1. 騎士の称号は誰でももらえた?

中世ヨーロッパでは、騎士は生まれつきの貴族だけがなれるわけではなく、勇敢な行いをすれば平民でも騎士に昇格することが可能でした。
戦場での功績や主君への忠誠が認められ、「叙任式」で剣を授かることで正式な騎士となれたのです。
2. 城の高所にはトイレがあった!

中世の城には「ガードローブ」と呼ばれるトイレがあり、壁の外に突き出た小部屋から直接下へ排泄物を落とす仕組みでした。
敵が臭いで場所を特定することもあり衛生面では決して快適とは言えませんでしたが、当時としては画期的な設備だったのです。
3. 魔女狩りは中世の後期に激化した!

「魔女狩り」というと中世の象徴のように思われがちですが、実は盛んになったのは中世後期から近世初期にかけてです。
異端審問の流れをくむ形で魔女とされた人々は拷問によって自白を強要され、火あぶりなどの残酷な刑に処されました。
4. 学問の中心は「修道院」だった!

大学がまだ存在しなかった時代、学問の中心は修道院でした。修道士たちはラテン語で聖書を写本しながら、医学・天文学・哲学を学び、後のヨーロッパ文化の基礎を築きました。
彼らの勤勉な記録が古代の知識を中世に伝えたのです。
5. 「黒死病」でヨーロッパの人口が激減!

14世紀に流行したペスト(黒死病)は、ヨーロッパの人口の3分の1から半分を奪い、社会は壊滅的な打撃を受け人々の価値観や宗教観にも大きな影響を与えて、中世社会の終焉を早める要因となりました。
また、ペストの経験は、医学や公衆衛生の発展にもつながりました。
6. 実はパンが主食じゃなかった時代も?

中世ヨーロッパではパンが庶民の主食と思われがちですが、初期にはおかゆのような「ポリッジ」が一般的でした。
小麦は高価で、黒パンや雑穀パンが食べられるのも裕福な層に限られたのです。パンが広く普及するのは後期になってからでした。
7. 城の窓は防御よりも寒さ対策が大変!

中世の城の窓は小さく厚い石壁に囲まれていました。これは敵の侵入を防ぐためだけでなく、寒さをしのぐためでもあります。
ガラスは高価で、油を塗った布や動物の皮を代わりに使うこともあり、冬は冷気との戦いでした。
8. 騎士は恋愛も上手?「騎士道恋愛」の文化

騎士たちは戦場だけでなく、恋愛にも理想を追い求めました。貴婦人への献身や礼儀を重んじる「騎士道恋愛」は、中世文学にも多く登場します。
愛する人への詩や贈り物を通じて、気高い精神を示すことが名誉とされたのです。
9. 教会が人々の生活をすべて支配していた!

中世のヨーロッパでは、教会は絶大な力を持ち、教育・医療・裁判までも担っていました。また、美術や音楽などの文化活動も教会を中心に発展しました。
教皇は国王や皇帝をもしのぐ権威を持ち、破門宣告は国家の存亡を左右するほどでした。
10. ナイトの鎧は重くて動けないは嘘?

映画で見るように重くて動けないというイメージがありますが、実際の騎士の鎧は関節ごとに分かれており驚くほど自由に動けました。
総重量は20〜30kg程度で、熟練した騎士は鎧を着たまま走ったり乗馬したりすることも可能でした。
更新日:2025年10月23日(木) 02:45

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