ミイラの雑学12選!昔は薬や絵の具として売られていた

ミイラが薬として売り買いされていた時代があったことをご存じでしょうか。すりつぶして絵の具にされたり、包帯をほどくショーの見世物になったりと、ミイラは意外な形で人の暮らしに入り込んできました。

ミイラが残っているのはエジプトだけではありません。チリやデンマーク、そして日本にも、それぞれの歴史を背負ったミイラがあります。

そんなミイラにまつわる雑学を12個ご紹介します。研究にもとづく項目には出典を添えています。

ミイラをめぐる奇妙なふるまい

まずは、ミイラが人の手でどう扱われてきたのかを見ていきます。今の感覚では信じがたい使われ方も少なくありません。

1. 薬として売られたミイラ

薬として売られたミイラのイラスト

「ミイラ」は、没薬を指すポルトガル語のmirraがなまった言葉とされます。英語のmummyのほうは、天然アスファルトを指すアラビア語mumiyaが語源です。

中東ではこの天然アスファルトが薬でしたが、12世紀ごろに不足します。誤訳も重なり、エジプトのミイラそのものが薬として出回り18世紀ごろまで使われていました。

江戸時代には日本にも入り、貝原益軒は『大和本草』で、人の肉は君子には耐えがたいと記しました。

※没薬(もつやく)は樹脂からとれる香料・薬のことです。

2. ミイラ色の絵の具があった

ミイラ色の絵の具があったのイラスト

18〜19世紀には、ミイラをすりつぶして作った茶色の絵の具「マミーブラウン」が人気を集めました。

画家のバーン=ジョーンズは原料を知ると、手元のチューブを庭に埋めて弔ったと、妻の回想録に話が残っています。1964年には、ロンドンの画材商が「数年前にミイラが尽きた」と報じられています。

3. 包帯をほどくショーが大人気

包帯をほどくショーが大人気のイラスト

19世紀のイギリスでは、ミイラの包帯をほどいて見せる催しが流行しました。有名なのが外科医トーマス・ペティグリューで、「ミイラ・ペティグリュー」とあだ名されたほどです。

1834年のロンドンの王立外科医師会でチケット制の回が開かれ、会場は満員に。私邸の集まりでも、包帯をほどいて見せていました。

4. 動物ミイラの3分の1は空っぽ

動物ミイラの3分の1は空っぽのイラスト

マンチェスター博物館と同大学は、古代エジプトの動物ミイラ800体以上をX線とCTで調べました。丸ごと入っていたのは約3分の1で、体の一部だけでも約3分の1です。

残りの約3分の1は空で、泥や枝、卵の殻や羽根が入っていました。研究者はこれを偽物とは見ておらず、動物に触れた物も神聖とされた可能性を指摘しています。

出典:マンチェスター大学(2015年)

5. ミイラのパスポートの真相

ミイラのパスポートの真相のイラスト

1976年、ラムセス2世のミイラは劣化を直すためパリへ運ばれ、空港でフランス軍の儀仗兵の礼と閣僚の出迎えを受けました。ここまでは本当の話です。

しかし、ミイラにパスポートが発行されたという話には根拠がありません。ネットで広まった画像は、2018年に作られたイラストでした。

※儀仗兵(ぎじょうへい)は、儀式のために整列する兵のことです。

世界のミイラの意外な素顔

ここからは、エジプトの外にも目を向けます。南米やヨーロッパにも、それぞれ事情の異なるミイラが残っています。

6. エジプトより古いチリのミイラ

エジプトより古いチリのミイラのイラスト

チリ北部のチンチョーロの人々は、紀元前5000年ごろから遺体を人工的にミイラにしていました。エジプトより約2000年早い、最古級の人工ミイラです。最初期には乳児や胎児のミイラが多く、2021年に世界遺産になりました。

ただ、ミイラも永久には残りません。近年は湿度が上がり、人の皮膚にふだんいる細菌が増えて、黒く傷み始めています。ハーバード大学の研究者らは、湿度40〜60%での保管をすすめました。

出典:ユネスコ/ハーバード大学(2015年)

7. 体に入れ墨が残るアイスマン

体に入れ墨が残るアイスマンのイラスト

1991年、アルプスの氷河でハイカーが偶然見つけた自然のミイラが「エッツィ」です。約5300年前の男性で、峠を越える途中で殺害されたとみられています。

体には線や十字の入れ墨が61個あり、2015年に研究チームが特殊な撮影で数えました。皮膚の切れ込みに炭をすり込んだもので、知られている中では最古級の入れ墨です。

出典:南チロル考古学博物館

8. 殺人事件と間違われた遺体

殺人事件と間違われた遺体のイラスト

1950年、デンマークの泥炭地で、顔がそのまま残った男性の遺体が見つかりました。泥炭を掘っていた人たちは最近の殺人事件だと思い、警察に通報します。

実は約2400年前の遺体で、「トーロンマン」と呼ばれています。首には革ひもがあり、胃に残る最後の食事は大麦が中心のおかゆでした。

泥炭地は冷たく酸素が少ない酸性の土地で、腐敗が進みにくいのです。皮膚や髪、爪は残る一方、骨はカルシウムが溶けて柔らかくなります。

※泥炭地(でいたんち)は、枯れた植物が分解されずに積もった湿地のこと。
※約2400年前は紀元前4世紀ごろにあたります。

出典:シルケボー博物館

9. レーニンの遺体の手入れ

レーニンの遺体の手入れのイラスト

1924年に亡くなったソ連の指導者レーニンの遺体は、モスクワの赤の広場にある廟で今も公開されています。

その姿を保つため、遺体は1年半ごとに地下の施設で洗われ、防腐液に浸して処理し直されるといいます。2016年には、維持作業の入札額として1300万ルーブルが公示されました。

※廟(びょう)は、亡くなった人をまつる建物です。
※処理の間隔は2年ごととする報道もあります。

日本に残るミイラたち

最後は日本のミイラです。お寺に今も伝わり、研究によって新しい姿が見えてきたものもあります。

10. 即身仏の伝承と本当の姿

即身仏の伝承と本当の姿のイラスト

即身仏(そくしんぶつ)は、厳しい修行の末に自らミイラとなった僧です。全国に17〜18体ほどが残り、うち8体は湯殿山信仰の残る山形県にあります。

生きたまま土に入り、3年3カ月後に掘り出されるという土中入定の話は寺の伝承で、記した古文書は見つかっていません。1960年代の調査では、多くに死後の乾燥などの処置が確かめられました。明治時代に墳墓の発掘や自殺ほう助が罪とされ、新たな即身仏は事実上途絶えます。

※湯殿山は「ゆどのさん」、土中入定は「どちゅうにゅうじょう」と読みます。
※体の数は数え方によって変わります。

11. 中尊寺のミイラとハスの種

中尊寺のミイラとハスの種のイラスト

岩手県平泉の中尊寺金色堂の須弥壇の下には、奥州藤原氏の清衡・基衡・秀衡のミイラ化した遺体と、4代目泰衡の首が眠っています。

1950年(昭和25年)の調査で、泰衡の首桶から約100粒のハスの種が見つかりました。種は大賀一郎博士に託され、門下の長島時子さんが発芽させます。そして1998年(平成10年)、初めて花が咲きました。約800年ぶりの花は「中尊寺ハス」と名づけられ、今も境内で咲いています。

※須弥壇(しゅみだん)は仏像を安置する台、首桶(くびおけ)は首を納める桶です。
※遺体が自然にミイラ化したのか、人の手で処理されたのかは議論があります。

出典:中尊寺/恵泉女学園短期大学(2001年)

12. 人魚のミイラの中身を調査

人魚のミイラの中身を調査のイラスト

岡山県浅口市の円珠院に伝わる体長約30cmの「人魚のミイラ」を、倉敷芸術科学大学などが約1年かけて調べました。

骨格はなく、中身は布や紙、綿の詰め物。上半身はフグ科、下半身はニベ科の魚の皮などで、毛は哺乳類のものでした。うろこの年代測定から、1800年代後半に作られた可能性が高いと分かっています。

出典:倉敷芸術科学大学(2023年)

まとめ

ミイラは、ただ古代の遺体として眠ってきたわけではありません。薬として売り買いされ、絵の具の原料になり、包帯をほどくショーの見世物にもなってきました。

一方で、チリのチンチョーロのミイラのように、今まさに傷み始めているものもあります。数千年残ってきたからといって、この先もずっと残るとは限らないのです。

日本にも、即身仏や中尊寺の奥州藤原氏のように、身近なところにミイラがあります。遠い国の話と思われがちなミイラですが、実は私たちの歴史ともつながっています。

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更新日:2026年10月15日(木) 12:34

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