身の回りの道具から、朝の食卓に並ぶ食品まで、性を戒める思想がきっかけで生まれたものは少なくありません。19世紀の欧米では、欲望を抑えることが健康につながると本気で信じられ、医師や説教師が食事や生活のあり方を熱心に説きました。
その一方で、後世に作られた話が事実として広まった例もあります。
そんな禁欲思想にまつわる雑学を12個ご紹介します。研究にもとづく項目には出典を添えています。
食卓に残った禁欲の思想
まずは台所と食卓の話からです。今も売り場に並ぶあの食品には、欲望を戒める思想が影を落としています。
1. コーンフレークの発明秘話

コーンフレークは自慰を防ぐために作られた、という話が広く知られています。実際には1894年、ミシガン州のバトルクリーク療養所でジョン・ハーヴェイ・ケロッグと弟のウィルが、煮た小麦を放置してしまったことからフレーク状にする製法を偶然見つけたものと伝えられます。
特許は1895年に出願され翌1896年に成立しますが、その文面にあるのは消化しやすい病人向け食品という目的だけで、性欲に関する記述はありません。
※ケロッグ自身は刺激の少ない食事が欲望を抑えると信じており、そこから話が混ざったとみられます。砂糖入りにしたのは1906年に会社を興した弟ウィルで、兄は反対したと伝わります。
2. 療養所長が説いた戒め

一方で、ケロッグの禁欲思想そのものは本物でした。1877年に出した著書を増補改題した『Plain Facts for Old and Young』の1888年版では、自慰を心身をむしばむ害悪と位置づけ、食事や運動の管理から医療的な処置まで、思いつく限りの対策を並べています。
痛みが心によい影響を与えるという考え方まで示されており、当時の医学の空気がうかがえます。
※バトルクリーク療養所は著名人も訪れた人気の健康施設で、ケロッグはそこの所長を長く務めました。
3. 説教師が広めた全粒粉

グラハムクラッカーの名は、長老派の説教師シルベスター・グラハムに由来します。彼は1830年代の講演で、肉や香辛料、精白した白いパンが体を刺激して欲望をかき立てると説き、精白しない全粒粉で作る無糖のパンを勧めました。
本人が商品化したわけではなく、信奉者たちが広めて1880年ごろから商業生産が始まり、1898年設立のナショナル・ビスケット社が量産します。
※現在の甘いグラハムクラッカーは、砂糖を戒めた本人の思想とは正反対の姿になっています。
※世界初の市販ドライシリアル「グラニュラ」は1863年にグラハム主義者の医師ジャクソンが売り出したもので、似た商品を出したケロッグが訴訟を避けて「グラノーラ」と改名したと伝わります。
4. 山門の石碑が示す禁止

禅寺の山門の前に「不許葷酒入山門」と刻まれた石碑が立っていることがあります。葷とは臭いの強い野菜のことで、仏教は修行者にニンニクやネギ、ニラ、ラッキョウなどの五辛を禁じてきました。
その理由の一つが欲望の抑制です。『首楞厳経』の巻八には、これらを加熱して食べれば淫欲を発し、生で食べれば怒りが増す、という趣旨の記述があります。
※五辛の内訳は経典によって異なります。精進料理全体としては殺生を避けることが主眼で、欲望の話は五辛に関わる部分です。
純潔を守るために作られたモノ
次は、純潔を守るという目的からかたちになった品物や決まりごとです。真面目に作られたものほど、今見ると不思議に映ります。
5. 特許庁に眠る奇妙な装置

19世紀後半から20世紀初頭のアメリカでは、自慰を防ぐための装置がいくつも特許として登録されました。1859年のギボンズによる「スパーマティック・リング」、1893年のオースの装置、1903年のトッドの装置、1908年に成立したエレン・パーキンスの「セクシュアル・アーマー」などが記録に残っています。
実際にどれだけ製造され使われたのかは、はっきりしません。
※オースの装置は、反応があると自動で作動して冷水で鎮める、と特許の文面に説明されています。
出典:米国特許 22,796(1859年)、494,437(1893年)、742,814(1903年)、875,845(1908年)
6. 海辺を走った更衣小屋

18世紀から19世紀の英国の海水浴場には、車輪の付いた更衣小屋がありました。バシング・マシンと呼ばれるもので、中で着替えたあと馬に引かせて水際まで運んでもらい、そこから直接海に入ります。
異性に肌を見られないための仕組みでした。1736年にスカーバラで描かれた版画が最古の図像とされ、1750年ごろにはクエーカー教徒のベンジャミン・ビールが日除け付きの型を考案しています。
※男女がいっしょに泳げる海水浴場が1900年代初頭から現れ、1914年ごろまでにほぼ姿を消しました。
7. 前を切り落としたサドル

1890年代の自転車ブームのころ、医師たちのあいだで、サドルが女性の体を刺激するのではないかという警告が真面目に語られました。そうした懸念にも応える形で、前部を短く切り落とした解剖学的サドルが商品化されます。
クリスティ社の製品は1898年のカタログに載りました。もっとも、長く乗ったときの痺れ対策という実用的な理由も同時にありました。
※当時は自転車に乗る女性に起きるとされた「自転車顔」など、今から見ると不思議な症状も議論されていました。
8. 発明を止めた郵便の法

純潔を守る思想は、発明を生むだけでなく止めることもありました。1873年に成立したアメリカのコムストック法は、避妊具などの郵送を禁じただけでなく、その入手方法を書いた文書まで対象にしています。
名前の由来となった運動家アンソニー・コムストックは郵便検査官として取り締まりにあたり、本人の記録では3,600人以上を逮捕し、約160トンの資料を破棄したといいます。
※避妊に関する文言が法律から削除されたのは1971年のことでした。
俗説と医学が生んだもの
最後は、事実として語られてきた話の出どころを確かめます。あとから作られた物語も混じっていました。
9. 匿名の小冊子が生んだ説

自慰をすると失明する、といった話の出どころは医学書ではありません。1712年から1716年ごろにロンドンで刊行されたとされる作者不詳の小冊子『オナニア』が始まりで、1730年までに15版、およそ1万5千部が刷られました。
読者を怖がらせたうえで治療薬を買わせる構成だったといわれます。これをスイスの医師ティソが1760年の著書で医学的に権威づけ、視界のかすみや理性の減退を招くと主張しました。
※オナニーという語は、旧約聖書に登場するオナンの名に由来しています。失明という表現は後世の誇張とみられます。
10. 医学が後押しした習慣

英米で19世紀後半に新生児への割礼が広まった背景には、自慰を防ぐという医学的な理由づけがありました。米国の外科医ルイス・セイヤーは1870年の論文で、包皮の刺激が体の別の部分に不調を起こすと主張し、普及のきっかけをつくったとされます。
英国のジョナサン・ハチンソンも1890年に同趣旨の論文を書き、衛生上の利点を説く本も相次いで出版されました。
※衛生や感染予防など、欲望の抑制以外の理由も重なって定着したと考えられています。
出典:L.A.セイヤー「反射刺激による部分麻痺」(米国医師会紀要・1870年)、J.ハチンソン(Archives of Surgery・1890年)
11. ピアノの脚を隠した話

ヴィクトリア朝の人々は脚という言葉すら口にできず、ピアノやテーブルの脚にカバーをかけた、という話があります。出どころは英国の海軍将校マリアットの旅行記『アメリカ日記』で、1839年の刊行です。
同行の女性に言い直しを求められたことや、女学校でピアノの脚に小さなズボンがはかせてあるのを見たことが書かれています。舞台は英国ではなくアメリカでした。
※アメリカ人の気取りを笑うための脚色という見方が強く、それがのちに堅苦しい英国の象徴としてすり替わったようです。
12. 疑わしくなった起源説

ヒステリー治療の手間を省くために医師が電動の器械を発明した、という有名な話があります。広まったきっかけは1999年に出た一冊の本でしたが、2018年の論文が一次史料の裏づけを欠くと批判し、現在では疑わしいとみられています。
1880年代に振動装置を考案した英国の医師グランヴィル自身、女性患者には使っていないと著書に書き残していました。
※禁欲的な時代のイメージが、後世に物語をつくり出した例といえそうです。
出典:H.リーバーマン、E.シャッツバーグ(Journal of Positive Sexuality・2018年)
まとめ
コーンフレークが自慰防止のために発明されたという話は俗説ですが、ケロッグ自身の禁欲思想は本物でした。ピアノの脚カバーも、電動器械の起源説も、後から形を整えられた物語だったようです。
調べていて面白かったのは、思想が本物であることと、その思想から生まれたと語られる品物が本物であることは、まったく別だという点でした。強い信念があった時代ほど、あとの世代は分かりやすい逸話を求めてしまうのかもしれません。
次に朝食のシリアルを口に運ぶとき、少し違った景色が見えるかもしれません。
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更新日:2026年9月5日(土) 11:37
