オートレースの雑学12選!78歳が勝つ定年なしの世界

走路を駆け抜けるオートレースの競走車には、ブレーキが付いていません。止める仕組みを持たない乗り物で競い合うとは、どういうことなのでしょうか。

減速の方法にも、強い選手ほど後ろから出る距離ハンデにも理由があります。発祥の地が真っ先に消えた歴史や、78歳の現役選手、元SMAPの森且行選手の歩みまで、仕組みと人の両面からたどっていきます。

そんなオートレースにまつわる雑学を12個ご紹介します。公式資料にもとづく項目には出典を添えています。

ブレーキを持たない競技

オートレースの競走車は、公道を走るバイクとも、ほかの競技用車両とも大きく違います。まずは車とレースのしくみから見ていきましょう。

1. 競走車にブレーキがない

競走車にブレーキがない

オートレースの競走車には、ブレーキが付いていません。減速はアクセルを戻してエンジンの抵抗で速度を落とすエンジンブレーキだけで行います。

急に止まれば後続が追突する危険があるため、最初から装備していないのです。変速はローとトップの2段だけで、ライトもメーターもありません。

2. 強い選手ほど後ろに並ぶ

強い選手ほど後ろに並ぶ

オートレースは原則としてすべてがハンデ戦で、実力差に応じて10m単位の距離ハンデが課され、強い選手ほど後ろからスタートし、その幅は最大110mに達するのです。

走路は1周500mで、通常は8車が6周して3100mを走ります。追う側と逃げる側がはっきり分かれる仕組みと言えるでしょう。

3. 試走タイムが示すもの

試走タイムが示すもの

本走の前には試走と呼ばれる周回があり、1周500mのタイムを5で割った100mあたりの平均が試走タイムとして公表されます。エンジンの仕上がりが直前に数字で分かるわけです。

予想の世界では、この0.01秒がおおよそハンデ10mに相当する目安として使われています。

4. 全員が同じエンジンで走る

全員が同じエンジンで走る

選手が積むエンジンは全員同じ「セア」で、1990年に選手会の要望で指名設計入札が行われ、応札したスズキとHKSのうちスズキ案が採用されました。

1993年10月のデビュー時には、オートレース界で初めて全選手が一斉に乗り換えています。空冷4サイクル2気筒で、1級車用は599cc、2級車用は498ccです。

※「セア(SEA)」は「Super Engine of Auto Race」の頭文字からとされる名前です

5. 道具も整備もすべて自腹

道具も整備もすべて自腹

選手は個人事業主で、エンジンもフレームもタイヤもツナギも自費でそろえます。整備も自分の手で行うため、その調整しだいで性能と勝敗が変わるのです。

すぐ走れる完成車はおよそ200万円、エンジン単体でおよそ120万円、年間の整備費が500万〜600万円に達することもあるとされています。

船橋から始まった歴史

この競技が産声をあげたのは、戦後まもない千葉県船橋市でした。走り出したばかりの頃は、今とずいぶん違う姿をしています。

6. 発祥は船橋の競馬場だった

発祥は船橋の競馬場だった

日本で最初のオートレースは1950年10月29日、千葉県船橋市の船橋競馬場の内馬場に作られた1周800mのダートコースで開かれました。JKAはこの日を「オートレース発祥の日」としています。

船橋オートレース場は2016年3月末に廃止され、跡地には物流施設やアイスパーク船橋が生まれました。

7. 12万名の署名も届かず

12万名の署名も届かず

船橋の車券売上は1990年度の約744億円がピークでした。2013年度には約103億円まで落ち込み、入場者も約15万4000人にとどまります。

2014年に廃止方針が伝えられると、存続を求める12万名の署名が船橋市と千葉県に提出されました。それでも流れは変わらず、発祥の地が真っ先に姿を消すことになりました。

8. 四輪も走っていた黎明期

四輪も走っていた黎明期

初期のオートレースでは四輪車も走っていました。JKAの年表によると、1952年1月に船橋で四輪車レースが始まっています。

開設も相次ぎ、1951年に園田・長居・柳井、1952年2月に川口が加わりました。競輪場に併設された甲子園は走路が狭く、砂やオイルの影響もあって1955年3月に廃止されています。

定年も性別も問わない世界

選手になる道は、思っているよりも多くの人に開かれています。年齢も性別も、走り続けることの妨げにはなっていません。

9. 16歳以上なら年齢制限なし

16歳以上なら年齢制限なし

選手養成所は茨城県下妻市の筑波サーキットの敷地内にあります。受験資格は満16歳以上で年齢の上限はなく、体重60kg以下、両眼とも裸眼視力0.6以上が条件です。

バイクの経験は問われず、免許は原付でも構いません。訓練は9か月で、第38期は受験者361名に対し合格は20名でした。

※候補生は諸経費の一部として120万円を負担します

出典:JKA「第38期選手候補生合格者決定」(2024年)

10. 78歳で勝った現役選手

78歳で勝った現役選手

オートレースの世界に定年はなく、1946年生まれの鈴木章夫選手は1964年に選手登録し、2025年3月に78歳と193日で勝って公営競技全体の史上最年長勝利記録を作り、登録61年目で通算1400勝を超えてました。

先代の記録保持者だった谷口武彦選手も、75歳まで約50年を走り抜きました。

11. 44年ぶりに戻った女子選手

44年ぶりに戻った女子選手

女子選手は1967年にいったん途絶え、2011年7月に44年ぶりに第31期の佐藤摩弥が川口で、坂井宏朱が船橋でデビューし復活を果たします。

この期は応募986名に対して登録20名という狭き門でしたが、佐藤は2013年に女子初優勝、2023年には女子初のGI制覇を成し遂げています。

※SGはオートレース最高峰のグレードで、GIはそれに次ぐ格の大会です

出典:JKA「44年ぶりの女性オートレーサーが2名誕生」(2011年)

12. 元SMAPが46歳で頂点へ

元SMAPが46歳で頂点へ

森且行選手は1996年5月に第25期生として養成所へ入所しました。同年8月には走行訓練中に金網へ激突し、左股関節を脱臼骨折しています。

1997年7月6日のデビュー戦は1着、そして2020年11月のSG日本選手権では46歳で初のSG制覇を果たしました。2021年の落車で骨盤と腰椎を折りましたが、約2年3か月後に走路へ戻っています。

まとめ

オートレースは、ブレーキを持たない競走車と、実力差を10m単位で埋める距離ハンデに支えられた競技です。エンジンを全員同じセアにそろえたのも、試走タイムで直前の仕上がりを公表するのも、力の差をできるだけ見えやすくするための工夫と言えます。道具をそろえて整備する費用は、選手が自分で背負っています。

一方で、1950年に船橋で生まれたこの競技は、発祥の地を失いながら続いてきました。定年がなく、78歳で勝つ選手も、44年ぶりに戻った女子選手もいます。次にレースを見るときは、最後方から追い上げてくる車にも目を向けてみてください。

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更新日:2026年9月17日(木) 01:25

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