中世ヨーロッパの雑学12選!鎧は20kgほどで騎士は走れた

騎士の鎧は重すぎて、1人では馬にも乗れなかった。そんなイメージを持っている人も多いのではないでしょうか。実際の戦場用の鎧は20〜25kgほどで、着たまま走ることもできました。

中世ヨーロッパには、今の私たちの思い込みとは違う話がほかにもたくさんあります。町では公衆浴場がにぎわい、国王はサッカーを禁じ、ブタが大まじめに裁判にかけられることさえありました。

そんな中世ヨーロッパにまつわる雑学を12個ご紹介します。

騎士と城の知られざる素顔

まずは、騎士の身分や鎧、城の設備にまつわる話から見ていきましょう。

1. 平民でも騎士になれた時代

平民でも騎士になれた時代のイラスト

騎士になる儀式では、主君が剣で肩を軽くたたいて正式な騎士と認めました。中世の初めごろは、戦場で手柄を立てた平民がその場で騎士にされることもあったのです。

ただ13世紀ごろからは、騎士の多くが騎士の家の生まれになります。馬や武具、お供をそろえるには大金がかかり、誰でもなれる身分ではなくなりました。

2. 鎧を着たまま走れた騎士

鎧を着たまま走れた騎士のイラスト

戦場用の全身の鎧は、ふつう20〜25kgほどでした。手足ごとに部品が分かれ、重さが全身に散らばるため、馬に乗ることも走ることもできたのです。

クレーンで馬に乗せたという話は、19世紀後半の冗談が始まりとされます。ただしイギリスの大学の実験では、鎧を着て歩くと消費エネルギーが2倍以上に増えました。

※この実験で使われた鎧は30〜50kgと、戦場用の平均より重めのものでした。

出典:メトロポリタン美術館(2004年)/英国王立協会紀要B(2011年)

3. 騎士の恋は物語の中の理想

騎士の恋は物語の中の理想のイラスト

騎士が身分の高い女性に尽くし、詩や贈り物で思いを伝える恋は、中世の詩や物語によく登場します。ただ多くは文学の中の理想で、実際の恋愛がどこまでそうだったかは意見が分かれます。

こうした恋は「宮廷風恋愛」と呼ばれますが、実は1883年にフランスの学者が広めた近代の呼び名です。

4. 城のトイレは壁から突き出ていた

城のトイレは壁から突き出ていたのイラスト

城の高い階には、外壁から張り出した小部屋のトイレがあり、汚物は穴から堀などへ落ちる仕組みでした。近くに服を吊るし、においで虫を寄せつけないようにしたともいわれます。

1204年に落城したフランスのガイヤール城では、攻め手がトイレの排出口から入り込んだという話が伝わっています。

※この張り出したトイレは「ガードローブ」と呼ばれます。侵入した場所は礼拝堂の窓だったとする説もあります。

中世の暮らしと楽しみ

続いては、食事や住まいから娯楽まで、人々のふだんの暮らしをのぞいてみます。

5. 白いパンはお金持ちの食べ物

白いパンはお金持ちの食べ物のイラスト

中世の人々にとって、パンは毎日の食事に欠かせない主食でした。ただ小麦の白いパンを食べられたのは領主などのお金持ちで、農民はライ麦や大麦で作る黒っぽいパンが中心です。

これに豆や野菜を煮込んだ汁物を合わせるのが、庶民のふだんの食事でした。不作の年には、パンに豆やドングリまで混ぜてかさを増やしました。

6. 城の窓ガラスはぜいたく品

城の窓ガラスはぜいたく品のイラスト

中世の城の窓は小さく、ガラスはとても高価なぜいたく品でした。多くの窓は木の板戸で閉じるか、油を塗った布や薄くのばした動物の皮を張っていました。光を取り入れつつ風を防ぐための工夫です。

牛の角を薄く削ってはめることもありましたが、厚い石壁の城の中は冬になるとかなり冷え込んだようです。

7. 中世の人はお風呂好きだった

中世の人はお風呂好きだったのイラスト

中世の都市には、蒸し風呂や湯船のある公衆浴場がいくつもありました。体を洗うだけでなく、人と会って語り合う社交の場でもあったのです。

ところが15世紀の終わりごろから、風紀の乱れや燃料不足、疫病への不安で浴場は減っていきます。「中世の人は不潔」というイメージは、むしろその後の時代の姿に近いでしょう。

8. サッカーは王様に禁止された

サッカーは王様に禁止されたのイラスト

1314年のロンドンでは、国王の名で町なかのフットボールが禁じられました。大勢でボールを奪い合う騒ぎがひどく、違反者は牢屋行きという厳しいお触れです。

1363年にはエドワード3世も、弓の練習を優先させるため球技を禁止しました。それでも人気は衰えず、今も一部の町では昔ながらの試合が祭りとして続いています。

教会と学問が動かした社会

最後は、学問や教会の力から少し変わった裁判まで、社会のしくみにまつわる話です。

9. 学問を守ったのは修道院

学問を守ったのは修道院のイラスト

中世の前半、学問の中心を担ったのは修道院でした。祈りの生活を送る修道士たちは、聖書や古代の書物を手で書き写して残し、医学や天文学も学んでいたのです。

11世紀末から12世紀にかけて、イタリアのボローニャやフランスのパリに大学が生まれます。学問の舞台は、しだいに修道院から都市の大学へと移っていきました。

※修道院は、修道士が共同で暮らしながら祈りや仕事をする施設です。

10. メガネは中世イタリア生まれ

メガネは中世イタリア生まれのイラスト

メガネが発明されたのは、1280年代ごろの北イタリアとされています。1306年にはピサ出身の修道士が説教で「メガネを作る技術が見つかって、まだ20年にもならない」と語りました。

発明した人の名前は、記録に残っていません。最も古い絵は14世紀半ばのイタリアの壁画で、メガネをかけた聖職者が描かれています。

11. 皇帝が雪の中で謝ったカノッサ

皇帝が雪の中で謝ったカノッサのイラスト

神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世は、教皇と争って教会から追放されてしまいます。困った皇帝は1077年、教皇のいるイタリアのカノッサ城を訪ね、雪の中で3日間許しを請うたのです。

この「カノッサの屈辱」は、教会の権威の強さを示す出来事です。もっとも皇帝はのちに巻き返してローマを攻め、教皇はローマを追われました。

※教皇は、カトリック教会でいちばん上の地位にある聖職者です。

12. 人を殺したブタが裁判に

人を殺したブタが裁判にのイラスト

1386年、フランスのファレーズで、子どもを死なせたブタが裁判にかけられました。ブタは子どもと同じ傷を負わされたうえで、絞首刑にされています。

こうした動物の裁判は、中世から近世のヨーロッパで数百件が記録されました。畑を荒らしたネズミに弁護人がついた例まであり、人々は大まじめだったのです。

まとめ

中世ヨーロッパの騎士の鎧は20〜25kgほどで、着たまま走ることもできました。クレーンで馬に乗せたという話は、後の時代の冗談が始まりとされています。

暮らしの面では、白いパンはお金持ちのもので、町には公衆浴場がにぎわっていました。不潔で暗いという中世のイメージとは、ずいぶん違う姿です。

一方で、皇帝が雪の中で教皇に許しを請うたり、ブタが裁判にかけられたりと、今では考えにくい出来事もありました。思い込みを外して眺めると、中世はぐっと身近で面白い時代に見えてきます。

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更新日:2026年10月5日(月) 03:01

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