縄文時代の雑学13選!暴力で亡くなった人はわずか1.8%

縄文人の平均寿命は約15歳とされますが、大人の3割は65歳以上まで生きたとの推定があります。約7400年前の犬の墓もあります。

縄文時代は約1万6000年前に始まり、1万年以上続きました。

そんな縄文時代にまつわる雑学を13個ご紹介します。

土器と住まいに見る暮らし

まずは、縄文人が何を食べ、どんな家に住んでいたのかを見ていきましょう。

1. 縄文土器で魚を煮ていた

縄文土器で魚を煮ていたのイラスト

青森県外ヶ浜町の大平山元遺跡では、焦げの付いた土器のかけらが見つかりました。焦げは約1万6500〜1万5000年前のものと測定され、北東アジア最古級の土器とされています。

2013年にNatureで発表された研究では、日本の初期の土器の焦げから魚の脂が検出されました。川魚や海の幸を煮るのに使われていたとみられます。

※大平山元遺跡は「おおだいやまもといせき」と読みます。

出典:Nature(2013年)

2. 縄文クッキーの本当の中身

縄文クッキーの本当の中身のイラスト

縄文クッキーは、クッキーのような形をした炭のかたまりです。山形県高畠町の押出遺跡の出土品は、1980年代に脂肪酸の分析で調べられました。

クリやクルミの粉に肉や血、鳥の卵を混ぜたものと推定され、「縄文ハンバーグ」とも呼ばれます。しかし、この分析法はのちに信頼性が疑われました。今は、木の実の粉を固めて焼いたものとする見方が有力です。

※押出遺跡は「おんだしいせき」と読みます。脂肪酸は、油や脂のもとになる成分のことです。

3. クリ林を管理した可能性

クリ林を管理した可能性のイラスト

縄文時代の集落の跡では、まわりの地層からクリの花粉がたくさん見つかることがあります。人が集落の近くでクリ林を手入れし、管理や栽培をしていた可能性が高いと推定されます。

クリの実は、保存のきく大切な食料になりました。まっすぐで腐りにくい木は、住まいの柱や燃料としても役立ちました。

4. 土をかぶせた屋根の住まい

土をかぶせた屋根の住まいのイラスト

竪穴住居は、地面を掘り下げて床をつくった縄文人の住まいです。竪穴式住居や竪穴建物とも呼ばれます。

屋根は草ぶきのイメージが強いものの、土で覆ったものもありました。岩手県一戸町の御所野遺跡では、焼けた住居の跡からそのことがわかっています。掘り下げた床は、外の暑さや寒さの影響を受けにくいとされます。

※竪穴は「たてあな」、御所野遺跡は「ごしょのいせき」と読みます。

身を飾る文化と祈りの形

続いては、身を飾る習わしや抜歯の風習、土偶にまつわる話です。

5. 成長に合わせた耳飾り

成長に合わせた耳飾りのイラスト

縄文人は、土でつくった耳飾りを身につけていました。新潟県上越市の籠峰遺跡からは、大小さまざまな耳飾りが約1000点も出土しています。

上越市によると、年齢に応じて小さなものから大きなものへ付け替えた可能性があります。付け方には2つの説があり、耳たぶの穴に通したとも、切れ目で耳たぶを挟んだとも言われます。

※籠峰遺跡は「かごみねいせき」と読みます。

出典:上越市公式サイト

6. 6000年前の赤い漆塗りの櫛

6000年前の赤い漆塗りの櫛のイラスト

福井県若狭町の鳥浜貝塚からは、約6000年前の赤い漆塗りの櫛が見つかっています。一枚の木から削り出したもので、国の重要文化財に指定されました。

漆の利用はさらに古く、北海道函館市の垣ノ島遺跡では約9000年前の世界最古級の漆製品が出土しています。赤い色には、魔除けや身分を示す意味があったという推定もあります。

※鳥浜貝塚は「とりはまかいづか」、垣ノ島遺跡は「かきのしまいせき」と読みます。漆は、ウルシの木の樹液からつくる塗料のことです。

7. 顔に入れ墨をしていた?

顔に入れ墨をしていたのイラスト

縄文時代の終わりごろの土偶には、顔に線が刻まれたものがあります。この線は、入れ墨やひげを表したものと解釈されています。

3世紀の中国の歴史書『魏志』倭人伝には、倭の男性が顔や体に入れ墨をする「黥面文身」の記述があります。ただしこれは弥生時代の記録で、縄文の入れ墨を示す手がかりの一つにすぎません。

※黥面文身は「げいめんぶんしん」と読み、顔や体に入れ墨をすることです。倭は、当時の中国が日本を呼んだ名前です。

8. 大人の証しに歯を抜いた

大人の証しに歯を抜いたのイラスト

縄文人には、健康な歯を抜く風習がありました。抜歯の跡は、だいたい14〜16歳以上の人骨に見られます。

愛知県の吉胡貝塚や岡山県の津雲貝塚などで多くの例が見つかっています。成人のときは上あごの犬歯、結婚のときは下あごの歯など、機会ごとに抜く歯が違ったという説があります。家族が亡くなったときにも抜いたと考えられています。

※吉胡貝塚は「よしごかいづか」、津雲貝塚は「つくもかいづか」と読みます。

9. 土偶の多くは壊れて出土

土偶の多くは壊れて出土のイラスト

土偶の多くは、欠けた状態で見つかります。青森県つがる市の亀ヶ岡遺跡で出土した遮光器土偶も、その一つです。東京国立博物館が所蔵する重要文化財です。

土偶は、病気やけがの身代わりとしてわざと壊されたという説があります。一方で金子昭彦は岩手県の土偶1035点を分析し、壊れ方は形や構造で説明できると反論しました。

※遮光器土偶は「しゃこうきどぐう」、亀ヶ岡遺跡は「かめがおかいせき」と読みます。

10. 初めて国宝になった土偶

初めて国宝になった土偶のイラスト

「縄文のビーナス」は、長野県茅野市の棚畑遺跡で出土した約5000〜4000年前の土偶です。高さ27cm、重さ2.14kgで、妊娠した女性のようなふっくらした姿をしています。

多くの土偶と違い、ほぼ完全な形で見つかりました。1995年には、縄文時代の出土品として初めて国宝に指定されています。

※棚畑遺跡は「たなばたけいせき」と読みます。

命と向き合った縄文社会

最後は、犬の埋葬や争いと寿命など、命にまつわる話を紹介します。

11. 愛犬を手厚く葬った縄文人

愛犬を手厚く葬った縄文人のイラスト

日本最古の埋葬された犬は、愛媛県久万高原町の上黒岩岩陰遺跡で見つかった2体です。約7400〜7200年前のものです。

骨折が治った跡のある犬の骨も見つかっています。けがで狩りに出られなくなっても、世話をされていたことがうかがえます。千葉県市原市の草刈貝塚では、人の墓が集まる場所に犬が葬られていました。

※上黒岩岩陰遺跡は「かみくろいわいわかげいせき」、久万高原町は「くまこうげんちょう」、草刈貝塚は「くさかりかいづか」と読みます。

12. 争いはゼロではなかった

争いはゼロではなかったのイラスト

縄文時代は、争いのない時代と言われることがあります。ただ、武器による傷が残る人骨もあり、争いがゼロだったわけではありません。

岡山大学などの研究チームは2016年、暴力による死亡率を調べました。対象は242か所の遺跡の人骨2582点です。暴力で亡くなった割合は1.8%で、ほかの狩猟採集社会より低い結果でした。

※狩猟採集社会は、狩りや漁、木の実集めなどで食べ物を得て暮らす社会のことです。

出典:岡山大学・山口大学ほかの研究チーム(2016年)

13. 大人の寿命は意外と長い

大人の寿命は意外と長いのイラスト

縄文人の平均寿命は、1967年の小林和正の推定で約15歳とされてきました。15歳時点の平均余命も、約16年という計算でした。

平均寿命が低いのは、幼くして亡くなる子どもが多かったためです。長岡朋人の新しい推定では、15歳時点の平均余命は31.5年でした。大人の人骨のうち、32.5%が65歳以上と見積もられています。

※平均余命は、ある年齢の人があと何年生きられるかを示す平均の年数のことです。

出典:日本学術振興会 研究成果報告

まとめ

縄文人は土器で魚などを煮て、集落のまわりのクリ林を手入れしながら暮らしていました。耳飾りや漆塗りの櫛で身を飾り、けがをした犬の世話をして手厚く葬っています。

暴力で亡くなった人の割合は1.8%と低く、65歳を超えて生きた大人も少なくありませんでした。研究が進み、縄文人の素顔が少しずつ見えてきています。

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更新日:2026年9月30日(水) 05:51

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