カール大帝の雑学12選!字を書くのが苦手だった皇帝

カール大帝は、8〜9世紀に今のフランスやドイツを含む広い地域を治めたフランク王国の王です。800年にはローマで皇帝の冠を受け、「ヨーロッパの父」とも呼ばれました。

世界史の教科書でおなじみの人物ですが、字を書くのが苦手だったり、遠い国から象を贈られたりと、意外な話も少なくありません。トランプや騎士物語にも、その名前が今も残っています。

そんなカール大帝にまつわる雑学を12個ご紹介します。

西ヨーロッパをまとめた皇帝

まずは、カール大帝が皇帝としてどんなことを成しとげたのかを見ていきましょう。

1. 呼び名は「ヨーロッパの父」

呼び名は「ヨーロッパの父」

西ローマ帝国が滅びた後、西ヨーロッパの大部分をはじめてひとつにまとめたのがカール大帝です。「ヨーロッパの父」という呼び名は、799年頃に書かれた同時代の詩が出どころでした。

帝国は彼の死後、843年のヴェルダン条約などで分かれていきます。これがのちのフランス・ドイツ・イタリアの原型になりました。

※当時の領土にブリテン島は含まれず、イベリア半島もごく一部でした。

2. 800年のクリスマスに戴冠

800年のクリスマスに戴冠

800年12月25日、カール大帝はローマのサン・ピエトロ大聖堂で、教皇レオ3世から皇帝の冠を受けました。一般には、西ローマ帝国の復活と説明される出来事です。

この戴冠は、ローマ教会が東ローマ帝国から自立するきっかけにもなりました。反発したビザンツ側がカールの皇帝の称号を認めたのは、812年のことです。

※ビザンツ帝国は、東ローマ帝国の別の呼び名です。

3. 世界遺産アーヘン大聖堂

世界遺産アーヘン大聖堂

アーヘン大聖堂の中心は、カール大帝が796〜805年頃に建てさせた宮廷礼拝堂です。8角形のドーム空間を持ち、1978年に最初の世界遺産12件の1つに選ばれました。

本人もここに葬られ、遺骨は黄金の聖遺物箱に納められています。936〜1531年の間には、30人ほどのドイツ王がここで戴冠しました。

※聖遺物箱は、聖人などの遺骨や遺品を納める箱のことです。

4. 今の小文字の書体のルーツ

今の小文字の書体のルーツ

カール大帝はイングランドのヨーク出身の学者アルクインらを宮廷に招き、ラテン語や古典の学問を立て直しました。これがカロリング・ルネサンスです。

写本づくりの中で広まったのが、読みやすい「カロリング小文字体」。のちの人文主義者はこれを古代ローマの字と思い込んで手本にし、今の小文字の書体の元になりました。

※人文主義者は、ルネサンス期に古代ギリシア・ローマの学問を学び直そうとした学者たちです。

意外と人間くさい素顔

偉大な皇帝にも、苦手なことや好きなものがありました。側近アインハルトの伝記などから、その素顔をのぞいてみます。

5. 字を書くのは苦手だった

字を書くのは苦手だった

カール大帝はラテン語を母語のように話し、ギリシア語も聞けば理解できました。食事中には歴史書やアウグスティヌスの『神の国』を朗読させ、楽しんでいたそうです。

一方、書くことは晩年に練習を始めました。枕の下に書板を置いて手を慣らしましたが、始めるのが遅く上達しなかったと側近アインハルトの伝記にあります。

※書板は、文字を書く練習などに使った板のことです。

6. 身長は約184cmと推定

身長は約184cmと推定

2010年の研究で、カール大帝の左の脛骨をCTで調べたところ、身長は約184cmと推定されました。同時代の男性の平均は約169cmとされ、かなりの長身です。

側近アインハルトも、「背が高いが体の釣り合いは取れていた」と書き残しています。

※脛骨は、すねの内側にある太い骨です。推定の幅は約179〜192cmでした。

出典:チューリッヒ大学などの研究チーム(Economics & Human Biology・2010年)

7. 焼いた肉をやめなかった皇帝

焼いた肉をやめなかった皇帝

アインハルトによると、カール大帝は死の前の4年ほど、たびたび熱を出し、最後は片足を引きずっていました。医者たちを嫌い、煮た肉を食べるよう勧められても、慣れた焼いた肉をやめなかったのです。

こうした記録から、痛風だった可能性を指摘する現代の研究もあります。

※当時の史料に「痛風」という言葉は出てきません。

8. はるばる届いた象の贈り物

アッバース朝のカリフ、ハールーン・アッラシードはカール大帝に象を贈りました。名前はアブル・アッバース。手元にいた唯一の象だったとアインハルトは書いています。

象は801年10月に北イタリアに上陸し、冬を越してからアルプスを越えました。アーヘンに着いたのは802年7月20日。810年、遠征の途中に急死しています。

※カリフは、イスラム世界の最高指導者の称号です。

伝説と後世に残した影響

カール大帝の名前は、剣やトランプ、騎士物語などを通して後の時代にも受け継がれています。

9. 聖剣ジョワユーズの正体

聖剣ジョワユーズの正体

パリのルーヴル美術館には、カール大帝の剣と伝わる「ジョワユーズ」が所蔵されています。名前は「陽気な」「喜ばしい」という意味で、13世紀以降はフランス王の戴冠式で使われました。

ただし柄頭は10〜11世紀、鍔は12世紀、鞘は13世紀頃のもの。何世紀もかけて部品が足された剣で、本人のものとは確認できません。

※柄頭は、剣の持ち手の端にある部分です。

10. トランプのハートのキング

トランプのハートのキング

フランス式のトランプでは、ハートのキングに「シャルル」という名前が付けられてきました。シャルルはカールのフランス語読みです。ほかはスペードがダヴィデ、ダイヤがカエサル、クラブがアレクサンドロス。

ただし、シャルル7世を指すという説もあります。カードの絵も、本人の肖像ではありません。

※フランス式トランプは「パリ式」とも呼ばれます。

11. 十二勇士パラディンの伝説

十二勇士パラディンの伝説

カール大帝に仕えた12人の勇士「パラディン」は、伝説上の存在です。中心人物のローランは、実在した辺境伯がモデルになりました。

778年のロンスヴォーの戦いで後衛が全滅した史実をもとに、11世紀末〜12世紀初め頃に『ローランの歌』が生まれます。アーサー王と円卓の騎士に並ぶ騎士物語として、後世に影響を与えました。

※辺境伯は、国境近くの守りを任された貴族のことです。

12. 多くの人の祖先という計算

多くの人の祖先という計算

カール大帝の正式な妻は4人で、ほかに側室も何人もおり、子どもは20人ほどいました。統計学者ジョセフ・チャンの数学モデルなどでは、約1000年以上前に生きて今も子孫がいる人は、現代のヨーロッパ系の人ほぼ全員の祖先にあたる計算になります。

カール大帝もその1人で、彼だけが特別なわけではありません。

出典:イェール大学の統計学者ジョセフ・チャン(Advances in Applied Probability・1999年)

まとめ

カール大帝は、西ヨーロッパの大部分をひとつにまとめ、800年にローマで皇帝の冠を受けた人物です。宮廷で学問を立て直した時代に広まった字は、今の小文字の書体の元にもなりました。

その一方で、字を書く練習を始めたのは晩年になってから。医者の勧めより好きな焼いた肉を選ぶなど、人間らしい一面も記録に残っています。偉大な皇帝の素顔を知ると、世界史が少し身近に感じられるかもしれません。トランプのハートのキングを見かけたら、カール大帝のことを思い出してみてください。

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更新日:2026年9月22日(火) 10:27

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