グリム兄弟の雑学11選!本業は完成まで123年の辞典作り

「赤ずきん」や「白雪姫」を世に広めたグリム兄弟。童話を作った人というイメージが強いかもしれませんが、2人の本業は言葉と古い文献を研究する学者でした。

童話集も、もとは研究のために集めた記録です。初版は挿絵のない学術書に近い体裁で、版を重ねるうちに中身も少しずつ書き換えられていきました。

そんなグリム兄弟にまつわる雑学を11個ご紹介します。研究にもとづく項目には出典を添えています。

本業は童話ではなく学問

まずは、兄弟が何を仕事にしていた人だったのかという話です。童話集は、その仕事のごく一部にすぎませんでした。

1. 童話作家ではなく学者

童話作家ではなく学者

グリム兄弟は兄のヤーコプが1785年、弟のヴィルヘルムは1786年の生まれで、童話作家というより、言葉と古い文献を調べる学者でした。

兄は1802年、弟は1803年にマールブルク大学へ入り、法学を学びます。法学者サヴィニーに蔵書を使わせてもらううちに、関心は言葉の歴史へ移っていきました。童話集も研究の一環です。

※主著は『ドイツ語文法』(1819年〜)、『ドイツ法古事誌』(1828年)、『ドイツ神話学』(1835年)、『ドイツ語辞典』です

2. 名前が残ったグリムの法則

名前が残ったグリムの法則

「グリムの法則」という規則があります。印欧語からゲルマン語への子音の変化をまとめたもので、ラテン語 pater のpが英語 father のfに対応します。

先に指摘したのはデンマークのラスムス・ラスクで、1814年に着想し1818年に刊行しています。ヤーコプが1822年の『ドイツ語文法』第2版で整理したため、兄の名が残りました。

出典:ブリタニカ百科事典「Grimm’s law」

3. 完成まで123年の辞典

完成まで123年の辞典

兄弟が1838年に取りかかった『ドイツ語辞典』は、2人の生涯では終わりませんでした。第1巻が出たのが1854年、ヴィルヘルムは1859年にDの項目の途中で世を去ります。

ヤーコプも1863年9月20日に亡くなります。最後に書いていたのは Frucht、果実を意味する語の項目でした。完結は1961年、着手から123年後です。

※全32巻で、16巻32分冊という数え方もあります。見出し語は約32万から33万語です

出典:ベルリン・ブランデンブルク科学アカデミー(BBAW)

書き換えられた童話集

ここからは童話集そのものの話です。いま知られている形になるまでには、兄弟の手で何度も直しが入っています。

4. 初版は大人向けの本

初版は大人向けの本

童話集の第1巻が出たのは1812年12月です。挿絵はなく、巻末には学術的な注釈が付いていました。部数は900部とされます。

詩人のブレンターノらからは、子ども向きではないという批判も出ました。転機になったのは1825年の小型版です。50話に絞り、画家だった弟のルートヴィヒ・エーミール・グリムが挿絵を描いています。

※1815年に第2巻、1819年に第2版が出ています

出典:ベルリン州立図書館

5. 実の母が継母になった

実の母が継母になった

白雪姫で姫をねたむのは継母、と覚えている方も多いはずです。しかし、1812年の初版で姫をねたむ妃は実の母でした。

1819年の第2版で「王が新しい妃を迎えた」という一文が加わり、継母に変わります。母親のイメージを守るためだったと研究者は説明しています。ヘンゼルとグレーテルが継母になるのは1840年の第4版からです。

6. 妊娠の場面は消された

妊娠の場面は消された

初版のラプンツェルは「服がきつくなって合わなくなった」と口にします。王子との密会と妊娠が、この一言で知られてしまうのです。

1819年の第2版では「どうして王子より引き上げるのが重いの」という台詞に変わります。逆に、灰かぶりで姉の目を鳩がつつく場面は第2版で加わります。書き換えたのは弟のヴィルヘルムでした。

7. 語り手は村の老婆ではない

語り手は村の老婆ではない

童話は村の老婆から聞き集めた、という印象があるかもしれませんが、実際に話を提供したのは、カッセルのハッセンプフルーク家やヴィルト家といった市民層の若い女性が多くを占めていました。

フランスから逃れた新教徒ユグノーの家系も目立ちます。ペロー童話と重なる話があるのは、そのためだと考えられています。

※約40話を語ったドロテア・フィーマン(1755年生)は宿屋の娘で仕立屋の妻、ユグノーの子孫ですがヘッセン生まれです

※赤ずきんなどの語り手とされた家政婦「老マリー」は、1975年のハインツ・レレケの研究以降、ハッセンプフルーク家の令嬢マリーだったとする見方が一般的です

出典:兄弟グリム協会(カッセル)

8. 削除された2つの理由

削除された2つの理由

いまの童話集にない話もあります。初版にあった「長靴をはいた猫」と「青ひげ」は、フランスのペロー童話に由来すると分かり、第2版以降で外されました。

削られた理由はそれだけではありません。子どもたちが屠殺ごっこをする話は、残酷さを理由に姿を消しました。由来の問題と内容の問題が別々に働いていたのです。

2人の人生と残したもの

最後は、兄弟の身に起きた出来事と、暮らしぶり、そして後の世に残ったものを見ていきます。

9. 七教授事件で職を失う

七教授事件で職を失う

1837年、ハノーファー王エルンスト・アウグストが憲法を廃止しました。抗議の声明を出したゲッティンゲン大学の教授7人には兄弟も含まれ、約3週間後に全員が罷免されます。

ヤーコプら3人には、3日以内に王国外へ退去せよという命令が下ります。ヴィルヘルムは罷免だけで済みましたが、ヤーコプは故郷カッセルへ移ります。

※声明が出されたのは11月18日。ほかに退去を命じられたのはダールマンとゲルヴィーヌスです

※職を失った翌1838年に、ヤーコプは辞典の仕事へ取りかかります。1848年にはフランクフルト国民議会の議員にも選ばれています

出典:ドイツ歴史博物館(LeMO)

10. 兄は生涯独身で同居

兄は生涯独身で同居

兄弟の仲の良さは暮らしにも表れています。弟のヴィルヘルムは1825年にドロテア・ヴィルトと結婚しました。愛称はドルトヒェン、話の提供者でもあったヴィルト家の娘です。

夫婦には4人の子どもが生まれます。兄のヤーコプは生涯独身を通し、弟の結婚後も同じ家で暮らし続けました。

※ヴィルヘルムは1859年12月16日、ヤーコプは1863年9月20日にベルリンで死去。墓はベルリン・シェーネベルクのアルター・ザンクト・マタイ墓地に並んでいます

11. 1000マルク札の顔

1000マルク札の顔

ユーロ導入前のドイツで最高額面だった1000マルク紙幣の表は、兄弟の肖像でした。発行が始まったのは1992年10月27日です。

裏側に描かれたのは『ドイツ語辞典』の扉とベルリン王立図書館。童話の要素は「星の銀貨」の少女が小さく添えられている程度です。紙幣は2001年末、ユーロ移行にともなって流通を終えています。

出典:ドイツ連邦銀行

まとめ

グリム兄弟は童話作家というより、ドイツ語の文法や辞典に取り組んだ学者でした。名前が残る「グリムの法則」も、先に指摘した研究者の考えを体系的に整理したものです。

童話集は1812年の初版から版を重ねるたびに書き換えられ、実の母が継母になり、妊娠をうかがわせる場面は消えました。語り手も村の老婆ではなく、カッセルの市民層の若い女性が中心だったと分かっています。

兄弟は同じ家で暮らしながら研究を続け、未完のまま残した辞典は1961年に完結しました。

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更新日:2026年9月21日(月) 06:34

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