伊達政宗に関する豆知識

戦国武将の中でも絶大な人気を誇る「独眼竜」こと伊達政宗。三日月の兜や派手な衣装など、とにかくカッコいいイメージが強いですよね。

でも実は、料理が大好きだったり、お酒で大失敗したりと、教科書には載っていない人間味あふれる意外な素顔がたくさんあるんです。

今回は、知れば知るほど政宗のことが好きになる、とっておきの雑学を15個厳選してまとめました。

1. 右目の失明は天然痘が原因

政宗が右目を失明したのは幼少期に感染した天然痘という病気が原因であり、当時のワクチンのない時代には非常に恐ろしい病でした。

このハンデを乗り越え東北地方の地に巨大な勢力を築き上げたことからも、彼がどれほど強い精神力を持っていたかがよくわかります。

2. 「独眼竜」の由来は中国の武将

政宗の代名詞とも言える「独眼竜」という異名は、元々中国の唐時代に活躍した李克用という猛将を指す言葉として知られていました。

江戸時代後期に儒学者である頼山陽が政宗を讃える漢詩の中でこの言葉を用いたことで、彼のカッコいい呼び名として定着しました。

3. 「伊達者」の語源

派手で粋な服装を好む人を指す「伊達者(だてもの)」という言葉は、政宗とその家臣たちが非常に華やかでおしゃれな格好をしていたということに由来します。

朝鮮出兵の際に京都の街を行進した豪華絢爛な軍装を見た人々が、そのカッコよさに感嘆して「伊達のようた」と褒め称えたのが始まりです。

4. ピンチを乗り切る「白装束と金の磔柱」

豊臣秀吉の小田原征伐に遅参するという絶体絶命の危機において、政宗は死を覚悟した証として白い死装束を身にまとい現れました。

さらに金箔を貼った派手な磔の柱を持参するという計算し尽くされた見事なパフォーマンスで、秀吉から無事許しを得ました。

5. 戦国随一の料理男子

政宗は単なる美食家という枠に収まらず、自ら厨房に立って包丁を握り様々な料理を創作する、戦国時代では非常に珍しい料理男子でした。

朝夕の献立を自ら考えるだけでなく、客人をもてなす際にも料理の腕を振るっており、そのこだわりは現代の料理人にも通じるほどです。

6. 仙台味噌や凍り豆腐のルーツ

戦において兵糧が重要だと考えていた政宗は、長期間保存できる優れた食品として仙台味噌や凍り豆腐の製法を研究して開発しました。

現在でも親しまれている仙台名物のずんだ餅なども彼が考案したという説が残っており、食文化の発展に多大な貢献をしたと言えます。

7. 遺言で肖像画は両目が開いている

右目を失明していた政宗ですが、親からもらった大切な体を傷つけてしまったことは不孝であるという強い思いを抱き続けていました。

そのため自分の死後に制作される肖像画や木像には必ず両目を入れるようにと遺言を残し、実際両目が開いた状態で作られました。

8. 実は大の酒好きで酒癖が悪い

お酒をこよなく愛していた政宗ですが実はアルコールには弱く、酔っ払って家臣を杖で叩くなどの数多くの失敗談を残しています。

二日酔いが原因で徳川将軍との重要な約束に大遅刻してしまい、仮病を使って必死に言い訳をしたという人間味あふれる逸話もあります。

9. 残した手紙は4千通以上

戦国武将の中でも群を抜いて非常に筆まめな性格であり、生涯で4000通を超える膨大な数の手紙を自筆で書いていたことがわかっています。

政治的な指示だけでなく愛する妻や子供への温かい愛情にあふれた個人的な手紙も多く残されており、彼の細やかで優しい一面を知れます。

10. スペインやローマへ使節団を派遣

仙台藩の繁栄を目指した政宗は支倉常長らを慶長遣欧使節としてヨーロッパへ派遣し、スペイン国王らとの直接交渉を試みました。

この壮大な計画の裏には単なる貿易だけでなく、強力な軍事同盟を結んで江戸幕府を転覆させるという大きな野望があったとされます。

11. 三日月兜は左右非対称

有名な巨大な三日月の前立てがついた兜ですが、よく観察してみると実は左右対称のきれいな形に作られているわけではありません。

刀を大きく振りかざす際に前立てが邪魔にならないように、あらかじめ右側を少し短く設計するという実用的な工夫が随所に施されています。

12. 母親からの毒殺未遂

政宗の実の母親は彼の弟を異常に溺愛しており、政宗の食事にこっそり毒を混ぜて暗殺しようとする衝撃的な事件を引き起こします。

命からがら助かった政宗ですが、伊達家のお家騒動を防ぐためにはやむを得ず実の弟を自らの手で討ち果たすという悲しみを背負いました。

13. 能をこよなく愛した文化人

芸術に対しても深い造詣を持っていた政宗は特に能楽に熱中しており、自らが役者として舞台に立って見事に演じるほどの腕前でした。

豊臣秀吉が主催する茶会では自ら進んで太鼓の演奏を披露するなど、武将としてだけでなく一流の文化人としての才能もありました。

更新日:2026年4月11日(土) 11:47

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