世界最大のピラミッドを残したクフ王ですが、本人だとほぼ確実にわかる完全に近い形の像は、手のひらにのるほどの小さな象牙像だけとされています。王のミイラも見つかっておらず、その素顔は意外なほど謎に包まれています。
一方で、ピラミッドの内部や周辺からは、王の時代を知る手がかりが少しずつ見つかってきました。
そんなクフ王にまつわる雑学を12個ご紹介します。研究にもとづく項目には出典を添えています。
素顔と家族のエピソード
まずは、クフ王本人の姿や名前、王を支えた家族にまつわる話から見ていきましょう。
1. 顔がわかる像は手のひらサイズ

クフ王本人とほぼ確実にわかり、完全に近い形で残る立体像は、高さ約7.5cmの象牙の小像だけとされます。巨大ピラミッドの主なのに、手のひらサイズです。
1903年、エジプト学者ペトリーが見つけたとき、頭部は欠けていました。作業員にがれきをふるわせ、約3週間後に頭部を発見。今はカイロのエジプト博物館に所蔵されています。
2. 本当の名前は「クヌム・クフ」

クフ王の正式な名前は「クヌム・クフ」です。羊の頭をした創造神クヌムの名を含み、「クヌム神は私を守る」という意味です。
ふだん使う「クフ」は、これを略した形。古代ギリシャではケオプスと呼ばれ、エジプトの神官マネトはスーフィスと記しました。
3. 太った姿で残る宰相ヘムオン

クフの甥で宰相のヘムオンの座像は、胸に脂肪がついた太った姿です。理想化されず、ありのままに近い形で作られました。
「王のすべての工事の監督官」という肩書きから、大ピラミッドの建設を指揮したとみられる人物で、1912年に墓で見つかった像は盗掘者に目をえぐられていましたが、修復されてドイツの博物館にあります。
※宰相:王を助けて政治を行う最高位の役人。
※ヘムオンは「ヘミウヌ」とも表記されます。
4. 母の石棺はなぜか空だった

クフの母とされるヘテプヘレス1世の墓は、アメリカの調査隊の写真家が立てた三脚がきっかけで見つかりました。1925年、大ピラミッドの東側で脚が岩のすき間に沈み、隠された縦穴が現れたのです。
ところが石棺を開けると中は空。内臓を収めた箱は封印されたまま残っていたのに、遺体だけがない理由は今もわかっていません。
ピラミッドに残る手がかり
ここからは、大ピラミッドとその周りで見つかった手がかりを紹介します。落書きや日誌、最新の調査から、クフ王の時代が少しずつ見えてきました。
5. ミイラは今も見つかっていない

クフ王のミイラは見つかっていません。大ピラミッドの「王の間」にある花崗岩の石棺も、ふたがなく空のままです。
ペトリーの測量では、石棺は通路より幅が約2cm広く、通路を通れません。そのため、建設の途中で運び込まれたと考えられるのです。
9世紀にイスラム帝国の君主カリフのマームーンが侵入したときも、石棺はすでに空だったと伝えられます。侵入は820年とも832年ともいわれ、中世アラブの伝承は食い違っています。
※花崗岩:とても硬い石の一種。
6. 王の名が入った作業班の落書き

1837年、イギリスのハワード・ヴァイスが、大ピラミッドの「重量軽減の間」で赤い落書きを見つけました。作業班が石に書いた班の名前で、「クヌム・クフの白冠は力強し」のように王の名前が入っています。
王の公式な碑文がない大ピラミッドで、十数回出てくるクフの名は持ち主を示す証拠の一つです。
※重量軽減の間:王の間の上にある、石の重さを逃がすための小部屋。
7. 石運びを記したメレルの日誌

2013年、紅海沿岸のワディ・アル=ジャルフで、フランスの調査隊が約4500年前の日誌を発見。文字が書かれたパピルスとしては現存最古とされます。
書き手は監督官メレルで、約40人を率いてトゥラの石灰岩を船でギザへ運んでいました。クフ王の治世26〜27年目の記録で、石は大ピラミッドの化粧石になったとみられます。
※化粧石:ピラミッドの表面を覆って仕上げた石。
出典:ギネス世界記録
8. バラバラで眠っていた王の船

1954年、大ピラミッドの南側の穴から、レバノン杉で造られたクフの船がバラバラの状態で見つかりました。全長は約42〜43mで、ほぼ完全な形で残る船としては世界最古級とされます。
修復家のアハメド・ユーセフが1224個の部材を組み立て直し、船はピラミッド脇の博物館で公開されました。2021年には、大エジプト博物館へ約7km運ばれています。
2隻目の船は早稲田大学のチームが発掘し、同館の来館者の前で組み立てが進んでいます。
9. 大ピラミッドの中に謎の空間

大ピラミッドの中を、宇宙から降り注ぐミュー粒子で透視する国際調査「スキャンピラミッド」で、2017年に大回廊の上に長さ30m以上の空間があると発表されました。
この空間はまだ誰も中を見ておらず、用途も不明です。2023年には北側の入口の上に長さ約9mの通路も見つかり、内視鏡カメラで中が確かめられました。
※ミュー粒子:宇宙線からできる小さな粒子。
※大回廊:王の間へ続く、天井の高い上り坂の通路。
出典:Nature(2017年)/Nature Communications(2023年)
言い伝えと後世の物語
最後は、後の時代に語られたクフ王の物語や説です。古代の人々がクフ王をどう見ていたのかが伝わってきます。ここからは、言い伝えや諸説ある話になります。
10. 王の長男カワブの早すぎる死

「王の長男」の称号を持つカワブは跡継ぎ候補とされながら、父より先に亡くなりました。王位を継いだ弟ジェドエフラーは、カワブの未亡人と結婚したようです。
そこから「弟が兄を殺した」という説も出ましたが、今では根拠に乏しいとの見方が主流で、証拠とされたピラミッドの破壊も、今ではローマ時代のものとされています。
11. ガチョウで術を見せた魔術師

ウェストカー・パピルスには、クフ王の前で魔術師が術を見せる物語があります。
魔術師ジェディは110歳とされ、毎日パン500個と牛の肩肉1つを食べ、ビールを100壺も飲むという設定です。
クフは囚人の首を切ってつなぐ術を試すよう命じましたが、ジェディは人間に苦しみを与えてはならないと断りましたが、代わりにガチョウの首を切ってつなぎ直し、水鳥と牡牛でも術を見せたといいます。
※ウェストカー・パピルス:古代エジプトの物語を書き写した巻物。
12. 暴君のイメージの出どころ

「クフ王は暴君だった」という話は、紀元前5世紀の古代ギリシャの歴史家ヘロドトスによるものです。クフは神殿を閉ざし、10万人を3か月交代で働かせたと書いています。
エジプト人はクフを憎み、ピラミッドを羊飼いフィリティスの名で呼んだとも記しました。今のエジプト学では、悪評は後世の誇張とみるのが一般的です。
まとめ
クフ王は世界最大級のピラミッドを残した王ですが、本人の姿や最期には今も謎が多く残っています。顔がほぼ確実にわかる完全に近い像は、高さ約7.5cmの象牙の小像だけとされ、王のミイラも見つかっていません。
一方で、作業班の落書きやメレルの日誌、ミュー粒子を使った調査など、手がかりは少しずつ増えています。暴君という評判も、後の時代に広まった話と考えられるようになりました。
巨大な建造物の陰に隠れた王の素顔を、これからの発見がどこまで明らかにするのか楽しみです。
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更新日:2026年11月2日(月) 11:04

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