ガリレオの雑学11選!死後に右手の中指を切り取られた

イタリアの科学者ガリレオ・ガリレイは、1564年にピサで生まれ、1642年にこの世を去りました。

父は名の知られた音楽家で、はじめは医学の道を志しますが、やがて数学や天文学に強く引かれていきます。

望遠鏡で宇宙の姿を確かめ、近代科学の扉を開いた人物として知られる一方で、その生涯には裁判や後世の伝説など、意外なエピソードもたくさん残されています。

そんなガリレオ・ガリレイにまつわる雑学を11個ご紹介します。

1. 望遠鏡は発明でなく改良

望遠鏡は発明でなく改良

ガリレオが1609年に自作した望遠鏡は、彼が一から発明したものではなく、前年にオランダで考案されていた道具をより高性能に改良したものでした。

それでも当時としては最高クラスとされる約30倍の倍率を実現し、夜空の天体を観測するうえで大きな力を発揮したのです。

2. 木星の四つの衛星発見

木星の四つの衛星発見

1610年、ガリレオは木星のまわりを回る四つの衛星を発見し、地球以外の惑星に衛星が見つかった史上初めての例となりました。

当初はパトロン、つまり後援者であったメディチ家にちなんで、これらの星を「メディチ星」と名づけ、時の君主トスカーナ大公に献上しています。

3. ピサの斜塔の落下逸話

ピサの斜塔の落下逸話

ピサの斜塔から重さの違う物体を同時に落としたという有名な逸話が伝わりますが、本人の著作にはその記述がなく、後世に弟子のヴィヴィアーニが書き残したものとされています。

そのため、実際に塔の上から落とす実験をしたのかどうかは、はっきりとは分かっていません。

4. 金星の満ち欠けを観測

金星の満ち欠けを観測

1610年の末、ガリレオは金星が月と同じように満ち欠けし、大きさも変わって見える様子を望遠鏡ではっきりとらえました。

これは金星が地球ではなく太陽のまわりを回っている動かぬ確かな証拠となり、地球を中心と考える天動説を覆す大きな決め手の一つになったのです。

5. 振り子の等時性に気づく

振り子の等時性に気づく

17歳頃のガリレオは、大聖堂でシャンデリアが揺れる様子を自分の脈で計り、振れ幅の大小によらず一往復にかかる時間が変わらない振り子の等時性に気づいたという逸話が伝わります。

これも後年、弟子であったヴィヴィアーニが書き残して広まった逸話とされています。

6. 裁判で自宅軟禁の判決

裁判で自宅軟禁の判決

1633年、ガリレオは教会が信仰の正しさを裁く異端審問という宗教裁判にかけられ、地動説を唱えたことで有罪とされてしまいました。

そして牢に入れられる代わりに、生涯にわたって自宅から一歩も出ることを許されない自宅軟禁という重い判決を受けることになったのです。

7. 地球は動くという名言

地球は動くという名言

裁判のあとにガリレオが「それでも地球は動く」とつぶやいたと語り伝えられていますが、本人の著作にも同時代の人々の証言にもその言葉は見当たりません。

実はこの名言が初めて文章に登場するのは、彼の死後100年以上たった1757年のことで、後世の創作とされています。

8. 1992年に名誉回復

1992年に名誉回復

教会に厳しく罰せられたというイメージが強いものの、ガリレオは実のところ破門されたわけではなく、死後もカトリック信徒のままでした。

そして1992年には教皇ヨハネ・パウロ2世が当時の裁判の誤りを公式に認め、実に長い年月をへてようやくガリレオの名誉を回復したのです。

9. 娘からの124通の手紙

娘からの124通の手紙

ガリレオは生涯結婚することはありませんでしたが、内縁の女性との間に二人の娘と一人の息子、あわせて3人の子どもをもうけました。

修道女となった娘マリア・チェレステから父にあてた手紙が124通もそっくり現存しており、親子の深い愛情ときずなを今に伝えています。

10. 切り取られた右手の中指

切り取られた右手の中指

ガリレオは死後しばらく目立たない場所にひっそりと葬られていましたが、95年後の1737年に壮麗な記念の墓へと改葬されました。

その作業の際に右手の中指などが記念として切り取られ、その指は今もイタリア・フィレンツェのガリレオ博物館で大切に展示されています。

11. 軍事コンパスで副収入

軍事コンパスで副収入

1590年代のガリレオは、測量や砦術の計算に使えるたいへん便利な幾何軍事コンパスという道具を考案し、これを約100個も製作して販売しました。

さらに若い貴族への数学のレッスンなども合わせて、大学からの給料を補うかなり大きな副収入を得ていたと伝えられています。

更新日:2026年7月10日(金) 12:50

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