ゴッホの雑学11選!5本のひまわりは空襲で焼けた

『ひまわり』や『星月夜』で知られるフィンセント・ファン・ゴッホですが、画家として活動したのはわずか10年ほどでした。

耳を切った事件や悲しい最期はあまりに有名なものの、生まれる1年前に死産した同じ名前の兄がいたことや、パリで浮世絵を660枚も買い集めていたこと、日本にあった『ひまわり』が空襲で焼けてしまったことまではあまり知られていないかもしれません。

そんなゴッホにまつわる雑学を11個ご紹介します。

1. 同じ名前の兄が眠る墓

同じ名前の兄が眠る墓

ゴッホが生まれるちょうど1年前の1852年3月30日、同じフィンセントという名の兄が死産で亡くなり、本人は1年後の同じ日に生まれて同じ名前を与えられました。

兄の墓はズンデルトの教会墓地に今も残されており、教会へ向かうにはその墓の脇を通る位置にあったそうです。

※ズンデルトは、ゴッホが生まれたオランダ南部の村です。

2. 炭鉱で慕われた伝道師

炭鉱で慕われた伝道師

1879年、ゴッホは牧師見習いとしてベルギーの炭鉱地帯ボリナージュに赴任し、自分の食料も衣服も炭鉱夫に配り尽くしたため「炭鉱のキリスト」と呼ばれたそうです。

ところが同年7月、伝道委員会は説教が下手で言葉の賜物がないという理由で契約を更新しませんでした。

※賜物は「たまもの」と読み、天から授かった才能という意味です。

3. ランプの炎に手をかざす

ランプの炎に手をかざす

1881年、ゴッホは従姉のケーに求婚しますが「絶対に、いやよ、絶対に」と拒まれます。

それでもあきらめず、伯父の家で左手をランプの炎にかざし、この手を炎に入れていられる間だけ会わせてほしいと迫ったところ、驚いた伯父がランプを吹き消したと伝えられています。

※従姉は「いとこ」で、ここでは年上の女性のいとこを指します。

4. 浮世絵を660枚も買い込む

浮世絵を660枚も買い込む

1886年以降、ゴッホは弟のテオとともにパリの画商ビングの店から浮世絵をおよそ660枚も買い集めました。

転売して利益を出すつもりだったようですが思うようには売れず、ビングに対する90フランの借金は、ゴッホが亡くなるまで支払われないままだったとされています。

※ビングはパリで日本美術を扱っていた画商です。

※フランは当時のフランスで使われていた通貨の単位です。

5. 切ったのは耳たぶではない

切ったのは耳たぶではない

1888年12月23日の耳の事件で切り落としたのは、耳たぶではなく耳のほぼ全体だった可能性が高いようです。

2016年に治療した医師レイの自筆スケッチが見つかってゴッホ美術館も本物と認めており、この日はゴーギャンとの約9週間の共同生活が壊れた日でもありました。

※切った耳を渡した相手は、娼館で掃除係として働いていた当時18歳の農家の娘だったとする調査もあります。

6. 絵の具を口にした理由

絵の具を口にした理由

精神病院で暮らしていた頃、ゴッホが絵の具を食べたりテレピン油を飲もうとしたりしたことは主治医の記録に残っています。

黄色を食べれば幸せになれると信じていたという話は俗説で、実際は自分を傷つける目的だったとされ、一時は絵の具を取り上げられていたそうです。

※テレピン油は、油絵の具を溶かすために使われる油です。

7. 星月夜は昼間に描かれた

星月夜は昼間に描かれた

1889年にサン=レミの精神病院で描かれた『星月夜』は、夜の景色ながら寝室では制作できず、昼間に1階のアトリエで仕上げられました。

東向きの窓の実景がもとですが村の風景は想像で、本人は気に入らず、また大きすぎる星に手を伸ばした失敗だと手紙に書いています。

※サン=レミは南フランスの町で、ゴッホが療養していた場所です。

※手紙の記述を『星月夜』のことだと解釈したのは研究者による説です。

8. 70日間で74点を仕上げる

70日間で74点を仕上げる

ゴッホは1890年5月20日にパリ近郊のオーヴェル=シュル=オワーズへ到着し、7月29日に亡くなるまでのおよそ70日間で、油彩を74点も描き上げました。

画家として活動したのはわずか10年ほどでしたが、その間に油彩およそ860点を含む2100点前後もの作品を残しています。

※油彩は、油絵の具で描かれた作品のことです。

9. 拳銃の出どころは謎のまま

拳銃の出どころは謎のまま

公式には自殺とされていますが、ゴッホがどこで拳銃を手に入れたのかは不明です。

2011年には伝記作家が16歳の少年による誤射との説を発表し、凶器とされる錆びた拳銃は2019年にパリの競売で16万2500ユーロで落札されましたが、凶器と断定されたわけではありません。

※16万2500ユーロは、報道により約1625万円から2000万円弱と幅があります。

10. 空襲で焼けたひまわり

空襲で焼けたひまわり

日本の実業家・山本顧彌太が1920年ごろ購入した5本の『ひまわり』は、広島に原爆が落とされた1945年8月6日、芦屋を襲った空襲で邸宅ごと焼けてしまいました。

壁に固定されていて運び出せなかったそうで、1987年には安田火災が別バージョンを約58億円で落札しています。

※山本顧彌太は「やまもとこやた」と読みます。落札額は53億円とする報道もあります。

※ゴッホの生前に売買の記録が確実に残っているのは『赤い葡萄畑』1点(400フラン)だけとされています。

11. ゴッホの名声を築いた義妹

ゴッホの名声を築いた義妹

弟のテオはゴッホの死から約半年後に33歳の若さで亡くなり、残されたテオの妻ヨーが数百点の絵と全903通の手紙を引き継ぎ、地道に管理と売り込みを続けました。

1914年には書簡集を出版してゴッホの名声を築き、息子にあたる甥は後にゴッホ美術館を設立しています。

※書簡集は、やりとりされた手紙をまとめた本のことです。903通の手紙のうち9割近くが弟テオ宛でした。

更新日:2026年8月21日(金) 08:38

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