アレクサンドロス大王に関する豆知識

歴史上の大英雄、アレクサンドロス大王。わずか32年の生涯で広大な帝国を築き上げた彼の名前は、誰もが1度は耳にしたことがあるはずです。

しかし、実はアリストテレスの教え子だったり、左右で目の色が違うオッドアイだったりと、教科書には載っていない意外な素顔がたくさんあるのをご存知でしょうか。

今回は、知れば誰かに話したくなる、アレクサンドロス大王の驚きの雑学をたっぷりとご紹介します。

1. アリストテレスが家庭教師だった

13歳の頃から3年間という貴重な時期に、古代ギリシャを代表する偉大な哲学者アリストテレスから直接教えを受けていました。

この恵まれた環境での学びが、彼の凄まじい知識欲や異文化への深い理解に大きく影響を与えたと現在まで語り継がれています。

2. 生涯無敗を誇った伝説の天才戦術家

16歳で初めての過酷な戦いを経験して以来、病で亡くなるまでの約15年間、数々の戦闘でただの1度も敗北を経験しませんでした。

彼の卓越した軍事的才能と迅速な部隊の展開力は、圧倒的な数の敵軍を相手にしても常に勝利を収める奇跡を成し遂げたのです。

3. 愛馬の弱点を見抜き乗りこなした

12歳の時に、誰も乗りこなすことができなかった気性の荒い名馬ブケファロスをあっさりと手懐けたという有名な伝説があります。

馬が自分自身の影に酷く怯えていることにいち早く気がつき、太陽の方向を向かせて安心させたという鋭い観察眼を持っていました。

4. ゴルディオスの結び目を剣で切断した

この複雑な結び目を解いた者が広大なアジアの支配者になるという古い伝説に対し、彼はなんと剣を抜いて力ずくで切断しました。

常識に囚われない柔軟で強引な独自の発想力と圧倒的な行動力が、世界的な大帝国を築き上げる大きな原動力になったと言えます。

5. 樽に住む風変わりな哲学者を羨んだ

樽の中で質素に暮らす変わり者の哲学者ディオゲネスを訪ねて望みを聞いた際、日陰になるからそこをどいてくれと返されました。

激怒してもおかしくない状況ですが、私がアレクサンドロスでなければ彼になりたかったと、彼の生き方に深く感銘を受けました。

6. 70以上の都市に自分の名前を付けた

遠征の過程で、自らが征服した70以上の都市にアレクサンドリアという自分の名前を次々と名付けたことで広く知られています。

エジプトにある有名な同名の都市を筆頭にして、彼の絶大な権力と影響力を示す痕跡が現在の世界にも数多く残されているのです。

7. 愛馬の名前を付けた都市もある

長年にわたり苦楽を共に経験した最愛の馬ブケファロスが戦死した際、大王は悲しみのどん底に沈んで深くその死を悼みました。

その後、愛馬への強い愛情を込めたアレクサンドリア・ブケファロスという名前の特別な都市を新しく建設したと言われています。

8. 左右で目の色が違うオッドアイだった

古くから伝わる記録によれば、彼は右目と左目で瞳の色がはっきりと異なる虹彩異色症(オッドアイ)であったという非常に興味深い説があります。

この生まれ持った身体的特徴が、常人とは違う神秘的な雰囲気を醸し出し、彼のカリスマ性をさらに引き立てていたとされます。

9. 敵国の王女に心を奪われて結婚した

遠征中に立ち寄ったバクトリアの王女ロクサネの類まれな美しさに出会った瞬間に激しい恋に落ちてしまったと言われています。

政治的な意図だけでなく純粋な愛情から、当時わずか16歳だった美しい彼女を自らの正式な妻として温かく迎え入れたそうです。

10. 1万人規模の合同結婚式を開催した

ペルシャ帝国との平和的な文化融合を推し進めるため、旧都スサにおいて前代未聞の巨大な規模の合同結婚式を盛大に執り行いました。

マケドニア人の部下約1万人とペルシャ人女性を結びつけることで、両国間に存在する民族の壁を取り払おうと試みたのです。

11. 敵国の文化を積極的に取り入れた

征服したペルシャの文化を深く尊重して自らも現地の衣装を身にまよい、独特の挨拶である跪拝礼(プロスクネシス)を部下たちにも強く求めました。

しかしこの急激な異文化の導入は、誇り高いマケドニアの家臣たちから大きな不評を買ってしまい、内部対立の火種になりました。

12. 遺言は「最強の者が帝国を継げ」

わずか32歳で熱病に倒れた彼が死の床で後継者を誰にするか問われた際、最強の者が継ぐようにという曖昧な言葉を残しました。

このたった1つの短い遺言により、彼の死後は力を持った部下たちによる壮絶な権力争いであるディアドコイ戦争が勃発しました。

更新日:2026年3月21日(土) 12:05

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