フランスの国民的ヒロインとして世界中で知られているジャンヌ・ダルクは、神の啓示を受けて祖国を救った奇跡の少女という華々しいイメージがありますが、彼女の本当の姿や生涯には、意外と知られていない驚きの事実が数多く隠されています。
今回は、そんな彼女の波乱万丈な短い生涯にまつわる、知れば誰かに話したくなる雑学を15個ご紹介します。
1. 「ジャンヌ・ダルク」と名乗っていなかった

当時のフランスでは庶民に明確な姓の概念が定着しておらず、彼女自身も公的な場や裁判では「ダルク」と名乗っていませんでした。
父親の出身地に由来する呼び名とされ、本人は自らを「神に選ばれた乙女ジャンヌ」と称して活動していたと記録されています。
2. 神の声を聞いたのは13歳のとき

彼女が初めて大天使ミカエルや聖カトリーヌなどの神々しい姿を見て、その声を聞いたのは13歳の夏の出来事だったと言われます。
王太子を助けて祖国フランスをイングランドの支配から救い出せという啓示を受け、彼女は歴史を大きく動かすための行動を始めました。
3. 文字の読み書きができなかった

農民の娘として育ったため学校での教育を一切受けておらず、自分の名前のサインをすることすら最初はできなかったと言われます。
重要な手紙や文書を作成する際には口述筆記という手法を用いて、付き従う書記官に代筆させることで意思の疎通を図っていました。
4. 実際に人を殺したことはなかった

軍の先頭に立って傷つきながらも兵士たちの士気を高めましたが、彼女自身は剣で直接誰かを斬り殺したことは1度もありません。
常に自軍の旗を高く掲げて戦場を駆け巡っており、後の異端審問の場においても「誰も殺したことはない」と自ら明確に証言しています。
5. 髪型は黒髪のショートヘアだった

当時の女性としては非常に異例のことですが、過酷な戦場で戦いやすくするために長く伸ばしていた髪を自ら短く切り落としました。
具体的には黒髪のおかっぱのようなボブカットにしており、活動的で実用性を非常に重視した独自のスタイルを貫き通していました。
6. 男装をしていた理由

激しい戦場で物理的に身を守るためだけでなく、野営地で屈強な男性兵士たちと一緒に寝泊まりする際の安全確保が主な目的でした。
女性であることを隠して身の潔白を守るための必然的な対策でしたが、こうした男装行為が後の裁判では非常に重大な罪状の1つとされました。
7. 裁判の記録が詳細に残っている

中世15世紀の歴史的事件でありながら、彼女を裁いた異端審問の全記録と後の復権裁判の記録が文書として完全に保存されています。
法廷での彼女の理路整然とした発言や毅然とした行動が克明に記されており、現代の私達でもその詳細な様子を知ることができます。
8. シャルル7世に見捨てられた

彼女の献身的な活躍によってフランス国王として無事に戴冠できたシャルル7世ですが、彼女の功績を最終的に裏切る結果となります。
敵対する派閥に捕らえられてイギリス側に引き渡された絶体絶命の危機において、身代金を払うなどの助命交渉を一切行いませんでした。
9. 19歳で火刑に処された

長く過酷な異端審問の末に不当な有罪判決を受け、ルーアンの広場で群衆が見守るなか生きたまま火あぶりの刑に処されることになりました。
祖国を救いながらも魔女としての烙印を押され、処刑された時の年齢は現代の感覚ではまだ少女といえるわずか19歳という若さでした。
10. 心臓は燃え尽きなかったという伝説

火刑の後に彼女の遺体は灰になるまで徹底的に焼かれましたが、刑を執行した役人の証言では奇跡的な出来事が起きたとされています。
彼女の心臓だけはどれだけ強い炎で燃やしても焼け残ったと言い伝えられており、残った灰とともにセーヌ川に流されました。
11. 死後25年経ってから無罪が証明された

悲劇的な処刑から25年という長い歳月が経過した後、シャルル7世の命令によって改めて事件を検証する復権裁判が行われました。
かつての宗教裁判が不当なものであったことが法的に証明され、異端の判決は完全に無効となって彼女の名誉は回復されました。
12. 聖人に列せられたのは20世紀に入ってから

フランスを救った国民的なヒロインとして長く民衆に愛されてきましたが、カトリック教会にその信仰と功績が正式に認められます。
処刑されてからおよそ500年という長い時間が経過した1920年になって、ようやく聖人として列聖されることになりました。
更新日:2026年4月18日(土) 11:33

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