「キュリー夫人」の名で知られるマリー・キュリーは、放射線の研究に生涯をささげ、女性で初めてノーベル賞を受けた科学者です。
二度の受賞という偉業の裏には、極貧の学生時代や過酷な実験、恋愛スキャンダルまで、驚きに満ちたドラマがぎゅっと詰まっています。
その功績は、今なお世界中の人々を惹きつけてやみません。
そんなキュリー夫人にまつわる雑学を11個ご紹介します。
1. 史上初の二度のノーベル賞

マリー・キュリーは、1903年の物理学賞と1911年の化学賞という二つのノーベル賞を受けた史上初の人物です。
異なる科学分野で二度受賞したのは今のところ彼女だけとされ、女性として初めてノーベル賞を得た人でもあります。その功績は今も科学史に刻まれています。
2. 祖国をしのぶポロニウム

彼女が発見した新しい元素ポロニウムは、生まれ故郷であるポーランドにちなんで名づけられました。
当時のポーランドはロシアなどの大国に分割され、世界地図の上から国名が消えていた時代でした。
祖国への深い思いを新元素の名前に託した逸話として知られています。
3. 今も光るノートは鉛の箱へ

彼女の残した研究ノートは、百年ほどたった今も放射線を放ち続けており、鉛の箱に入れてフランス国立図書館に大切に保管されています。
閲覧するには免責の同意書へのサインが必要です。原因となるラジウム226の半減期は、およそ1600年にもおよぶといわれています。
4. 研究に生涯をささげた最期

1934年、彼女は再生不良性貧血という血液の病により、66歳でその生涯を閉じました。
長年にわたる研究や、第一次大戦中のX線業務によって積み重なった被曝が原因ではないかと考えられていますが、はっきりとは分かっていません。まさに研究に命をささげた人生でした。
5. 戦場を走ったプチ・キュリー

第一次世界大戦のさなか、彼女はX線の撮影装置を積んだ移動車両「プチ・キュリー」を、約20台も用意して戦地に配備しました。
前線のすぐ近くまで車を走らせ、負傷した兵士の体内を調べる診断に役立てたそうです。多くの命を救う手助けをしたと伝えられています。
6. 一族で五つのノーベル賞

キュリー家は一族でノーベル賞を合わせて五個も受けた、世界でもたいへん珍しい家系です。
内訳はマリーが二個、夫のピエールが一個、娘のイレーヌとその夫がそれぞれ一個ずつでした。母から娘へと、二つの世代にわたって受賞が続いた点も大きな見どころといえます。
7. 逆風の中で堂々と出席

1911年、彼女は既婚の物理学者ランジュバンとの恋愛を新聞に大きく書き立てられ、周囲を巻き込んだ決闘騒ぎにまで発展しました。
ちょうど二度目のノーベル賞の直前という時期でしたが、授賞式を欠席するよう勧める声をきっぱりと退け、堂々と会場に姿を見せています。
8. 枕元で光ったラジウム

彼女は暗闇の中で青白く光るラジウムの小瓶を眺めるのが好きで、毎晩枕元に置いて夜の淡い灯り代わりにしていたと伝わっています。
当時はまだ放射線が人体におよぼす危険性がほとんど知られておらず、彼女はその幻想的で美しい輝きを、ただ純粋に楽しんでいたようです。
9. 特許を取らなかった信念

彼女はラジウムを取り出して精製する方法について、特許をあえて取らず、世界中の誰もが自由に使えるよう無償で公開しました。
ラジウムは特定の誰かではなく全人類のものだ、という信念からの決断でした。自らの利益よりも科学全体の発展を選んだ姿勢がうかがえます。
10. 小屋で得たわずかな成果

彼女は雨風をしのぐのがやっとという掘っ立て小屋のような研究室で、数トンもの鉱石の残りかすを、何年もかけて根気強くかき混ぜ処理し続けました。
そうした地道で過酷な作業の末にようやく得られた塩化ラジウムは、たったの0.1グラムほどだったといわれています。
11. 水も凍る屋根裏の極貧生活

学生としてパリで学んでいた若い頃の彼女はとても貧しく、暖房のない屋根裏部屋で暮らしていました。
冬には洗面用の水が凍ってしまうほどの寒さで、食べる物にも事欠く苦しい毎日でした。空腹のあまり倒れてしまったこともあったと、後々まで語り伝えられています。
更新日:2026年7月13日(月) 03:22

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