産業革命の雑学13選!人間の目覚まし時計が実在した

今の暮らしを形づくった産業革命ですが、その内側をのぞいてみると、教科書には載っていない意外な話がいくつも見つかります。

工場を見回る監督官が全国にたった4人しかいなかったり、人を起こすためだけの職業が20世紀の後半まで残っていたり、鉄道の開業式で元大臣が命を落としたり。

華やかな発展の裏側で、人々の暮らしや時間の感覚まで大きく塗り替えられていきました。

そんな産業革命にまつわる雑学を13個ご紹介します。

1. 高すぎる人件費が機械を生んだ

高すぎる人件費が機械を生んだ

イギリスで産業革命が始まったのは、労働者の賃金が世界的に見て高く、石炭が世界一安く手に入ったからだという説が有力です。

人手を高い賃金で雇うより、安い石炭を燃やす機械に置き換えたほうが得だという計算が成り立つ国は、当時ほかにありませんでした。

2. 工業都市だけ取り残された

工業都市だけ取り残された

急速に工業化が進んだ19世紀の前半、イギリス全体の平均寿命はむしろ35歳前後から40歳前後へと伸びていました。

ところが1840年前後のマンチェスターは29.8歳、グラスゴーは27.3歳と、人口が急増した工業都市だけが全国平均から10歳以上も取り残されていたのです。

3. 工場の監督官は全国で4人

工場の監督官は全国で4人

1833年の工場法は9歳未満の労働を禁じ、違反を取り締まる工場監督官を初めて置きましたが、その人数は全国でわずか4人でした。

それ以前にも1802年の徒弟法などの規制はありましたが、対象が狭く罰則も弱かったため、5歳で炭鉱に入ったという証言まで残っています。

4. 中国の茶が命を救った

中国の茶が命を救った

当時のイギリスで飲まれていた茶はほぼ全量が中国からの輸入品で、東インド会社が1834年まで独占していました。

誰も衛生のために沸かしたわけではないのに、茶を飲むために湯を沸かす習慣が広まった結果、水が原因の病気による死亡が減っていたとする研究もあります。

5. 子だけを差し出す階級

子だけを差し出す階級

労働者階級を指すプロレタリアートという言葉は、古代ローマの最下層市民を意味するラテン語が語源です。

財産を持たず、国家には子供を差し出すことしかできない層という意味合いで、マルクスらが1848年の共産党宣言で近代の賃金労働者へ当てはめ、広く定着しました。

※「プロレタリアート」は生産手段を持たず、賃金を得て働く人々を指します。

6. 昔は夜中に一度起きていた

昔は夜中に一度起きていた

産業革命より前の人々は日没とともに眠り、夜中に一度起きて眠る分割睡眠を送っていたという説があります。

当時の日記や裁判記録には第一の睡眠、第二の睡眠という言い回しが2000件以上見つかっており、ガス灯の普及と工場の時間管理が習慣を変えたとされています。

7. ワットは3番目の改良者

ワットは3番目の改良者

蒸気機関はセイヴァリが1698年に特許を取り、ニューコメンが1712年に鉱山の水をくみ出す機関を実用化したのが先で、ワットはその改良者にあたります。

ただし彼が加えた分離凝縮器のおかげで石炭の消費は3分の1から4分の1にまで減り、工場や鉄道への応用が進みました。

※「分離凝縮器」は蒸気を冷やす部分を本体から切り離した仕組みで、熱の無駄を大きく減らしました。

8. 町ごとに時間が違った

町ごとに時間が違った

鉄道網が広がるまでイギリスの時刻は町ごとにばらばらで、ロンドンに対してブリストルは約10分、オックスフォードは約5分もずれていました。

ブリストルの取引所には今も分針が2本ある時計が残されていて、地方時とグリニッジ標準時の10分のずれをそのまま示しています。

9. 機械を壊すと死刑になった

機械を壊すと死刑になった

新しい機械に仕事を奪われることを恐れた職人たちは、1811年から各地の家内作業場や工場を襲い、ハンマーで機械を壊して回りました。

翌年には機械の破壊を死刑とする法律まで作られ、1813年にはヨークで17人が処刑され、鎮圧には1万2000人もの兵が投入されています。

10. 開業式で元大臣が轢かれた

開業式で元大臣が轢かれた

1830年9月15日、リヴァプールとマンチェスターを結ぶ鉄道の開業式で、元商務大臣のハスキソンが線路上でロケット号に脚を轢かれ、その日のうちに亡くなりました。

世界の鉄道史のなかで最初に大きく報じられた乗客の死亡事故が、記念すべき式典の日に起きたのです。

11. 人間の目覚まし時計がいた

人間の目覚まし時計がいた

目覚まし時計が高価だった時代のイギリスには、長い竿で2階の窓を叩いたり、豆鉄砲で乾燥豆を撃ち込んだりして労働者を起こす、ノッカーアップという職業がありました。

料金は週に6ペンスほどで、この仕事は一部の工業地帯では1970年代まで残っていたそうです。

12. 缶切りは約半世紀遅れた

缶切りは約半世紀遅れた

缶詰は1810年にイギリスで特許が取られましたが、それを開ける缶切りが登場したのは1858年のアメリカで、その間には半世紀近い空白がありました。

当時の缶は分厚い錬鉄製でとても硬く、製造元自身がハンマーとノミで開けるように案内していたというから驚きです。

13. 日本の産業革命は明治

日本の産業革命は明治

日本の産業革命は欧米よりおよそ100年遅れ、1886年前後に起きた企業設立ブームから本格化したとされています。

殖産興業の模範工場として1872年に開業した富岡製糸場は繰糸器を300釜も並べ、当時のヨーロッパの製糸工場のおよそ2倍という当時世界最大級の規模でした。

更新日:2026年8月18日(火) 01:19

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