句は、五節句のなかでいちばん忘れられてしまった節句です。菊を飾って長寿を願う中国由来の行事で、平安の宮中では盛大に祝われ、江戸の町では栗ごはんで楽しまれていました。

それが今ではカレンダーにも残っていません。理由のひとつは、暦が新暦に変わり、主役の菊が咲かない時期にずれてしまったことでした。

そんな重陽の節句にまつわる雑学を12個ご紹介します。研究にもとづく項目には出典を添えています。

重陽のはじまりと菊の力

まずは、重陽がどこから来た行事なのか、そしてなぜ菊が主役になったのかを見ていきます。宮中の記録や古い物語に、その手がかりが残されています。

1. なぜ9月9日が重陽なのか

なぜ9月9日が重陽なのか

古い中国の考え方では、奇数は縁起のよい陽の数とされました。1桁で最大の陽数である9が、月と日の両方に重なるので重陽と呼びます。

ただし当初は陽の気が強すぎて不吉とされ、邪気を払うための日でした。それがのちに、めでたい日へと意味が反転していきます。

日本での最古の記録は685年、天武天皇14年9月9日の宴です。831年の淳和天皇の代からは、紫宸殿での恒例儀式である重陽節会として整えられました。

※「紫宸殿(ししんでん)」は内裏の中心となる正殿です。

2. 菊に綿をかぶせる被綿

菊に綿をかぶせる被綿

平安貴族は9月8日の夜、菊の花に真綿をかぶせて一晩置きました。香りと露を移した綿で翌朝に体をぬぐうと、老いが遠のいて長生きできると信じられていたのです。

『紫式部日記』の寛弘5年9月9日の条には、藤原道長の妻から菊の着せ綿が届き、これでよく老いを拭い捨てなさいと言われた場面が記されています。

※「被綿(きせわた)」の真綿は繭から作る綿で、木綿とは別のものです。

3. 万葉集に菊の歌が一首もない

万葉集に菊の歌が一首もない

『万葉集』には百数十種もの植物が詠み込まれていますが、菊を詠んだ歌は一首も見当たりません。

菊は奈良時代の末から平安初期にかけて、中国から薬草として渡ってきた外来種でした。万葉の歌人たちは、まだこの花を知らなかったと考えられています。

菊が盛んに詠まれるようになるのは『古今和歌集』の頃からで、秋を代表する花という地位はあとから築かれたものでした。

4. 700年生きた菊慈童

700年生きた菊慈童

菊が不老長寿の花とされる背景には、菊慈童という伝説があります。

周の穆王に仕えた少年の慈童は、罪を得て山奥へ流されてしまいます。慈童が王から授かった枕に記された経文を菊の葉に書き付けたところ、その葉から滴る露が霊薬に変わり、700年を生きたと伝えられます。

この物語は能の演目「菊慈童」として、今も舞台で舞われています。

※流派によっては「枕慈童(まくらじどう)」の名で演じられます。

庶民が楽しんだ重陽の姿

宮中の雅な行事は、やがて町や村へも広がっていきました。栗や茄子、雛人形やお祭りなど、暮らしに根づいた重陽の姿を集めます。

5. 栗の節句・茄子の節句

栗の節句・茄子の節句

重陽には、栗の節句、茄子の節句という別名もあります。宮中の菊に対して、庶民は栗ごはんを炊いて秋の実りを祝いました。

茄子を食べる習慣も各地に伝わっており、旧暦9月9日、19日、29日を三九日と呼び、この日に茄子を食べると中風にならないという言い伝えが残っています。九州だけの風習と思われがちですが、関東でも同じ言い伝えが記録されています。

※「中風(ちゅうぶ)」は脳卒中の後遺症などによる麻痺を指す古い言葉です。

出典:国際日本文化研究センター 怪異・妖怪伝承データベース(栃木県・1938年採録)

6. 長崎くんちの語源は九日

長崎くんちの語源は九日

長崎くんちをはじめ、九州北部の秋祭りはくんちと呼ばれます。この名は旧暦9月9日の九日がなまったものという説が有力ですが、供日や宮日を語源とする見方もあり、諸説あるところです。

長崎くんちは1634年、太夫町の遊女だった高尾と音羽の2人が、諏訪神社に謡曲の小舞を奉納したのが始まりとされます。

7. 9月にもう一度飾る後の雛

9月にもう一度飾る後の雛

江戸時代の貞享・元禄年間の頃から、3月に飾った雛人形を9月9日にもう一度飾る、後の雛という風習が生まれました。半年しまい込んだ人形を虫干しする意味を兼ねていたともいわれます。

菊の季節に大人が静かに人形を眺める過ごし方で、近年は大人の雛祭りとして復活させる動きも各地に出てきました。

8. 今も続く上賀茂神社の烏相撲

今も続く上賀茂神社の烏相撲

京都の上賀茂神社では、今も9月9日に重陽神事が行われています。本殿に菊を供えて延命長寿を祈ったあと、境内では子どもたちによる烏相撲が奉納されます。

参列した人に振る舞われるのは、菊の花びらを浮かべた酒です。重陽に菊の酒を飲むと長寿になるという古い言い伝えが、今も受け継がれています。

※「烏相撲(からすずもう)」は、神職が烏の鳴き真似をする所作から始まる神事です。

消えた節句と海の向こうの重陽

これほど親しまれた重陽は、なぜ今のカレンダーから消えたのでしょうか。日本での退場と、海を渡った先での意外な行方をたどります。

9. 祝日に残れなかった節句

祝日に残れなかった節句

江戸幕府は1616年の制令などで、人日、上巳、端午、七夕、重陽の五節句を式日、つまり公的な行事日として定めました。ところが1873年1月4日の太政官布告によって、五節句は廃止されます。

現在の国民の祝日に名前を残しているのは、端午のこどもの日だけです。人日、上巳、七夕、重陽はいずれも祝日ではなく、なかでも重陽はとりわけ影が薄くなりました。

10. 菊が咲かない季節にずれた

菊が咲かない季節にずれた

旧暦の9月9日は、新暦だとおおむね10月の中旬から下旬にあたります。2026年でいえば10月19日です。

明治の改暦の際、日付をそのまま新暦の9月9日に移したため、主役の菊はまだ咲かず、栗も出回らない季節外れの節句になってしまいました。行事の中身と季節が合わなくなったことが、重陽が廃れた大きな理由のひとつとされています。

11. 中国では法律で敬老の日に

中国では法律で敬老の日に

日本ではほとんど忘れられた重陽ですが、中国では別の道をたどりました。

1989年から旧暦9月9日は老人節、敬老節とされ、2013年7月1日に施行された改正老年人権益保障法では、この日が老年節として法律に明記されています。長寿を願う節句という性格が、そのまま高齢者を敬う日へと受け継がれた形です。

12. 登高の代わりの重陽糕

登高の代わりの重陽糕

中国の重陽といえば、高い場所に登る登高が定番です。とはいえ平地ばかりで、登る山のない土地もありました。

そこで、餅菓子を指す糕が高と同じ発音であることにかけ、重陽糕という菓子を食べて登高の代わりとする習慣が生まれます。一歩ずつ出世するという意味の歩歩高升を願う気持ちも込められた、言葉遊びのような風習です。

※「登高(とうこう)」は、高い場所に登って厄を避ける中国の風習です。重陽糕は花糕とも呼ばれます。

まとめ

重陽は、9が重なる日に邪気を払い、菊の力で長寿を願う節句でした。宮中では被綿、庶民は栗ごはんや後の雛と、時代ごとに形を変えながら親しまれてきました。

それでも新暦への切り替えで菊の咲かない日付に取り残され、五節句で唯一、祝日にも残れませんでした。一方、中国では同じ日が法律で老年節と定められ、敬老の日として生き続けています。

行事が残るかどうかは、中身の面白さより季節と暮らしに合っているかで決まるのかもしれません。

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更新日:2026年9月6日(日) 06:14

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