ファーブルの雑学12選!受粉を教えて職を失う

『昆虫記』の著者として世界中で親しまれるジャン=アンリ・ファーブル。

南フランスの貧しい家に生まれ、ほぼ独学で学問を身につけ、虫たちの行動をひたすら観察し続けた人物です。

その一方で、教職を追われたり、染料の事業に挑んで夢やぶれたりと、波乱に満ちた人生も歩みました。

きのこの水彩画を描く多才さや、日本での意外な人気など、知れば知るほど奥深い魅力にあふれる存在です。

そんなファーブルにまつわる雑学を12個ご紹介します。

1. 円を描き続けた毛虫

円を描き続けた毛虫

マツノギョウレツケムシ(松につく行列性の毛虫)を植木鉢のふちに並べ、先頭と最後尾をつないで輪にする実験を行いました。

すぐそばに餌があるにもかかわらず、虫たちは決まった本能の動きから抜け出せず、1週間以上も同じ輪をぐるぐると回り続けたと伝えられています。

2. 獲物を生かす狩りバチ

獲物を生かす狩りバチ

狩りバチの一種ジガバチは、獲物を殺さずに神経を狙って刺し、麻酔をかけたように動けなくしたまま生かしておくことを見抜きました。

こうして幼虫の生き餌にする技を明らかにし、この一連の研究で1856年にモンティヨン賞(1855年という説もあります)を受けています。

3. 受粉の授業で職を失う

受粉の授業で職を失う

アヴィニョンの学校で女子生徒に植物の受粉、つまり花のめしべに花粉がつく生殖のしくみを教えたところ、当時の保守的な人々の強い反発を招いてしまいました。

その結果、彼は1868年に教職と住まいをともに失い、生活の基盤をゆるがす苦しい経験をすることになりました。

4. 幻に終わった染料の夢

幻に終わった染料の夢

アカネという植物の根から鮮やかな赤い染料をとる事業に取り組み、数件の特許を取って一攫千金をねらった時期がありました。

しかし1868年にドイツのBASF社が合成アリザリンという人工の赤色染料を工業化したことで、彼の計画はあえなく水泡に帰したといわれています。

5. きのこを描いた水彩画

きのこを描いた水彩画

ファーブルは昆虫だけでなく、森などに生えるきのこ(菌類)をていねいに観察し、その色や形までを精密な水彩画として数多く描き残しました。

晩年には600点前後ともいわれる作品を仕上げたと伝えられ、虫の研究者でありながら絵の才能にもめぐまれた多才な人物でした。

6. 荒れ地に築いた昆虫の楽園

荒れ地に築いた昆虫の楽園

55歳ごろ、ファーブルは南フランスのセリニャン村はずれに小さな土地を買い、荒れ地を意味する言葉から「アルマス」と名づけました。

そこを誰にもじゃまされずに虫の観察と執筆へ心ゆくまで打ちこめる、自分だけの静かな昆虫の楽園としてつくり上げていったのです。

7. 28年をかけた昆虫記

28年をかけた昆虫記

代表作『昆虫記』は、全部で10巻という大部の作品を少しずつ書き上げるのに、およそ28年もの長い歳月をかけた一大事業でした。

第1巻の執筆にとりかかったのは55歳ごろ(1878〜79年)で、最終巻を書き終えたのはなんと84歳ごろ(1907年)のことだったと伝えられています。

8. 日本で愛された昆虫記

日本で愛された昆虫記

『昆虫記』は日本でとりわけ親しまれてきた作品で、初の本格的な日本語訳は無政府主義者として知られる大杉栄によって1922年に手がけられました。

のちには作家でフランス文学者の奥本大三郎が個人で全10巻を訳しきり、その大きな功績で2017年に菊池寛賞を受けています。

9. 91年に及ぶ長い生涯

91年に及ぶ長い生涯

ファーブルは南フランスの貧しい農家に生まれ、1823年から1915年までの91年というたいへん長い生涯を送った息の長い人物です。

決して恵まれた環境とはいえないなかで、幼いころから自然に親しみ、生涯を通じて身近な生き物の観察を根気強く続けたことで知られています。

10. ほぼ独学で歩んだ学者

ほぼ独学で歩んだ学者

家が貧しかったためにほとんど正規の教育を受けられず、独りで書物に向かうなどして、ほぼ独学で学問を身につけて学者になりました。

進化論で広く知られるダーウィンは、そんな彼を「無比の観察者」という言葉で呼び、その観察の力を高く評価したと伝えられています。

11. ダーウィンと交わした手紙

ダーウィンと交わした手紙

ファーブルはダーウィンと手紙のやりとりを重ね、その鋭い観察眼をたいへん高く評価されていました。

ただし彼自身は、昆虫が生まれつき持つ本能をどう説明するかという点をめぐって、当時世に広まりつつあった進化論には最後まで賛同しなかったといわれています。

12. 昆虫のホメロスと称され

昆虫のホメロスと称され

ファーブルは詩のように美しく生き生きとした文章でも知られ、その豊かな筆づかいから「昆虫のホメロス」と呼ばれることがあります。

晩年の1912年にはノーベル文学賞の候補にもその名が挙がり、すぐれた自然の観察者であると同時に文筆家としても高く評価されました。

更新日:2026年7月20日(月) 09:41

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