下剋上の雑学10選!最初の天下人は信長じゃない

下剋上は、身分の低い者が実力で上の者を打ち倒し、その地位を奪い取ることを指す言葉です。

とくに戦国時代には、家臣が主君を、地方の武将が守護大名を倒して成り上がる風潮が広がり、まさに実力がものをいう乱世の象徴となりました。

歴史を大きく動かす原動力となったこの言葉には、その由来や意外な使われ方など、知られざる一面が数多く隠されています。そんな下剋上にまつわる雑学を10個ご紹介します。

1. 下剋上ってどんな意味?

下剋上とは、下の立場の者が上の者を実力で打ち負かし、その地位を奪い取ることを指す言葉です。

身分や序列が固定されがちだった時代に、力のある者が秩序を覆していく様子をあらわしており、今でも立場の弱い側が逆転する場面のたとえとして使われることがあります。

2. 言葉の起源は古代中国

下剋上という言葉のルーツは、古代中国で書かれた古い書物にあるとされています。

世の秩序が乱れ、下の立場の者が上の立場の者をしのいでいく不安定な世の中の様子を言い表すために使われていたようで、それがやがて日本にも伝わり、広まっていったと考えられています。

3. 戦国の世で広く流行

下剋上という言葉は、戦国時代に入ると世の中に広く知られ、大いに流行していったといわれています。

家柄や身分ではなく実力さえあれば誰でも上を目指せるという新しい風潮が、終わりの見えない戦乱の中で必死に生きる当時の人々の心を、強くとらえたと考えられています。

4. 流行の始まりは応仁の乱

下剋上の風潮が一気に世の中へ広まる大きなきっかけになったのは、京都で起きた応仁の乱だといわれています。

10年あまりにわたって続いた大きな戦乱で古い秩序が大きくゆらぎ、各地で実力のある者が次々と力強く台頭していく、新しい時代へと移り変わっていきました。

5. マムシと恐れられた斎藤道三

斎藤道三は、わずか一代で美濃の国を奪い取り、マムシの異名で周囲の人々から大いに恐れられた武将です。

低い身分から知恵と実力だけでのし上がっていったとされ、下の者が上の者を倒す下剋上を象徴する人物として、現在でも実に多くの人々に語り継がれています。

6. 世を揺るがした三大梟雄

下剋上が広く世に広がった時代には、後に三大梟雄(さんだいきょうゆう)と呼ばれた3人の武将(斎藤道三・松永久秀・宇喜多直家)がいたと伝えられています。

梟雄とは、すぐれた強さと冷酷さをあわせ持つ英雄という意味の言葉で、激しい乱世を巧みに生き抜き、自らの力だけで大きな勢力を築き上げた人物たちを指しています。

7. 南北朝の書物にも登場

下剋上という言葉は、南北朝時代に書かれたいくつかの書物(『二条河原の落書』など)の中にもすでに見られるとされています。

戦国時代よりもさらに前の古い時代から、身分や立場の逆転をあらわす表現として使われていたことがうかがえ、この言葉が持つ歴史の長さや奥深さを感じさせてくれます。

8. 最初の天下人は三好長慶

戦国の世で最初に天下を取った人物は、三好長慶(みよし ながよし)だという見方があります。

仕えていたはずの将軍をしのぐほどの大きな力を持ち、京都を中心とした広い地域をしっかり支配する勢力を築いたと伝えられ、後に続く天下人たちの先がけともいえる存在として注目されています。

9. 主君を裏切った陶晴賢

陶晴賢(すえ はるかた)は、長きにわたって仕えていた主君(大内義隆)に対して反旗をひるがえし、その地位と領地を一気に奪い取った武将として知られています。

下の立場の者が上の立場の者を倒すという下剋上を、まさに体現した代表的な出来事(大寧寺の変)のひとつとして、今も歴史に名を残し続けているのです。

10. 江戸時代に幕を閉じる

下剋上の風潮は、江戸時代に入るとしだいに世の中からはっきりと見られなくなっていったとされています。

徳川家のもとで長く戦乱のない世の中が安定して続き、身分の秩序が以前にも増して強く重んじられるようになったことが、その大きな背景にあると考えられています。

更新日:2026年6月14日(日) 08:48

コメントを入力

TOP