ナイチンゲールの雑学12選!フクロウをポケットに愛用

「白衣の天使」「近代看護の母」として知られるフローレンス・ナイチンゲール。

ランプを手に夜の病室を見回る、やさしい看護師の姿を思い浮かべる方も多いかもしれません。

ところが実際の彼女は、統計の数字で国を動かし、看護師の登録制度に反対し、フクロウを持ち歩くという、意外な一面の持ち主でした。

ランプの絵だけでは語りきれない、驚きの逸話が数多く残されています。

そんなフローレンス・ナイチンゲールにまつわる雑学を12個ご紹介します。

1. 名前の由来は新婚旅行先の街

名前の由来は新婚旅行先の街

ナイチンゲールは1820年、両親の新婚旅行先だったイタリアのフィレンツェで生まれ、その街の名前から「フローレンス」と名づけられました。

その前の年にナポリで生まれた姉も同じように、ナポリの古代ギリシャ名にちなんで「パルテノペ」と名づけられています。

2. 統計学の世界で受けた栄誉

統計学の世界で受けた栄誉

看護だけでなく統計にも通じており、1858年には王立統計協会で初めての女性フェローに選ばれ、1874年にはアメリカ統計学会の名誉会員にもなりました。

1907年には女性として初めてメリット勲章を受けており、次に女性が受けたのは1965年で、約60年の間が空きました。

※「フェロー」は、学会が特に功績を認めた正会員に与える称号です

3. 死亡率を下げたのは衛生対策

死亡率を下げたのは衛生対策

スクタリの野戦病院で死亡率が大きく下がったのは、英政府の衛生委員会が下水や便所を清掃し、水源を汚していた馬の死骸を取り除いた直後のことでした。

彼女自身も有名なグラフの中で転換点として示したのは、看護の始まりではなく衛生委員会の到着時期でした。

※「スクタリ」は、現在のトルコ・イスタンブールにあった地区の名前です

4. 感染の考え方は瘴気説寄り

感染の考え方は瘴気説寄り

衛生の大切さを説いた一方で、病気の原因については汚れた空気が病を起こすという瘴気説に近い立場をとり、人から人へうつるという考え方には否定的でした。

細菌説にも当初は懐疑的でしたが、1880年代の書簡を見るとしだいに受け入れていったと考えられています。

※「瘴気(しょうき)」は、汚れた空気が病気を起こすという古い考え方です。ミアズマとも呼ばれます

5. 現場の看護経験は3年ほど

現場の看護経験は3年ほど

看護の代名詞のような人物ですが、現場で看護に携わった期間は通算3年ほどとされます。

クリミアの戦地にいたのは1854年11月から1856年7月までの2年弱で、そのうち半島の本土にいたのは7か月ほど、ロンドンの療養施設の監督を務めた約14か月を含めても3年前後です。

6. 病床から医療制度を動かした

病床から医療制度を動かした

帰国してからは30代後半から寝たきりに近い生活が長く続き、人前に出て活動することはほとんどなくなりました。

それでもその後の半世紀にわたって、病床から数えきれないほどの手紙や報告書を書き送り、医療や衛生の制度を少しずつ動かし続けたと言われています。

7. 誓詞を書いたのは本人ではない

誓詞を書いたのは本人ではない

看護師が唱える「ナイチンゲール誓詞」は本人の作ではなく、1893年にアメリカのミシガン州デトロイトの看護学校で、リストラ・グレッターと委員会がまとめたものです。

近代看護の創始者への敬意から名前が冠されたもので、本人は作成に一切関わっていません。

※「誓詞(せいし)」は、誓いの言葉のことです

8. 看護師の登録制度には反対

看護師の登録制度には反対

看護師の国家登録、つまり資格の登録制度には反対の立場をとっていました。

看護は天職であり、登録制になると教育を受けていない労働者階級の女性が看護師になりにくくなることを心配したためで、登録制が法律で定められたのは、彼女の死後の1919年のことでした。

9. 赤十字の構想には反対した

赤十字の構想には反対した

赤十字を創設したアンリ・デュナンは、栄誉はすべて彼女のものだと語ったと伝えられています。

しかし本人は1863年1月のデュナン宛の手紙で、本来は各国政府が負うべき責任を肩代わりし、政府の責任を免除してしまうことになると述べて、その構想に反対していました。

10. フクロウを持ち歩いた女性

フクロウを持ち歩いた女性

ペットのコキンメフクロウ「アテナ」を、エプロンのポケットに入れて持ち歩きました。

アテネのパルテノン神殿でいじめられていた雛を助けたもので、クリミアへ発つ前に死んでからは剥製にして生涯手元に置き、猫も大好きで生涯に60匹ほどを飼ったとも言われます。

※「剥製(はくせい)」は、動物の姿を残すように作った標本のことです

11. 実物のランプはトルコの提灯

実物のランプはトルコの提灯

絵でおなじみのアラジン型のランプは画家の想像で、夜の巡回で使ったのはトルコの折りたたみ式の提灯だったそうです。

1975年発行の英国の10ポンド紙幣も誤ってランプ型で描いており、この紙幣は女王以外で初めてイングランド銀行券に登場した女性でもあります。

※「提灯(ちょうちん)」は、紙や布を張った折りたたみ式の灯りです

12. 寺院への埋葬を辞退した最期

寺院への埋葬を辞退した最期

1910年8月13日、ロンドンの自宅で90歳で亡くなりました。

国はウェストミンスター寺院への埋葬を打診しましたが、遺言により遺族が辞退し、ハンプシャーの家族の墓に両親と並んで葬られ、葬列の人数まで本人が制限していたものの、当日は数千人が集まりました。

更新日:2026年8月6日(木) 03:26

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