足利義満は、室町幕府の3代将軍であり、室町時代の全盛期を築いた人物です。
南北朝の動乱を終わらせて天下を統一し、明との貿易を始めて幕府に莫大な富をもたらしました。
京都の北山に金閣寺を建てたことでも広く知られています。
将軍の地位を退いた後も絶大な権力を握り続け、その生涯には数々の逸話が残されています。そんな足利義満にまつわる雑学を10個ご紹介します。
1. 金閣寺は3つの建築様式

金閣寺の正式名は鹿苑寺(ろくおんじ)といい、足利義満が建てた別荘がもとになっています。
3つの層にはそれぞれ公家(寝殿造)・武家(書院造の原型)・禅宗(仏殿造)という異なる建築様式が取り入れられ、ひとつの建物の中で当時のさまざまな文化が美しく溶け合った姿を、今を生きる私たちにも伝えてくれているのです。
2. 一休さんと知恵くらべ

アニメでおなじみの一休さんが、そのするどい知恵で言い負かす相手として登場するのが、時の将軍である足利義満です。
実際に二人が頓知(とんち)勝負をしたという記録は残っていないようですが、物語の中では今もゆかいな名コンビとして長く親しまれ続けているのです。
3. 花の御所と呼ばれた邸宅

足利義満が京都の室町の地に構えた豪華な邸宅は、四季折々の花々で美しく彩られていたことから、人々に「花の御所」という雅な名で呼ばれ親しまれました。
室町幕府という呼び名そのものも、この御所があった地名にちなんで後の世に付けられたものだと伝えられています。
4. 明の皇帝へ臣下の手紙

義満は中国の明との貿易を始めるにあたり、相手の皇帝に対して家来としてへりくだる形の手紙を送ったと伝えられています。
貿易による大きな利益を優先した現実的な判断だったとされますが、後の時代になると外国に対し弱腰すぎたと批判されることもあった出来事です。
5. 実は天皇のいとこだった説

義満の母方の家系をていねいにたどっていくと、天皇家と深い血のつながりがあったのではないかという見方があります。
そのため天皇のいとこにあたる立場だったとも言われており、彼が並外れて高い権勢をふるえた背景の一つだったのではないかと考えられています。
6. 世阿弥の才能を見抜く

能を一つの芸術へと大成させたことで知られる世阿弥(ぜあみ)の才能を、まだ若いころにいち早く見抜き、手厚く支援し続けたのが義満です。
この力強い後押しがあったからこそ、能は今の世にまで深く受け継がれる、日本を代表する伝統芸能へと大きく育っていきました。
7. 日本国王と名乗った将軍

明との外交を進めていく中で、義満は「日本国王」という称号を相手の国の皇帝から正式に与えられ、それをそのまま受け入れたと伝えられています。
本来は天皇がいるにもかかわらず、対外的にはまるで自らが日本という国を代表する存在であるかのようにふるまったのです。
8. 割符を使った勘合貿易

義満が始めた明との正式な貿易では、「勘合(かんごう)」と呼ばれる特別な割符が使われていました。
一枚の札をあらかじめ半分に割っておき、正式な船だけがぴったり照合できる仕組みで、当時とても問題となっていた海賊(倭寇)などの偽物の船を見分けるための工夫だったのです。
9. 南北の朝廷を一つに統一

60年近くにわたり二つに分かれて長く激しく争い続けてきた南朝と北朝を、義満は粘り強い話し合いによって1392年についに一つにまとめあげました(明徳の和約)。
長く続いてきたこの大きな対立に区切りをつけた出来事は、義満の数ある功績の中でもとりわけ大きなものに数えられています。
10. おくり名を断った理由

義満の死後、朝廷は「太上天皇(だいじょうてんのう:上皇の尊称)」という大変に格式の高いおくり名を贈ろうとしましたが、息子の4代将軍・足利義持はあえてこれを辞退したと伝えられています。
亡き父の強すぎた権勢への複雑な思いや、当時の朝廷など周囲の人々との関係が、その判断の背景にあったとも考えられています。
更新日:2026年6月19日(金) 10:17

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