遣唐使に関する豆知識

遣唐使(けんとうし)とは、飛鳥時代から平安時代にかけて、日本から唐(現在の中国)へと派遣された使節団のことです。

630年の第1回派遣から始まり、最先端の文化や政治制度、仏教などを学ぶため、命がけで荒波を越えていきました。

阿倍仲麻呂や空海といった歴史上の有名人もこの船に乗って海を渡っています。

894年に菅原道真の提案で延期されるまで約260年間続き、日本の国づくりに多大な影響を与えました。今回はそんな遣唐使に関する豆知識を10個ご紹介します。

1. 生還率は約50パーセント

遣唐使は通常4隻の船で編成されて遠い唐の国を目指して出航しましたが、途中で嵐や遭難に遭う確率が非常に高い大変過酷な旅でした。

無事に日本へと帰ってこられた船は全体の約半数程度と言われており、当時の渡航はまさに自分の命を懸けた壮大な大事業だったのです。

2. 菅原道真は延期しただけ

894年に菅原道真の建議により遣唐使は完全に停止されたと習いますが、実は当時の唐の情勢不安を理由に一旦延期を申し出ただけです。

その後に唐自体が滅亡してしまったため正式な新たな派遣が行われることはなく、結果的に自然消滅という形で歴史の幕を閉じたのでした。

3. 遣唐使船は平底船だった

波の荒い東シナ海を渡るにもかかわらず、遣唐使船は川や沿岸を走るための底が平らな構造(平底)をしており、外洋の航海には全く不向きでした。

造船技術がまだ未熟だったためですが、少しの波風で船が大きく揺れて容易に転覆してしまうという致命的な弱点を持っていたのです。

4. 危険な航海ルートを渡っていた

初期は朝鮮半島沿いを進む比較的安全な「北路」が使われましたが、新羅との関係が悪化したことで航路の変更を余儀なくされたのです。

後期は東シナ海を直接横断する危険な「南路」や「南島路」を通らざるを得なくなり、遭難して命を落とす確率が大幅に跳ね上がることとなりました。

5. ネズミ対策で猫を乗せていた

唐から持ち帰る貴重な仏教経典や書物をネズミに囓られないようにするため、遣唐使船には猫が護衛役として乗せられていたのです。

日本に猫が定着し始めたのは遣唐使の時代からだという説も存在しており、当時の貴重な文化を守る重要な役目を担っていたのです。

6. 20年以上も帰ってこれなかった

唐で学ぶ留学生には短期と長期の区分があり、長期留学生は「次の船が来るまで帰国できない」という大変厳しい掟が設けられていたのです。

次の船が到着するのは早くて10年以上先であり、遅ければ20年以上もかかってしまうため、ついに生涯2度と帰れない人もいました。

7. 現地では筆談でコミュニケーションをとった

日本からの使節団は中国語の発音ができなかったため、唐の役人たちとのやり取りは主に漢字を用いた筆談で行われたのです。

言葉の壁があっても漢字という共通の文字文化があったため、国境を越えた高度な外交を円滑に成立させることができたのです。

8. 渡ったのは職業のスペシャリスト集団だった

遣唐使は大使などの役人だけでなく、医師や大工やガラス職人に絵師など、当時の最先端技術を学ぶ専門家が多く参加しました。

彼らはただの外交官の集団ではなく、1回の派遣で総勢500人規模になることもある多彩な職業のスペシャリスト集団でした。

9. 住吉大社で命がけの祈願が行われた

生きて帰る保証が全くない過酷な航海だったため、出発前には海の神様を祀る大阪の住吉大社で大規模な祈願祭が実施されたのです。

儀式では天皇から大使へ「節刀(せっとう)」と呼ばれる重要な証が授けられ、まさに国を挙げての一大事業として盛大に見送られていたのです。

10. 海賊に襲われる危険もあった

航海の脅威は自然災害だけではなく、通るルートによっては海賊が横行しており、積荷を狙って襲撃される危険が常にあったのです。

そのため船内には護身用の弓矢といった武器も大量に積み込まれており、使節団は命がけで自分たちの身を守る必要があったのです。

更新日:2026年5月15日(金) 10:26

コメントを入力

TOP