ポンペイといえば、火山の噴火によって一瞬にして灰の下に閉じ込められてしまった、古代ローマの悲劇の街として知られています。
けれども灰にすっぽり覆われたおかげで、当時の暮らしぶりがそのままの形で今に残されました。
ファストフード店やパン屋、公衆トイレの様子まで、まるでタイムカプセルのように見えてくるのです。そんなポンペイにまつわる雑学を11個ご紹介します。
1. 噴火は秋だった可能性

西暦79年に起きたヴェスヴィオ火山の噴火は、長い間8月24日の出来事だと考えられてきました。
ただし壁に残された炭の落書きや、炭化した秋の果物が見つかったことから、近年では秋の噴火だった可能性も指摘されていて、従来の8月説との論争が続いているとされています。
2. 火山と気づかぬ暮らし

噴火が起きるまで、ヴェスヴィオが火山であるという認識は人々の間でも薄かったとされています。
山はそれまで長く穏やかで、ブドウ畑や行楽の地として親しまれていましたが、西暦62年に起きた大きな地震が、実は噴火の前兆だったのではないかとも見られているのです。
3. 今なお3分の1が灰の下

ポンペイ遺跡の全体の面積はおよそ64から67ヘクタールにおよぶとされ、当時としてはかなり広大な規模だったことがうかがえます。
そのうち今なお全体の約3分の1ほどが火山灰の下に埋もれたまま残されていて、まだ完全には掘り起こされていないと考えられているのです。
4. 石膏がよみがえらせる姿

火山灰に埋もれた遺体はやがて腐って空洞になり、そこへ石膏を流し込むことで、亡くなった瞬間の姿がよみがえります。
この技法は1863年に発掘の責任者だったフィオレッリが考え出したもので、当時の人々の最期を今に伝えるとても貴重な手がかりとなっているのです。
5. 古代ローマの猛犬注意

悲劇詩人の家と呼ばれる住居の玄関には、鎖につながれた黒い番犬と、犬に注意という意味のラテン語の文字を描いたモザイクの床が今も残されています。
まるで現代の玄関に貼られた猛犬注意の看板のようで、古代版の猛犬注意として多くの人々によく知られているのです。
6. 古代のファストフード店

ポンペイには、テルモポリウムと呼ばれる古代のファストフード店のような飲食店が、なんと80軒以上もあったとされています。
カウンターにメニューの絵や食材が残る店もあり、2020年に発掘された保存状態のよい店はとりわけ有名で、当時のにぎわいが伝わってきます。
7. 窯の中に残った丸パン

ポンペイのパン屋にあった窯からは、パニス・クアドラトゥスと呼ばれる炭化したパンが数多く見つかっています。
きれいに8等分の切れ目が入った丸い形のものが多く、中にはパン職人の名前を刻んだ焼き印つきのものもあり、一つの窯から81個も出土したと伝えられています。
8. 古代で人気の魚醤ガルム

ポンペイは、ガルムと呼ばれる魚醤の有数の産地として栄えていました。
魚醤とは魚を発酵させて作る調味料のことで、スカウルスという名の特に有名な生産者もいたとされ、その品は古代ローマの人々にとても広く好まれた人気の高い商品だったと伝えられているのです。
9. 会話が弾む公衆トイレ

ポンペイの公衆トイレは、仕切りのまったくない並び席になっていました。
人々は用を足しながらおしゃべりを楽しんでいたともいわれ、トイレが一種の社交の場になっていたようです。
何人もが横に並んで座るその独特の造りは、今も遺跡の中にはっきりと残されています。
10. 剣闘士試合で起きた乱闘

西暦59年、円形闘技場で開かれた剣闘士の試合をめぐって、ポンペイと隣町ヌケリアの観客の間で激しい乱闘が起こり、死者まで出てしまったとされています。
この騒ぎを重く見たローマの元老院は、10年間もの興行禁止を命じたと歴史家タキトゥスが書き残しています
11. DNAが覆した長年の説

2024年に行われた最新のDNAの分析によって、これまで母子や家族だと固く信じられてきた犠牲者の一部が、実際には血のつながりも、想定されていた性別も違っていたことが分かりました。
長い間広く信じられてきた解釈が、思いがけず大きく覆される結果となったのです。
更新日:2026年7月10日(金) 04:28

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