幕末から明治維新にかけて活躍し、近代日本の礎を築いた最大の功労者とも言われる西郷隆盛は、1828年に薩摩藩(現在の鹿児島県)の下級武士の家に生まれました。
主君である島津斉彬に見出されて才能を開花させ、江戸城無血開城を実現するなど歴史を大きく動かします。
上野公園の犬を連れた銅像でもおなじみですが、その素顔は意外なエピソードに包まれています。今回は、情に厚く愛された彼の驚きの雑学を11個ご紹介します。
1. 上野の銅像は本人に似ていない

上野の銅像の除幕式にて、妻の糸子が「うちの人はこんな人じゃなかった」と激しく驚愕したという有名なエピソードが残されています。
実は彼自身の写真が1枚も残存していなかったため、親戚の顔のパーツを上手く組み合わせて作り上げられた完全な想像上の姿なのです。
2. 「隆盛」は本当の名前ではない

彼の本当のフルネームは「西郷隆永(たかなが)」でしたが、王政復古の際に親友の吉井友実が本名をうっかり度忘れするという珍事件が起きました。
その時とっさに父親の名前である「隆盛」を誤って役所へ登録してしまったため、以降は一切訂正せずそのまま使われる事になりました。
3. 写真が1枚も残っていない

彼は極端なほどの写真嫌いだったと言われており、現在私たちが直接見ることができる彼の肖像画や銅像などは全て想像の産物なのです。
死後に弟の西郷従道や従弟の大山巌といった身近な血縁者の顔を、下半分や上半分に細かく分けて参考にして描かれた架空の姿なのです。
4. 当時としては規格外の巨漢だった

彼の身長は約180センチメートルもあり、体重は100キログラムを超えるほどの堂々とした立派な体格だったと今でも語り継がれています。
当時の日本人男性における平均的な身長が155センチメートル程度しかなかった事実を考慮すると、彼は非常に目立つ存在でした。
5. 極度の肥満でダイエットした

彼は大好物であった豚肉などの脂っこい食事のせいで重度の肥満に悩み、ドイツ人医師のホフマンから減量を命じられたのだそうです。
そのため最適な有酸素運動として、愛する犬を複数連れて山野を駆け巡る激しい「ウサギ狩り」を頻繁に行い、自身の健康維持に努めました。
6. 愛犬家であり、銅像の犬にも名前がある

彼は無類の犬好きとして広く知られており、上野公園の有名な銅像で連れている薩摩犬には「ツン」という名があります。
しかし驚くべきことに、実際の銅像を精巧に作った際のモデルとなった犬はツンではなく、別の雄犬を参考にして作られています。
7. 温泉を愛する湯治客だった

彼は極度の肥満や深刻な持病の治療などを目的とし、疲れた心身の休養のために全国各地の温泉へ足繁く通う大の温泉好きでした。
特に地元鹿児島県の鰻温泉や日当山温泉などの名湯へは頻繁に訪れており、現在でもゆかりの宿や実際に入った温泉が残されているのです。
8. 2度の島流しを経験している

生涯の中で奄美大島と沖永良部島という南の島へ2度にわたる過酷な流罪を経験し、波乱万丈な人生における大きな試練を受けます。
特に沖永良部島では雨風をしのぐ事も困難な野ざらしの牢獄生活を送りましたが、その過酷な経験が彼の思想をより深く形成したのです。
9. 江戸城無血開城という歴史的偉業

旧幕府軍の代表である勝海舟との歴史的なトップ会談により、江戸への総攻撃が始まる直前で奇跡的な「無血開城」を見事に実現します。
これにより江戸の町を戦火から完全に救い出したというこの歴史的偉業は、彼が持つ高い交渉力と決断力を示す素晴らしい逸話です。
10. 女性にモテたが恋愛には不器用だった

彼は波乱万丈なその生涯において計3回の結婚をしており、奄美大島へ流罪となった際には現地の女性・愛加那(あいかな)と深く結ばれました。
とても情に厚く多くの人に慕われる大きな存在でしたが、女性に対しては照れ屋で不器用な愛らしい一面も持ち合わせていました。
11. 漢詩の達人だった

彼は荒々しい勇猛な武将としてのイメージを世間から強く持たれがちですが、実は大変教養が深くて優れた漢詩を数多く残しているのです。
有名な「敬天愛人」という座右の銘も彼自身が好んで揮毫した言葉であり、思想家としての深い精神性や知的な一面を強く感じさせてくれます。
更新日:2026年5月4日(月) 12:27

ローマ帝国に関する豆知識
前田利家に関する豆知識
ルイ一世に関する豆知識
アレクサンドロス大王に関する豆知識
カール大帝に関する豆知識
聖徳太子に関する豆知識
坂本龍馬に関する豆知識