兵馬俑の雑学12選!色は出土後4分で剥がれ落ちる

兵馬俑と聞くと、土色の兵士がずらりと並ぶ姿を思い浮かべる人が多いでしょう。ところが本来は、朱や緑など10種類以上の色で鮮やかに塗られた像だったのです。

秦の始皇帝の陵墓の近くに眠るこの軍団は、1974年3月、村人の井戸掘りがきっかけで見つかりました。発見から約50年たった今も発掘は続き、多くの謎が残されています。

そんな兵馬俑にまつわる雑学を12個ご紹介します。研究にもとづく項目には出典を添えています。

発見のいきさつと軍団の正体

兵馬俑の発見は、ある村の井戸掘りから始まりました。まずは見つかった経緯と、軍団の規模や役割を見ていきます。

1. 井戸掘りで見つかった地下軍団

井戸掘りで見つかった地下軍団のイラスト

1974年3月、陝西省臨潼県(現在の西安市臨潼区)の西楊村で、数人の村人が井戸を掘っていました。干ばつの中で掘り進めると、陶製の像の破片が出てきたのです。

とはいえ、最初から約8000体の軍団が見えていたわけではありません。この破片をきっかけに調査が始まり、軍団の姿が少しずつ明らかになりました。

※陝西省(せんせいしょう)、臨潼(りんどう)。
※発見した村人の人数は資料によって異なるため、ここでは「数人」としています。

2. 発見者は博物館のサイン係に

発見者は博物館のサイン係にのイラスト

発見した村人の一人である楊志発さんは、のちに博物館の売店で働くようになりました。仕事は、来館者が買った本にサインをすること。1990年代半ばごろからのことです。

月給は300元から始まり、のちに1000元まで上がりました。ただし誰が発見者なのかをめぐっては、複数の人が名乗り出ていて主張が分かれたままです。

※楊志発(ようしはつ)。元(げん)は中国のお金の単位です。

3. 推計約8000体という大軍団

推計約8000体という大軍団のイラスト

1〜3号坑の陶製の兵士と馬を合わせると、その数は約8000体(推計)にのぼります。ただ、実際に掘り出されたのは約2000体です。

兵士の像はほぼ等身大で、身長は平均約1.8mあります。将校クラスには2m近いものもあり、ずらりと並ぶ様子はかなりの迫力です。

※約8000体は人と馬を合わせた推計値です。
※坑(こう)は地面に掘った穴のことです。

出典:新華社(2024年)/ブリタニカ百科事典

4. 兵馬俑は何のために作られた?

兵馬俑は何のために作られたのイラスト

兵馬俑は死後の始皇帝を守る「地下の軍団」とされます。坑は陵墓の東に約1.5kmの所にあり、軍団は東を向いて並びます。

秦では紀元前384年に殉死をやめさせたと『史記』にあり、俑はその代わりとみる説もあります。ただ同書には、葬儀で後宮の女性や職人を墓に閉じ込めたとも書かれ、殉死が消えたとは言い切れません。

※俑(よう)は墓に納める人形、陵墓(りょうぼ)は皇帝の墓のことです。
※殉死(じゅんし)は、主君の死に家臣が従って死ぬことです。
※『史記』(しき)は古代中国の歴史書、後宮(こうきゅう)は皇帝の妻たちが暮らした場所です。

1体ごとに隠された秘密

遠目には同じに見える兵馬俑ですが、作り方や色には意外な工夫や事情があります。

5. 兵馬俑の顔は全部違う?

兵馬俑の顔は全部違うのイラスト

兵馬俑の頭部は、8〜10種類ほどの型で大まかな形を作ったとみられます。そこに目や鼻、ひげなどを後から彫り分けて仕上げたのです。

2014年、ロンドン大学などの研究チームが30体の耳を3Dで計測すると、同じ形の耳はありませんでした。ただ型を使う以上、実在の兵士の肖像とまでは言えないとチーム自身も述べています。

※現時点で言えるのは「同じ顔はまだ見つかっていない」というところまでです。

出典:ロンドン大学(2014年)

6. 胴は空洞、重さは150kg以上

胴は空洞、重さは150kg以上のイラスト

兵馬俑の脚と下半身は、中まで粘土がぎっしり詰まっています。一方で胴体は粘土のひもを積み上げて作られたため、中が空洞です。

頭や腕、手は別々に作り、後から取り付けました。重さは復元実験の値から、1体あたり150〜200kgほどと見積もられます。下半身が重いぶん重心が低くなり、立ち姿も安定しやすくなります。

※重さは復元実験にもとづく目安です。

出典:メトロポリタン美術館

7. 本当はカラフルだった兵馬俑

本当はカラフルだった兵馬俑のイラスト

兵馬俑はもともと、下地に漆を塗った上から朱や緑など10種類以上の色で彩色されていました。しかし出土して空気に触れると、漆の層が乾いて反り返り、色ごと剥がれてしまいます。

秦始皇帝陵博物院の研究者によると、変化は出土後15秒で始まり、4分ほどで剥がれるといいます。今の兵馬俑の多くが土色なのは、このためです。

※漆(うるし)は木の樹液から作る塗料、朱(しゅ)は赤い色のことです。

出典:人民日報(2024年)

8. 顔が緑色に塗られた兵馬俑

顔が緑色に塗られた兵馬俑のイラスト

片ひざをついて弩を構える跪射俑のなかに、顔に緑の顔料が塗られた1体があります。緑の顔は、出土した兵馬俑の中でこの1体だけとされます。

なぜ緑なのかは分かっていません。職人の偶然とする説や、鬼払いの儀式とつながる魔よけとする説などがあります。特別な意味があるとは限らないとみる研究者もいます。

※跪射俑(きしゃよう)。弩(いしゆみ)は、引き金で矢を放つ弓です。

武器と発掘、陵墓に残る謎

最後は、兵馬俑が持っていた武器の研究や発掘の現状、陵墓をめぐる謎を紹介します。

9. 錆びない武器の本当の理由

錆びない武器の本当の理由のイラスト

兵馬俑が持つ本物の青銅の剣は錆びずに残り、秦がクロムめっきで錆止めしたという説が広まりました。2019年、ロンドン大学などの研究でこの説は否定されます。

調べた464点のうちクロムが出たのは37点だけで、出どころは近くの漆でした。錆びにくかったのは主に弱アルカリ性で粒の細かい土に埋まっていたためとみられます。

※青銅(せいどう)は銅にすずを混ぜた金属です。
※クロムめっきは、金属の表面をクロムで薄くおおう加工のことです。

出典:ロンドン大学(2019年)

10. 発掘はまだ全体の一部だけ

発掘はまだ全体の一部だけのイラスト

発見から約50年たった今も、発掘が終わったのは全体の6分の1ほどともいわれます。研究者による推計ですが、まだ多くが地下に眠っているのです。

理由の一つは、先に紹介した彩色の問題です。色を守る技術が整うのを待ち、あえてゆっくり掘り進めています。割れた破片が混ざり合い、手作業で組み直す手間もかかります。

※6分の1は確定した数字ではなく、目安です。

出典:Sixth Tone(2023年)

11. 兵士だけじゃない陪葬坑

兵士だけじゃない陪葬坑のイラスト

陵墓の周りには兵馬俑のほかにも多くの陪葬坑があります。1999年に見つかった坑からは、腰布だけを巻いた百戯俑が11体出土しました。

水鳥の坑からは、等身大の青銅の水鳥46点が出ました。内訳は白鳥と雁が20点ずつ、鶴が6点です。楽器を奏でるような姿の俑も15体あり、鳥を音楽に合わせて踊らせていたとみる説もあります。

※陪葬坑(ばいそうこう)は、主の墓に付き添う形で設けられた穴です。
※百戯俑(ひゃくぎよう)は雑技俑とも呼ばれます。
※雁(がん)と読みます。

12. 陵墓の上空に高い水銀濃度

陵墓の上空に高い水銀濃度のイラスト

司馬遷の『史記』には、陵墓の地下に水銀で川や海を再現したとあります。2020年の研究で、墳丘の上空の水銀濃度が測られました。

値は最大で1立方メートルあたり約27ナノグラムです。周辺のふだんの値より高く、『史記』の信ぴょう性を高める結果でした。ただ水銀の川が確認されたわけではなく、陵墓本体も未発掘です。

※司馬遷(しばせん)は『史記』を書いた古代中国の歴史家です。
※墳丘(ふんきゅう)は土を盛り上げた墓の部分です。
※周辺のふだんの水銀濃度の値は1立方メートルあたり5〜10ナノグラム程度です。ナノグラムは10億分の1グラムを表します。

出典:サイエンティフィック・リポーツ(2020年)

まとめ

兵馬俑は、秦の始皇帝の陵墓を守るように並ぶ地下の軍団です。今は土色に見えますが、もとは10種類以上の色で塗られたカラフルな像でした。その色は出土すると数分で剥がれてしまうため、発掘はあえてゆっくり進められています。

約8000体と推計される軍団のうち、掘り出されたのは約2000体です。陵墓本体もまだ発掘されておらず、『史記』に書かれた水銀の川があるのかは分かっていません。見えているのは、まだほんの一部なのです。今後の発掘でどんな発見があるのか、楽しみに待ちたいところです。

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更新日:2026年10月21日(水) 11:19

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