シルクロードに関する豆知識
かつて東洋と西洋を結び、人々の夢と財宝が行き交った壮大な交易路「シルクロード」は、教科書で一度はその名を目にしたことがあるはずですが、そこには現代の私たちが驚くような意外な真実やドラマチックなエピソードが数多く隠されています。
今回は、知っているようで意外と知らないシルクロードの歴史を厳選してご紹介します。
1. 名付け親はドイツ人地理学者
この名称は19世紀にドイツ人の地理学者リヒトホーフェンが、自身の著書の中で初めて提唱した非常に新しい言葉です。
それまで特定の呼び名は存在しておらず、彼は中国から西方へ絹が運ばれた歴史的な道を、親しみを込めてそのように名付けました。
2. 絹よりも「馬」を買うためだった
漢の武帝が西域へ使者を送った最大の目的は、宿敵である北方の遊牧民族に対抗するために、軍事面で優れた名馬を確保することでした。
汗血馬と呼ばれる伝説の馬は、たとえ大量の絹を代価にしてでも手に入れたいほど、国家の運命を左右する宝でした。
3. 紙の製法が伝わったのは「戦争」がきっかけ
タラス河畔の戦いで、唐の紙職人がイスラム勢力の捕虜となり、秘匿されていた製紙技術が西方へ一気に流出しました。
これが中東を経由し欧州へと広がり、のちのルネサンスを支える知識の普及に大きく貢献することとなりました。
4. 仏教はインドから中国へ、そして日本へ
インドで誕生した仏教は、険しい山や砂漠を越えるキャラバン隊とともに、中国の地へと浸透し独自の進化を遂げました。
その後、朝鮮半島を経て日本に伝来し、聖徳太子の時代から続く美しい寺院建築や仏像彫刻などの文化を形成しました。
5. 最も重要な交易品は「宗教」
シルクロードを往来したのは形ある物資だけではなく、人々の多様な信仰心や精神文化もまた国境を越えて活発に移動していきました。
仏教やイスラム教、ゾロアスター教に加え、キリスト教の一派である景教などもこの道から東へと進み、各地で混ざり合いました。
6. 英語の「Tea」と「Cha」の分かれ道
広東語系の「チャ」という発音は陸路のシルクロードで広まり、福建語系の「テ」は海路を通じて欧州各国へと伝わっていきました。
現在使われている言葉のルーツを辿るだけで、当時の茶葉がどのようなルートで世界へ運ばれたのか判別できます。
7. 砂漠に消えた幻の王国「楼蘭」
かつて塩湖であるロプノールのほとりに栄えた楼蘭は、シルクロードの要衝として異国情緒あふれる繁栄を長らく極めた王国でした。
しかし気候変動による水源の枯渇という悲劇に見舞われ、人々が去った後は長い間、音もなく砂漠の中に飲み込まれていました。
8. ぶどうやスイカもシルクロード出身
現在日本で当たり前に食べられている果物の多くは、かつて西域から中国を経由し、長い年月をかけて日本へと伝わってきたものです。
ブドウやスイカのほか、ザクロやホウレンソウなどもこの道がもたらした恵みであり、私たちの食卓を豊かに彩っています。
9. 偽物の絹が作られていた
中国産の絹は古代ローマで金と同等の価値で取引されたため、市場には利益を目的とした安価な偽物が数多く出回るようになりました。
野生の蚕から取った質の劣る糸を混ぜたり、一度輸入した絹織物を解いて薄く織り直したりといった、粗悪品も流通していたのです。
10. 日本はシルクロードの終着点
奈良の正倉院には、遠く離れたペルシャから運ばれてきた美しいガラス器や豪華な楽器などが、今も当時の姿のまま大切に眠っています。
荒波を越えて遥か東の地まで辿り着いたこれらの品々は、日本がこの壮大な道の終点であったことを明確に示しています。