古代文明の雑学10選!四大文明という区分は日本と中国だけ
今回は古代文明について調べてみました。
古代文明と聞くと、ピラミッドや巨大な石の遺跡を思い浮かべる人が多いかもしれません。
でも実は、文字や暦、医療や法律といった、私たちのくらしの土台になっている仕組みの多くは、すでに古代の人々が作り上げていたものです。
いつから始まったのか、なぜ大きな川のそばで栄えたのか、当時の人たちはどんな毎日を送っていたのか。
そんな古代文明にまつわる雑学を10個ご紹介します。
1. 古代はいつからいつまで
古代文明とは、おおむね文字が生まれた紀元前3000年頃から、西ローマ帝国が滅んだ476年頃までを指すことが多いようです。文字のおかげで記録や法律を残せるようになり、都市や国家という大きなまとまりが育ちましたが、どこで区切るかは地域や研究者によって違います。
古代ローマの終わりごろの話はポンペイの雑学でも紹介しています。
2. 文明の数は数え方次第
古代文明がいくつあったのかは、実はきちんと決まっておらず、四大文明を中心に十数種類と紹介されることが多いようです。メソポタミアやエジプトのほか、マヤやインカ、アステカなども有名ですが、都市や文字、政治の仕組みをどこまで条件にするかで数は変わります。
3. 四大文明は日本流の区分
教科書でおなじみの四大文明という言い方は、実は主に日本と中国で使われてきた区分で、海外の歴史の教科書や本ではほとんど見かけません。英語圏では文明のゆりかごという表現が一般的で、文明を四つに絞ってまとめる発想そのものがあまり定着していないようです。
4. 最初の主役はシュメール
最初の古代文明は、一般にメソポタミア文明とされ、その主役はシュメール人と呼ばれる人々でした。チグリス川とユーフラテス川に挟まれた地域で、紀元前3000年代には都市や文字、法律の仕組みが次々に整えられ、人類で初めてといえる本格的な文明社会が生まれました。
5. 川こそが文明の生命線
古代文明が大きな川のそばで育ったのは、農業とくらしに欠かせない水を、一年を通して安定して得られたからです。川の氾濫は栄養の豊かな土を運んできてくれ、水路づくりや治水などの作業のために人が力を合わせたことで、村から都市や国家へと社会が育っていきました。
6. 農業を軸にした共同生活
古代の人々は農業を中心に集団で暮らし、麦や豆などの作物を育て、家畜を飼って食べ物を確保していました。王や神官、職人、農民といった役割がはっきり分かれた社会ができ、宗教は日々のくらしと深く結びついて、祭りや儀式が一年のくらしの区切りになっていました。
7. 星を読んで暦を作った
古代文明では太陽や月、星の動きを観察する天文学が発達し、種まきや収穫の季節を知る手がかりとして役立てられました。エジプトでは1年を365日とする暦が使われ、メソポタミアでは月の満ち欠けに閏月を足す太陰太陽暦が、農業や宗教の儀式の目安として使われました。
8. 最古の文字は粘土板に
世界最古の文字は、メソポタミアで生まれたくさび形文字と考えられ、紀元前3400年から3200年頃の粘土板には、麦や家畜の取引や税の記録などが刻まれています。エジプトでもほぼ同じ頃に文字が使われはじめ、神殿や墓に刻まれた文字が今も当時のくらしを伝えています。
9. 医療は呪術と二人三脚
古代の医療は、経験にもとづく手当てと呪術がセットで行われ、まじないの言葉と実用的な治療法が同じ書物に並んでいました。エジプトのエドウィン・スミス・パピルスには48例もの傷や骨折の診断と処置が記され、添え木や包帯で骨を固定する方法も細かく残されています。
エジプトつながりでクレオパトラの雑学もどうぞ。
10. 60進法は今も生きている
文字や暦、車輪、法律、上下水道など、今の社会の土台になる発明の多くは、すでに古代文明の時代に生まれていました。メソポタミアで使われた60進法は1分60秒や円の角度の数え方として今も生きており、インダス文明の都市では井戸や下水路まで整えられていました。