パチンコの雑学12選!戦前は本物の一銘銅貨を弾いて遊んだ

街を歩いていると目に入るパチンコ店ですが、その始まりがいつ、どこにあったのかを知る人は少ないかもしれません。

もとは子ども向けの遊具として日本に伝わり、戦争による禁止と復活、名古屋の一人の職人が生んだ画期的な台、そして時代ごとの規制を経て、今の姿へと形を変えてきました。

名前の由来からお店の数の移り変わりまで、たどってみると意外な事実がいくつも見つかります。

そんなパチンコにまつわる雑学を12個ご紹介します。

1. 玉の音から生まれた名前

玉の音から生まれた名前

「パチンコ」という名前は、玉がはじけるときの「パチン」という音に、親しみを込めた言葉の「コ」が付いてできたと言われます。

金沢で使われていた「パッチン」という呼び名がもとになったという説もありますが、由来を示す資料は残っておらず、諸説あるようです。

2. 一銭銅貨で遊んだ時代

一銭銅貨で遊んだ時代

戦前の日本では、一銭銅貨をそのまま玉の代わりに台へと入れて遊ぶ「一銭パチンコ」と呼ばれる遊び方が流行したと伝えられます。

やがて硬貨をそのまま使うことは禁じられ、一銭銅貨と同じ大きさのメダルに置き換わり、さらに現在のような鋼球へと変わっていきました。

※硬貨に皇室ゆかりの紋章が入っていたことが問題視されたためとも言われます

3. 戦争で一度消えた遊び

戦争で一度消えた遊び

1942年、戦時下でパチンコは「不要不急」の娯楽とされ、全国のお店で営業そのものが全面的に禁止されてしまいました。

その前の1937年には新しい店を開くことが禁じられる段階がすでにあり、ふたたび遊べるようになったのは、戦争が終わった翌年の1946年のことでした。

4. 特許を取らなかった発明

特許を取らなかった発明

1948年ごろ、名古屋でお店を営んでいた正村竹一が、釘の配列と風車の仕組みを練り上げた「正村ゲージ」という台を完成させました。

正村はこの仕組みの特許をあえて取らず、同業者にも自由に使わせたため、優れた釘の配置はまたたく間に全国の台へ広まっていきました。

※「ゲージ」は台に打たれた釘の配置のことです

5. 300メートルの行列

300メートルの行列

正村ゲージを載せた台は大変な評判となり、台を買いに来た業者が毎朝300メートルもの行列をつくったと伝えられます。

台の売れ行きで築いた富も相当なもので、1952年10月には隠匿物資の摘発として自宅が家宅捜索を受け、金の延べ棒50本が押収されたという話が残っています。

※「隠匿物資(いんとくぶっし)」は戦中戦後に隠して蓄えられた物資のことです

6. 4万軒を超えた店の数

4万軒を超えた店の数

1950年代の前半にはパチンコが空前の人気となり、全国のお店の数は4万軒を超えるほどにまで増えました。

ところが1954年に、玉を続けて打ち出せる連発式の台が禁止されてしまうとその人気は急速にしぼみ、わずか数年のうちに1万軒前後まで一気に落ち込んだと伝えられます。

7. チューリップが咲くまで

チューリップが咲くまで

玉が入ると羽根が左右に開くチューリップは、大阪の部品メーカーが考案したものを名古屋の成田製作所が引き取り、1960年に製品化されたと伝えられます。

1966年に役物の基準が緩められて36種類もの仕掛けが認められると、この装置は全国のお店へ一気に広まりました。

※「役物(やくもの)」は玉の動きを変える仕掛けのことです

8. 三店方式が生まれた日

三店方式が生まれた日

景品をお店とは別の場所で買い取る三店方式の原型は、1961年に大阪で生まれた「大阪方式」だと言われます。

これを考案したのは水島年得という元警察官で、景品の買い取りを福祉団体に任せることで、未亡人や障害のある人の働き口を生む仕組みでもあったと伝えられます。

9. 火打石から金の地金へ

火打石から金の地金へ

景品交換に使われている特殊景品には、かつてはライターの火打石やボールペンなどが用いられていました。

1990年前後からは東京を皮切りに金の地金が使われるようになり、現在は0.1グラムや0.3グラムのごく小さな金をプラスチックに封じたものが主流の地域もあります。

※「地金(じがね)」は加工される前の金属のかたまりのことです

10. 玉を手で弾いていた時代

玉を手で弾いていた時代

玉を自動で打ち出す電動式が認められたのは1972年で、実際にお店へ入り始めたのは翌1973年からでした。

それまでは玉を1発ずつ手ではじく手打ち式が当たり前で、電動が登場した当初はこれを嫌う常連客もいたため、しばらくの間は両方の台が並んで置かれていました。

11. フィーバー機の大流行

フィーバー機の大流行

1980年に三共が発売した「フィーバー」は、デジタルの数字がそろうと大当たりになる仕組みが受け、爆発的な人気となりました。

あまりの過熱ぶりを受けて1981年には警察庁が規制の通達を出し、さらに1984年の追加規制によって、大きなブームは次第に収まっていきました。

12. 減り続ける店と遊ぶ人

減り続ける店と遊ぶ人

パチンコ店の数は1995年の18,244軒をピークに年々減り続け、2024年末には6,706軒と、およそ3分の1にまで減りました。

実際に遊ぶ人の数も1990年代半ばの約2,900万人から2024年は690万人まで減る一方で、1店あたりの設置台数は増えており、お店の大型化が進んでいます。

更新日:2026年8月20日(木) 08:17

コメントを入力

TOP