貞操帯の雑学11選!大英博物館が「贋作」と登録した理由

博物館のガラスケースに並ぶ鉄の帯を見ると、中世という時代がずいぶん物騒に思えてきます。ところが近年の研究や鑑定が進むにつれて、その多くは中世の品ではなく、ずっと新しい時代に作られたものだと分かってきました。

中世の遺物として語られてきた道具が、いつ、どこで、誰の想像から生まれたのか。

そんな貞操帯にまつわる雑学を11個ご紹介します。研究にもとづく項目には出典を添えています。

中世に本当にあったのか

貞操帯は中世の産物として語られてきました。ところが記録をたどると、当時の人すら本気にしていなかった様子が見えてきます。

1. 最古級の図版は軍事技術書に

貞操帯の姿を伝える最古級の図版は、コンラート・キーザーが1402年から1405年ごろに書いた軍事技術書『ベリフォルティス』に載っています。ところがこの本は、攻城兵器の設計図とならんで占星術や魔術、空を飛ぶ装置のような空想的な発明まで収めた一冊です。ラテン語の説明も「前で閉じるフィレンツェの女性の硬い鉄のズボン」といった調子で、研究者のマッシモ・ポリドーロらは、まじめな設計ではなくユーモアか皮肉として書かれたものと見ています。

※『ベリフォルティス』は、ドイツの技術者コンラート・キーザーがまとめた軍事技術の書物です。

2. 十字軍の俗説が抱える矛盾

十字軍に出る騎士が、留守を守る妻に着けさせた。貞操帯といえばこの話が有名ですが、これは近代になって広まった俗説と考えられています。

15世紀より前に存在したことを示す信頼できる記録は見つかっておらず、先ほどの『ベリフォルティス』ですら、中東への最後の十字軍が終わった13世紀末から100年以上あとの本です。話の舞台と道具の年代が、そもそもかみ合っていないのです。

3. 聖職者が語った帯は比喩

アリゾナ大学のアルブレヒト・クラッセン教授は、中世の文献をたどって貞操帯の来歴を調べました。グレゴリウス1世やアルクィン、クレルヴォーのベルナルドゥスといった聖職者は確かに「貞操の帯」という言葉を使っていますが、それは心の慎みを説くための比喩や寓意であり、金属の道具を指したものではなかったといいます。

言葉だけが後の時代に、実物の記録として読み替えられていったわけです。

※クレルヴォーのベルナルドゥスは12世紀フランスの修道院長で、当時を代表する説教者です。

出典:Albrecht Classen『The Medieval Chastity Belt: A Myth-Making Process』(Palgrave Macmillan、2007年)

4. 版画では笑い話の小道具

16世紀ドイツの版画に貞操帯はよく登場しますが、その扱いはほぼ笑い話です。年老いた夫が金袋を差し出して妻の機嫌をとっている横で、若い恋人がすでに合鍵を手にしている、という構図が定番でした。クラッセンは、1500年代の当時ですら、これを役に立つ装置として真に受けた人はいなかったと説明しています。

当時の人にとっては、やきもち焼きの夫を笑うための小道具だったようです。

出典:Smithsonian Magazine(2015年)

博物館が下した鑑定結果

では、各地の博物館に並んでいた「実物」は何だったのでしょうか。専門家の鑑定は、そろって厳しい結論を出しています。

5. 大英博物館の登録名は贋作

大英博物館が所蔵する貞操帯(登録番号M.574)の登録名は、「chastity belt; forgery」、つまり貞操帯であり贋作、となっています。年代も18世紀から19世紀とされ、はっきりしません。解説文には、現存する例の大多数は18世紀から19世紀に、好事家向けの珍品として、あるいは悪趣味な冗談として作られたものだろう、と書かれています。

※この品は1846年より前に、当時の主席司書ヘンリー・エリス卿から寄贈されたものです。

出典:大英博物館コレクション(登録番号M.574)

6. 王妃の遺品とされた帯

パリのクリュニー中世美術館には、フランス王妃カトリーヌ・ド・メディシスのものと伝えられ、15世紀の品として展示されていた帯がありました。ところが1990年代におこなわれた分析で、実際には19世紀初頭に作られたものと判断されたと伝えられています。名前のついた由緒ある遺品ほど、後から足された物語をまとっていることがあるようです。

※カトリーヌ・ド・メディシスは16世紀フランスの王妃です。

7. 名門館が展示を取り下げた

疑いがかかったのは1点だけではありませんでした。大英博物館、クリュニー中世美術館、ニュルンベルクのゲルマン国立博物館といった名だたる館が、真正性への疑問から所蔵品を展示から外したり、年代の表示を改めたりする対応をとっています。大英博物館の品については、これ以上恥をかかないよう公開展示から下げられた、とも言われます。

※オランダ・ライデンのブールハーフェ博物館(科学史博物館)の所蔵例も、目録では19世紀後半以降の製作とされています。

8. 墓から出たという報告の謎

1889年、オーストリアの収集家アントン・パヒンガーは、リンツで見つかった革と鉄の帯について、16世紀の若い女性の墓から出たものだと報告しました。ところが町の記録を調べても、それに当たる埋葬の記載は見つかりません。しかも現物は、彼のコレクションの大半とともに第一次世界大戦後に行方が分からなくなりました。

裏づけを取ろうにも、肝心の物が残っていないのです。

偽中世をつくった19世紀

中世になかったのなら、これらはどこから来たのでしょうか。答えは、中世に憧れと恐れを抱いた19世紀にありました。

9. 拷問具ブームが生んだ副産物

クラッセンの結論は、貞操帯は19世紀の、中世の拷問具への熱狂が生んだ副産物だというものです。中世を野蛮で暗い時代として眺めたい近代の人びとの想像が、実在しなかった道具に形を与えました。恐ろしい中世という物語を求める気分が先にあり、それに合う証拠のほうが後から作られていったわけです。

※19世紀末から20世紀初頭の欧米では自慰を病気の原因とみなす医学が広まり、その文脈で器具の特許が出願された時期にあたります。

出典:Medievalists.net(2009年)

10. 古典的研究が抱えていた弱点

このテーマの初期のまとまった研究として知られるのが、エリック・ディングウォールの『The Girdle of Chastity』(1931年)です。長く参照されてきた一冊ですが、そもそも中世に当たる時期の実物が存在せず、同時代の史料も十分に参照できていないことから、後の研究者からは批判的に読むべき本として扱われています。

土台となる資料がなければ、研究のほうも物語に寄っていくのだと分かります。

出典:Eric Dingwall『The Girdle of Chastity』(1931年)

11. 鉄の処女も同じ時代の産物

作られた中世の代表格としては、鉄の処女(アイアン・メイデン)も挙げられます。ヴォルフガング・シルト教授によると、19世紀より前の存在を示す証拠はなく、博物館にあった遺物を寄せ集めて見世物用に仕立てたものと考えられています。

1515年に初めて使われたという話も、18世紀末の作家ヨハン・フィリップ・ジーベンケースの創作という見方が有力です。ニュルンベルクの現物は1802年ごろから展示され、第二次世界大戦の空襲で焼けました。

まとめ

貞操帯を最古級に描いたのは、空想の発明も同居する15世紀初めの軍事技術書でした。中世の聖職者が語った「貞操の帯」は比喩であり、版画の世界では笑い話の小道具にすぎません。

そして大英博物館が自館の所蔵品を贋作と登録したように、現存する品の多くは18世紀から19世紀の産物と見られています。ここから見えてくるのは、遺物が過去を語るとは限らないということです。

中世が野蛮であってほしいと願った近代の視線が、存在しなかった道具に形を与えました。恐ろしい中世の話に出会ったら、それを誰がいつ語り始めたのかを一度たどってみると、また違う面白さが見えてきます。

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