フランス軍が見つけた石なのに、なぜロンドンの大英博物館にあるのでしょうか。ロゼッタストーンには、英仏が奪い合い、知恵を競い合った物語が詰まっています。
石に記されているのは、紀元前196年に神官たちが出した布告です。同じ内容がヒエログリフと民衆文字、ギリシャ文字の3種類で刻まれており、これが古代エジプトの文字を読み解く鍵になりました。
そんなロゼッタストーンにまつわる雑学を12個ご紹介します。研究にもとづく項目には出典を添えています。
フランス軍の手にあった石
ロゼッタストーンは、見つかってから約2年をフランス軍のもとで過ごしました。まずは発見から手放すまでの話です。
1. ナポレオン軍が砦の壁で発見

1799年7月、ナポレオン軍がナイル河口の町ロゼッタ近くの砦で工事中に見つけました。発見日は15日とも19日ともいわれます。
石は土の中ではなく、砦の古い壁に組み込まれていました。15世紀に砦を築く際、古い石を建材に使ったと考えられています。価値に気づいたのはブシャール中尉で、見つけた兵士の名は不明です。
※ロゼッタは、アラビア語でラシードと呼ばれる町のヨーロッパでの呼び名です
出典:大英博物館
2. 石を版にして刷った写し

遠征には学者たちも同行しており、1800年にカイロで石の写しを作りました。石の表面に印刷用のインクを塗り、紙を押し当てて刷り取る方法です。
石そのものを版として使ったわけです。この刷りは同じ年にデュガ将軍がパリへ持ち帰り、ヨーロッパの学者たちが解読に使いました。
3. 「私物だ」と主張した将軍

1801年、英国とオスマン帝国の連合軍に追い詰められても、司令官のメヌー将軍は石を渡そうとしませんでした。引き渡しを求められると、石は自分の私物だと主張したと伝わります。
英国人のクラークは、石がカーペットに包まれてメヌーの荷物に隠されていたと書き残しています。
※学者たちの所有物だと主張したとする資料もあります
4. 降伏条約の第16条で英国へ

1801年9月、アレクサンドリアのフランス軍が正式に降伏しました。結ばれた降伏条約の第16条には、フランス側が集めた写本や彫像などを英国に引き渡すと定められています。
ロゼッタストーンも、この条文によって英国のものになりました。
海を渡った石と解読競争
石はやがて英国へ運び出されます。その後、刻まれた文字の解読でも英仏の学者が競い合うことになりました。
5. 悪魔の荷車で運び出された

英国のターナー大佐は、1810年の手紙に運び出しの様子を書いています。砲兵の一隊と、力の強さから「デビル・カート」と呼ばれた運搬具を与えられ、メヌーの家から路地を抜けて運んだといいます。
ただし証人のいない本人の主張で、異説もあります。石はフランスから奪った軍艦で運ばれ、1802年にポーツマス港へ着きました。
6. 英仏の天才が競った解読

英国のトマス・ヤングは、王の名を囲む枠から「プトレマイオス」の文字の一部を読み、1819年に百科事典で発表しました。一方、フランスのシャンポリオンは1822年にパリの学会で解読を発表します。聴衆の中には、偶然パリに来ていたヤングもいました。
シャンポリオンは独力でたどり着いたと主張し、ヤングの貢献を十分には認めませんでした。それでも、ヤングがフランス科学アカデミーの会員に選ばれる際には支持しています。
※王の名を囲む枠は「カルトゥーシュ」と呼ばれます
7. 「わかったぞ!」と叫んで気絶

解読に成功したシャンポリオンは兄のもとへ駆け込み、「わかったぞ!」と叫んで気を失ったという逸話があり、そのまま数日寝込んだとも語られています。
ただしこれは家族に伝わる話で、書き留められたのはのちの伝記でした。日付や場面の描写も、本によって少しずつ違います。
大英博物館に来てからの石
英国に着いた石は、大英博物館に収められました。ここからは、博物館に来てからの石の歩みです。
8. 側面に残る「英国軍が捕獲」

石の側面には、英語で「1801年に英国軍がエジプトで捕獲」「国王ジョージ3世寄贈」と書かれています。刻んだのではなく、白い塗料で書かれた文字だそうです。英国に渡ったいきさつが、今も石の上に残されています。
※原文は「CAPTURED IN EGYPT BY THE BRITISH ARMY IN 1801」「PRESENTED BY KING GEORGE III」です
9. 戦争中は地下の駅へ避難

第一次世界大戦中の1917年、ロンドンへの空襲を心配して、石を避難させることが決まりました。行き先は博物館に近いホルボーン付近の、建設中だった郵便用の地下鉄道の駅です。
石は地下約15mで約2年間保管されました。第二次世界大戦のときは、別の地下鉄駅であるオルドウィッチ駅に避難しています。
10. 展示で館外へ出たのはパリだけ

戦時の避難を除くと、石が博物館の外に出たのは1972年10月の1か月だけとされます。シャンポリオンが解読を発表してから150年を記念し、パリのルーヴル美術館で展示されました。
館内で最も多くの人が見る展示物として知られています。エジプト彫刻の展示室に置かれ、無料で見学できます。
11. 実は黒い石ではなかった

ロゼッタストーンは長いあいだ「黒い玄武岩」と説明されてきました。ところが1999年に洗浄すると、ピンクの筋が1本入った暗い灰色の花崗閃緑岩だとわかります。
黒く見えた主な原因は、表面に塗られたワックスと、文字を白く目立たせるためのチョークなどでした。写しを取るときの印刷インクや、見学者の手の脂も一因です。
※花崗閃緑岩は「かこうせんりょくがん」と読みます
出典:大英博物館
12. 今も続く返還を求める声

エジプトでは2022年、元考古相のザヒ・ハワスが返還を求める署名活動を始めました。2026年の報道では署名は約35万筆に達しています。
一方で大英博物館は、降伏条約には当時エジプトを名目上治めていたオスマン帝国の提督も署名していると説明します。エジプト政府から正式な返還要請は受けていないという立場です。
※考古相は、遺跡や文化財を担当する大臣です
※提督は、海軍の艦隊を率いる司令官のことです
出典:大英博物館/The National(2026年)/Al Jazeera(2022年)
まとめ
ロゼッタストーンは、フランス軍が砦の壁の中から見つけた石でした。ところが降伏条約によって英国に渡り、側面には今も「英国軍が捕獲」の文字が残っています。
解読ではヤングとシャンポリオンが競い合い、石をめぐる英仏の張り合いは文字の世界にも及びました。黒いと思われていた色が実は灰色だったことや、返還を求める声が続いていることも、この石が今も話題になる理由です。
大英博物館を訪れることがあれば、側面の文字にも目を向けてみてください
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更新日:2026年10月27日(火) 09:22

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