上杉謙信に関する豆知識

教科書では「義に厚い戦の神」として語られる上杉謙信ですが、実はツッコミどころ満載の人間臭いエピソードの宝庫であることをご存知ですか?

家臣の喧嘩にキレての家出騒動や、まさかの女性説まで。知れば知るほどイメージが崩壊…いや、もっと親近感が湧くこと間違いなしです。

今回は、そんな上杉謙信の教科書には絶対に載らない面白エピソードを10個ご紹介します。

1. 名前変えすぎ!改名マニアの迷走

生まれた時の虎千代から長尾景虎、上杉政虎に輝虎、そして最後は法号の謙信へと、生涯で五回も改名を続けました。

名前が変わるたびに立場も変化しましたが、あまりの多さに歴史の初学者は混乱し、覚えるのに苦労するという弊害も生んでいるのです。

2. 就任式で大失態!下馬せず激怒さる

鎌倉の鶴岡八幡宮で行われた関東管領の就任式で、若き日の彼は馬から降りずに神前へ進む前代未聞の行動に出ました。

同席していた関東の諸将は激怒し騒ぎになりましたが、これは自身の権威を周囲に示すための、意図的な演出だったと言われています。

3. 実は156cm!意外に小柄な軍神

越後の龍として恐れられ、大柄な武人のイメージが強い謙信ですが、現存する甲冑から推測すると身長は百五十六センチ程度だったそうです。

当時の平均と比較しても小柄な部類に入りますが、戦場ではその華奢な体格を感じさせない気迫で、敵を圧倒したのです。

4. 毘沙門天の化身?部下も引く熱狂

彼は自身を戦の神である毘沙門天の生まれ変わりと信じ込み、戦場では「毘」の文字を旗印に掲げて全軍を鼓舞し続けました。

しかし信仰心が強すぎて、勝敗よりも神の意志を優先する言動も多く、現実的な家臣たちは主君の狂気じみた熱狂に引いていたのです。

5. 死因はトイレ?高血圧と飲酒の末路

無類の酒好きとして知られた彼は、肴に塩辛いものを好んで食べていたため、重度の高血圧と生活習慣病を患っていたと考えられています。

寒い冬の日にトイレでいきんだ瞬間に脳溢血を発症して倒れましたが、まさに長年の不摂生が招いた最期だったのです。

6. 実は家出常習犯!部下の喧嘩に嫌気

義を重んじるあまり、利権争いで揉める家臣たちの姿に絶望し、突如城を飛び出し高野山で出家しようとする騒動を起こしました。

慌てた家臣たちが必死に謝罪して連れ戻しましたが、理想と現実の差に悩み、全てを投げ出したくなる繊細な一面を持っていたのです。

7. 敵に塩を送る?実は単なるビジネス

宿敵武田信玄が塩不足で苦しんでいる時に塩を送ったとされる美談ですが、実際には無償ではなく、適正価格で販売したに過ぎません。

これは人道的な支援というよりも、経済封鎖を行っても利益にはならないという冷静な判断に基づいた、ビジネス取引でした。

8. 独身は嘘?恋歌と隠し子の噂あり

生涯不犯を貫いた彼ですが、実は若き日に身分の低い女性と恋に落ち、その想いを綴った切ない恋歌が今も残されています。

さらに女性との間に隠し子がいた説や、密かに囲っていた噂もあり、聖人君子とは異なる人間的な側面も垣間見えるのです。

9. 戦の神は城攻め下手?小田原撤退

野戦に無類の強さを誇った軍神も、堅牢な守りを固めた城を攻め落とす攻城戦は苦手としており、北条氏の小田原城攻めでは決定打を欠きました。

結局、長期戦を嫌い撤退しましたが、生涯において城攻めでの華々しい成功体験は、野戦に比べると少ないのです。

10. 古文書に叔母の記述!謙信女性説

スペイン人の報告書に、景勝の叔母として謙信を指す記述が見つかり、これが女性説の根挙の一つとなりました。

毎月決まった時期に腹痛で合戦を休んでいた記録や、女性のような筆跡も残っており、男装の女城主だったのではないかと議論が続いています。

更新日:2026年2月19日(木) 09:26

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