万里の長城の雑学12選!レンガの接着剤はもち米だった

中国の北を横切る万里の長城は、写真で目にしたことのある人も多いはずです。

ただ、実際の全長がどれほどあるのか、そもそも誰に向けて築かれたのか、そして今どれだけ残っているのかまでは、あまり知られていません。

レンガを固めた意外な材料や、宇宙から見えるという有名な話の真偽など、調べてみると驚く事実が次々に出てきます。

そんな万里の長城にまつわる雑学を12個ご紹介します。

研究にもとづく項目には出典を添えています。

けた外れの規模と造り方

まずは、長城がどれほどの大きさで、どうやって積み上げられたのかを見ていきます。

数字と材料の話には、想像とはずれている部分がいくつもあります。

1. 全長は地球半周を超える

全長は地球半周を超える

中国国家文物局が2012年に発表した長城の全長は、21,196kmです。

5年がかりの実地調査をもとに、歴代の王朝が築いた城壁をすべて足し合わせた数字で、地球を半周する約2万kmを上回ります。

中国語での名前は「万里長城」ですが、現代の換算だと1万里はおよそ5,000km。

大げさに名づけたつもりが、実測ではその4倍以上あったことになります。

2. 4分の1は壁ではない

4分の1は壁ではない

国家文物局と国家測絵局が2009年にまとめた共同調査では、明代の長城は8,851.8kmと計測されました。

その内訳が少し意外で、人が積んだ城壁は6,259.6km、堀が359.7km、断崖などの自然地形が2,232.5kmを占めます。

全長のおよそ4分の1は、壁を築かずに険しい地形をそのまま防壁として数えた区間でした。

無理に積むより山にまかせたほうが早い、という判断だったのでしょう。

3. レンガの接着剤はもち米

レンガの接着剤はもち米

明代の長城でレンガを固めているモルタルには、もち米の煮汁が混ぜられていました。

消石灰にもち米の煮汁を加えると、強度も耐水性も上がることが分かっています。

効いているのはアミロペクチンという、もち米のでんぷん成分です。

すき間に入り込んで結晶の育ち方を整えるため、数百年たっても崩れにくい壁になったと考えられています。

※アミロペクチンは、もちの粘りのもとになるでんぷんの一種です

出典:浙江大学の研究チーム(Accounts of Chemical Research・2010年)

4. レンガに刻まれた職人名

レンガに刻まれた職人名

明代のレンガをよく見ると、文字が刻まれているものがあります。

文字磚と呼ばれ、作られた場所や職人の名前、監督した役人の名前まで記されていました。

不良品が見つかったときに、どこの誰が作ったものかをたどれるようにするためです。

品質管理という考え方は、思っていたよりもずっと古くからあったようです。

※「文字磚(もじせん)」は文字が刻まれたレンガのことです

歴史と言い伝えを見直す

ここからは、長城をめぐって語られてきた話を確かめていきます。

有名な逸話ほど、事実と伝説の線引きがあいまいになりがちです。

5. 最初の敵は遊牧民ではない

最初の敵は遊牧民ではない

長城といえば北の遊牧民を防ぐ壁という印象ですが、始まりは違いました。

春秋戦国時代、各地の国が争っていたころ、諸国は隣国の侵攻を防ぐために自国の境目へ壁を築いていきます。

つまり最初に想定していた相手は、中国国内の別の国だったわけです。

秦の始皇帝が統一を果たしたあと、それらの壁をつなぎ合わせて、北へ向けた長い防衛線に作り変えました。

6. 門は内側から開かれた

門は内側から開かれた

これだけの壁を築いても、王朝が守り切れたとは言いにくいところがあります。

1644年、明の将軍・呉三桂は自ら山海関の門を開き、清の軍を招き入れました。

壁は破られたのではなく、内側から開かれたのです。

明はこれで滅びました。

1211年にはチンギス・ハーンの軍も長城の線を越えています。

設備よりも守る人間の側が問題になりやすい、という話でもあります。

※「山海関(さんかいかん)」は長城の東の端に近い関所です

7. 宇宙から肉眼では見えない

宇宙から肉眼では見えない

「宇宙から肉眼で見える唯一の建造物」という話は広く知られていますが、これは誤りです。

中国で初めて宇宙へ行った楊利偉は、2003年に帰還したあと、長城は見えなかったとはっきり述べています。

壁は長いだけで幅は数メートルしかなく、周りの地面と色も似ているためです。

この俗説は宇宙飛行が始まるより前、18世紀ごろにはすでに語られていました。

※楊利偉(ヤン・リウェイ)は中国初の宇宙飛行士です

8. レーダーは砂の下を見た

レーダーは砂の下を見た

肉眼では見えない長城ですが、レーダーには写ります。

1994年、スペースシャトル・エンデバーに積まれたレーダーが、砂に埋もれていた隋代の長城をとらえました。

電波は乾いた砂を通り抜けるため、地表からは分からない構造物まで浮かび上がってきます。

目で探すよりも機械のほうが得意な仕事がある、ということでしょう。

出典:NASAジェット推進研究所などの調査(1994年)

9. 人柱伝説に物的証拠はない

人柱伝説に物的証拠はない

工事で亡くなった作業員が壁の中に埋め込まれている、という言い伝えがあります。

ただ、壁やモルタルから人骨が出たという事例は確認されていません。

物的な証拠はないまま、話だけが広まってきたことになります。

夫を工事で亡くした孟姜女が泣き続けると長城が崩れた、という伝説も有名ですが、これも古くから語り継がれてきた物語です。

※「孟姜女(もうきょうじょ)」は中国に伝わる伝説上の女性です

壁が残した意外な影響

最後は、長城が周りに残してきた影響と、その現在です。

壁は人の歴史だけでなく、土地や自然にも跡を残していました。

10. 壁は雨の境界線をなぞる

壁は雨の境界線をなぞる

長城が通るルートを地図に重ねると、年間降水量400mmの線とおおむね一致します。

この線は、雨に頼って畑を作れるかどうかの境目にあたります。

歴史学者の黄仁宇らは、壁が農耕民と遊牧民を分けたというより、もともとあった雨の境界に沿って壁が築かれたのだろうと見ています。

壁は境目を作ったのではなく、なぞったのかもしれません。

※黄仁宇(こう・じんう)は中国出身の歴史学者です

11. 植物の遺伝子まで分けた

植物の遺伝子まで分けた

壁が隔ててきたのは人の行き来だけではないようです。

北京の居庸関で長城の両側に生える植物を調べたところ、対象となった6種すべてで遺伝的な差が見つかりました。

壁が花粉や種子の行き来を長いあいだ妨げてきたためと考えられています。

虫が花粉を運ぶ種類のほうが影響を受けやすく、風にまかせる種類より差がはっきり出ていました。

※「居庸関(きょようかん)」は北京郊外にある長城の関所です

出典:中国の研究チーム(Heredity・2003年)

12. 3割はすでに消えている

3割はすでに消えている

長城は今も減り続けています。

2015年に報じられた中国長城学会の調査では、全体のおよそ3割がすでに消滅したとされました。

風雨による風化に加えて、近くの住民が家の材料としてレンガを持ち去ったことも一因です。

刻印の入った古いレンガが1個30元ほどで売られていた、とも伝えられます。

数百年もった壁が、思わぬところから削られています。

まとめ

万里の長城は、公式の全長が21,196kmという地球半周を超える建造物ですが、その4分の1は断崖などの自然地形をそのまま使った区間でした。

レンガを固めていたのはもち米入りのモルタルで、宇宙から肉眼で見えるという話のほうは誤りです。

こうして並べてみると、長城は一枚の巨大な壁というより、地形や技術、そして人の思い込みまで巻き込みながら積み上がってきた記録に見えてきます。

今も3割が失われたとされますが、残った部分にはまだ読み解けることがありそうです。

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更新日:2026年8月30日(日) 09:11

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