お彼岸の雑学11選!インドにも中国にもない日本だけ

春と秋、昼と夜の長さがほぼ同じになるころにやってくるお彼岸。

お墓参りをして、おはぎを食べる日、というくらいの認識の方も多いかもしれません。

ところが調べてみると、この行事はインドにも中国にもない日本だけのもので、春分の日と秋分の日は祝日としての趣旨も別々です。

しかも「昼と夜が同じ長さ」という説明そのものが、少しだけずれています。

そんなお彼岸にまつわる雑学を11個ご紹介します。

研究にもとづく項目には出典を添えています。

お彼岸はどこから来たのか

まずは、お彼岸という行事がどこで生まれ、どのように今の形になったのかを見ていきましょう。

言葉のほうは海を渡ってきましたが、行事そのものは日本で育ったものでした。

1. お彼岸は日本だけの行事

お彼岸は日本だけの行事

春と秋のお彼岸は、春分の日・秋分の日を中日とする各7日間に、先祖を供養する行事です。

「彼岸」という言葉自体は、サンスクリット語のパーラミターを訳した「到彼岸」の略とされ、もとは仏教の考え方から来ています。

ところが、この時期に7日間かけて先祖を供養するという習わしは、仏教が生まれたインドにも、それを伝えた中国にも見あたりません。

言葉は大陸から渡ってきたけれど、行事そのものは日本で育ったものと考えられています。

※「到彼岸(とうひがん)」は、迷いの世界から悟りの岸へ渡るという意味の言葉です。

2. 記録に残る最初は806年

記録に残る最初は806年

お彼岸の行事が記録に登場するのは、平安時代のはじめです。

『日本後紀』には、大同元年にあたる806年、早良親王のために国分寺の僧が春と秋の2回、7日間にわたって『金剛般若経』を読んだと記されており、これが彼岸会の初見とされています。

今のようにお墓参りをする行事とは形が違いますが、春と秋に7日間という枠組みは、この時点ですでにできあがっていたことになります。

※「彼岸会(ひがんえ)」はお彼岸に営まれる法要のことです。

早良親王は、のちに崇道天皇(すどうてんのう)と呼ばれた人物です。

3. 前身は宮中で行われた祭り

前身は宮中で行われた祭り

春分の日と秋分の日は、もともと春季皇霊祭・秋季皇霊祭という名前の祭日でした。

1878年の太政官布告で休日と定められた、歴代の天皇や皇族の霊をまつる宮中の祭りです。

1948年に国民の祝日に関する法律ができたときに、春分の日・秋分の日という今の名前に改められました。

ただし名前が変わったあとも祭りそのものがなくなったわけではなく、現在は皇室の私的な祭祀として続いています。

※「皇霊祭(こうれいさい)」は、天皇がみずから歴代の霊をまつる宮中の祭りです。

春分・秋分の日の素顔

ここからは、お彼岸の中心にある春分の日と秋分の日そのものの話です。

毎年当たり前のようにやってくる日ですが、その中身は思ったほど単純ではありません。

4. 昼のほうが少しだけ長い

昼のほうが少しだけ長い

春分の日と秋分の日は昼と夜の長さが同じ、と説明されることがよくありますが、実際には昼のほうが少し長くなります。

国立天文台によると、2020年3月20日の東京では日の出が5時45分、日の入りが17時53分で、昼が12時間8分、夜が11時間52分でした。

理由は2つあります。

日の出と日の入りが太陽の上の端と地平線が重なる瞬間で決められていること、そして地平線近くの太陽は光の屈折で実際より浮き上がって見えることです。

差の大きさは年や場所によって変わります。

※太陽が浮き上がって見える現象は「大気差(たいきさ)」と呼ばれます。

出典:国立天文台「よくある質問」(2020年の東京の値)

5. 四天王寺で沈む夕日を拝む

四天王寺で沈む夕日を拝む

大阪の四天王寺では、お彼岸の中日に西門の石鳥居ごしに沈む夕日を拝む、日想観という行いが続けられています。

この石鳥居のあたりは、古くから極楽浄土の東の門にあたると信じられてきました。

春分と秋分のころは太陽がほぼ真西に沈むため、鳥居の正面へ日が落ちていくように見えます。

沈む夕日の先に極楽を思い描くという、太陽の動きと信仰が重なった行事です。

今も中日の夕方には門の前で法要が営まれ、日が沈むまでを見届けることができます。

※「日想観(にっそうかん)」は、夕日を見つめて極楽浄土を思い描く修行です。

6. 春と秋で違う祝日の趣旨

春と秋で違う祝日の趣旨

春分の日と秋分の日は、祝日としての趣旨がそれぞれ別に定められています。

内閣府の説明では、春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」、秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」とされています。

どちらも同じようにお墓参りをする日と思われがちですが、先祖に触れているのは秋分の日のほうだけです。

春分の日は、芽吹きの季節にあわせて生き物や自然へ目を向ける日として位置づけられています。

出典:内閣府「国民の祝日について」

7. 来年の日付はまだ未定

来年の日付はまだ未定

春分の日と秋分の日は、日付が法律に書かれていません。

国民の祝日に関する法律には「春分日」「秋分日」とあるだけで、実際の日付は、国立天文台が計算した暦要項が前年2月の最初の官報に載ることで正式に決まります。

たとえば2027年の春分の日は3月21日、秋分の日は9月23日ですが、これが決まったのは2026年2月2日の発表でした。

1年の長さが365日ちょうどではないため、日付は年によって動きます。

※「暦要項(れきようこう)」は、翌年の暦の内容をまとめた国立天文台の資料です。

出典:国立天文台「令和9(2027)年暦要項の発表」(2026)

彼岸花とおはぎと言い伝え

最後は、お彼岸に見かける花や食べもの、そして言い伝えの話です。

身近なものほど、由来をたどると意外な顔が出てきます。

8. 飢饉を支えた毒の球根

飢饉を支えた毒の球根

秋のお彼岸のころに咲く彼岸花は、球根にリコリンというアルカロイドを含み、そのまま口にすると危険です。

ところが昔は、この球根が飢饉のときの食べものにされたと伝えられています。

球根を砕いて流水にさらすと毒が流れ出て、多量のでんぷんが採れるためで、救荒食とされていたようです。

田のあぜや墓地のそばでよく見かける花が、いざというときの備えでもあったことになります。

もちろん今まねをするものではなく、あくまで昔の話として伝わっています。

※「リコリン」は彼岸花などに含まれる有毒な成分です。

「救荒食(きゅうこうしょく)」は、飢饉をしのぐための食べものを指します。

出典:東邦大学薬学部附属薬用植物園「ヒガンバナ」

9. 実を結ばない秋の赤い花

実を結ばない秋の赤い花

日本の彼岸花は、染色体を3組もつ三倍体という性質のため、花が咲いても実を結びません。

増えるのはもっぱら球根が分かれることによるもので、同じ地域に生えている株はクローンとされています。

それでも全国のあちこちで見られるのは、人の手で運ばれたためと考えられています。

日本へどう伝わったかについては諸説ありますが、種をつくらない花が列島のすみずみまで咲いているのは、それだけ人との関わりが深い植物だったことの表れでもあります。

※「三倍体(さんばいたい)」は染色体の組が3つある状態で、種ができにくくなります。

出典:東邦大学薬学部附属薬用植物園「ヒガンバナ」

10. おはぎには4つの呼び名

おはぎには4つの呼び名

春のお彼岸に食べるものを「ぼたもち」、秋を「おはぎ」と呼び分けるのは知られていますが、名前はもう2つあると言われます。

農林水産省の紹介によると、夏は「夜船」、冬は「北窓」です。

もちのようにつかないので、いつついたのか分からない、つまり「つき知らず」が「着き知らず」に転じ、夜の船はいつ着いたか分からないことから「夜船」になったのだとか。

冬のほうは「月知らず」となり、北の窓からは月が見えないことから「北窓」と呼ばれるようになったそうです。

出典:農林水産省「春の和菓子 ぼたもち」

11. 結婚式を避けるのは俗説

結婚式を避けるのは俗説

お彼岸の時期に結婚式や引っ越しをするのは避けたほうがよい、という話を聞くことがあります。

ただ、これは俗説とされていて、お坊さんに尋ねても仏教的には問題ないとされているようです。

お彼岸はもともと、先祖を思いながら自分の行いを見つめ直す期間で、お祝いごとを禁じる決まりがあるわけではありません。

気をつけたいのは、家族や親族の予定がお墓参りと重なりやすいことくらいでしょう。

周りと相談したうえでなら、日取りとして避けなければならない理由はないようです。

まとめ

お彼岸をたどっていくと、言葉は仏教から、行事の形は日本から来ていることが見えてきます。

記録に残る最初は806年で、春分の日と秋分の日そのものも、もとは宮中の皇霊祭でした。

一方で、昼と夜の長さは実際には同じではなく、来年の日付も前年2月の官報を待たなければ正式には決まりません。

太陽の動きという動かしようのないものを軸にしながら、そこに乗せる意味づけのほうは、時代ごとに作り替えられてきたわけです。

今年のお彼岸は、おはぎを食べながら夕方の空を少し眺めてみてはいかがでしょうか。

更新日:2026年8月27日(木) 12:13

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