葛飾北斎の雑学11選!掃除せず93回引っ越し

『富嶽三十六景』で知られる葛飾北斎は、江戸時代に90年もの生涯をまるごと絵に捧げた絵師です。

90歳で亡くなる間際まで絵の上達を願い続け、雅号を30回以上変え、住まいを93回も移したと伝えられます。

畳120枚分の紙に大きなダルマを描いたかと思えば、89歳で長野の寺の天井に鳳凰を描き上げるなど、そのあふれる行動力とこだわりは、年齢をあまり感じさせません。

そんな葛飾北斎にまつわる雑学を11個ご紹介します。

1. 巨大なダルマを描いた興行

巨大なダルマを描いた興行

1817年10月5日、数え58歳の北斎は名古屋の西掛所で、和紙約1800枚を貼り合わせた120畳もの紙に、巨大なダルマを即興で描いてみせました。

米俵5俵分の藁で作った大筆やシュロぼうきを振るう様子は尾張藩士の高力種信が記録しており、記録は名古屋市博物館にあります。

※「西掛所(にしかけしょ)」は名古屋にあった東本願寺の別院です。
※「高力種信(こうりきたねのぶ)」は絵日記を残した尾張藩の武士です。

2. 将軍の御前で鶏を放った話

将軍の御前で鶏を放った話

11代将軍・徳川家斉の御前で、北斎はまず山水花鳥を描き、続いて長くつないだ紙に刷毛で藍色を引いたと伝わります。

そこへ足に朱を塗った鶏を放って足跡をつけさせ、紅葉が流れる川に見立て「竜田川でございます」と一礼し、そのまま退出したという逸話が残ります。

※「竜田川(たつたがわ)」は紅葉の名所として和歌に詠まれた奈良県の川です。

3. 93回引っ越した暮らしぶり

93回引っ越した暮らしぶり

北斎は生涯で93回引っ越したとされ、部屋を掃除せず竹の皮や炭俵が散らかって限界になると、次の家へ移っていたと伝えられます。

天保7年の人名録『広益諸家人名録』では473名のうちただ2名だけの「居所不定」扱いで、絵師としての雅号も30回以上変えたそうです。

※「広益諸家人名録(こうえきしょかじんめいろく)」は当時の文化人を集めた名簿です。
※「雅号(がごう)」は絵師や文人が使う名前のことです。

4. 毎朝描いて捨てた獅子の絵

毎朝描いて捨てた獅子の絵

数え83歳から84歳の頃、北斎は厄除けとして毎朝1枚ずつ獅子の絵を描いては丸めて外へ捨てていたと伝わります。

「これは我が孫という悪魔を払うまじないだ」と語ったとされ、同居する娘のお栄が拾い集めたおかげで219枚が現存し、九州国立博物館に収められています。

※現存する219枚は「日新除魔図(にっしんじょまず)」と呼ばれ、重要文化財に指定されています。

5. 自作の薬で病を乗り越える

自作の薬で病を乗り越える

数え68歳の頃に中風で倒れた北斎は、柚子1個を竹べらで刻み、日本酒1合と一緒に土鍋で水あめ状になるまで煮詰めた薬を自分で作ったと伝わります。

金物の刃物は使わず、これを白湯に溶かして飲んだところ回復したとされ、作り方は自筆のメモとして残されています。

※「中風(ちゅうぶう)」は脳血管障害による手足のまひなどを指す昔の呼び方です。

6. 89歳で仕上げた天井の鳳凰

89歳で仕上げた天井の鳳凰

1848年、数え89歳の北斎は長野県小布施町にある岩松院の本堂に、畳21枚分もの天井画「八方睨み鳳凰図」を見事に描き上げました。

中国から輸入した岩絵具の代金は150両、金箔は4400枚にのぼり、一度も塗り替えられていないのに約180年たった今も色鮮やかなままです。

※「岩松院(がんしょういん)」は豪商の高井鴻山が北斎を支援して招いた寺です。
※「八方睨み鳳凰図(はっぽうにらみほうおうず)」はどこから見ても目が合うと言われる天井画です。

7. 娘の腕前には敵わなかった

娘の腕前には敵わなかった

娘の葛飾応為も腕の立つ絵師で、北斎は「私の美人画は応為には及ばない」と語ったと伝わります。

応為の代表作『吉原格子先之図』には落款がありませんが、画中に描かれた3つの提灯に「應」「為」「栄」の字が隠されており、光と影の表現が高く評価されています。

※「葛飾応為(かつしかおうい)」は北斎の娘で、本名はお栄といいます。
※「落款(らっかん)」は作者が作品に入れる署名や印のことです。

8. 最期に願ったあと5年の時

最期に願ったあと5年の時

数え90歳の臨終で、北斎は「天が私にあと10年の命をくれたら」と嘆き、やがて「いや、あと5年でいい。そうすれば本当の絵描きになれたのに」と言ったと伝わります。

辞世の句は「人魂で行く気散じや夏の原」で、幽霊になって夏の野原を見物しに行こうという意味です。

※「気散じ(きさんじ)」は気晴らしという意味の言葉です。

9. 三十六景なのに46図ある

三十六景なのに46図ある

『富嶽三十六景』は売れ行きがとても良かったため、あとから10図が追加され、全部で46図というにぎやかな顔ぶれになりました。

追加分は「裏富士」と呼ばれ、最初の36図が輪郭線も題名も落款も藍色なのに対し、追加の10図は墨色で刷られているため、見分けられます。

※「裏富士(うらふじ)」は主に山梨側など富士山の裏手から描いた図を指します。

10. パスポートを彩る富士の絵

パスポートを彩る富士の絵

2020年2月4日の申請受付分から、日本のパスポートの査証欄には『富嶽三十六景』の絵柄が採用されています。

10年用は54ページに24作品、5年用は32ページに16作品が使われ、ページをめくるごとに違う絵柄が現れ、まるで小さな画集を持ち歩いているような作りです。

※「査証欄(さしょうらん)」は入国スタンプやビザが押されるページです。

11. 水星にも名を刻んだ絵師

水星にも名を刻んだ絵師

1998年、アメリカの『LIFE』誌が選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の100人」で、北斎は86位に選ばれました。

日本人でランクインしたのは北斎ただ一人で、さらに1991年に見つかった直径約100キロの水星のクレーターにも「Hokusai」の名がついています。

更新日:2026年8月3日(月) 11:58

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