戦国最強の軍団を率いた猛将として知られる武田信玄ですが、実は教科書には載らない意外な素顔や、人間味あふれるエピソードが数多く残されています。
今回は、潔癖な私生活や愛する人への謝罪文など、知っているようで知らない信玄の真実を10個厳選して詳しくご紹介します。
1. 肖像画は別人?痩せ型で神経質だった

有名な肖像画は別人の足利義昭との説が有力ですが、実際の信玄は病弱で痩せ型だったと記録されています。
後年の恰幅の良いイメージとはかけ離れた神経質な面もあり、研究が進むにつれ、この戦国大名の意外な素顔が浮き彫りになりました。
2. 潔癖症で専用「水洗トイレ」を愛用していた

信玄は潔癖症として知られ、当時では珍しい水洗式のトイレを自ら考案して愛用していました。
六畳もの広さがある常に水が流れる快適な空間で、彼は戦の策を練るなど、多忙な日々の合間に貴重な一人の時間を過ごしたと言われています。
3. 浮気がバレて美少年に謝罪文を送っていた

信玄は家臣の美少年、春日源助に宛てた浮気の謝罪文を残しています。
自分は病気で寝込んでいただけだと必死に弁解する内容は、猛将の意外な一面を示しています。
愛する者を失いたくないという切実な思いが、その必死な文面から伝わってまいります。
4. 父親を追放し家督を奪っていた

暴君として知られ家臣の不満が募っていた父の信虎を、信玄は領民を守るためにあえて駿河へ追放し、若くして家督を奪い取りました。
この非情とも取れる苦渋の決断は、武田家を戦国最強の軍団へと飛躍的に成長させるための、大きな転換点となりました。
5. 我が子を自害させる冷徹な面もあった

今川家との同盟を重視し駿河侵攻に反対した長男の義信は、父との対立を深めた末に謀反の疑いで幽閉され、自害を命じられました。
身内であっても背く者は許さないという冷徹な姿勢は、組織を引き締める一方で、悲劇として語られています。
6. 師の死は号泣していた

幼少期から学んだ教育係の板垣信方が戦死した際、信玄は人目を憚らず号泣したと伝えられています。
戦略や統治の基礎を教えた恩師の死は、若きリーダーにとって大きな痛手でした。
彼の深い悲しみは、冷徹なイメージとは異なる師弟の絆の強さを物語ります。
7. 名物信玄餅は本人の考案ではない

山梨名物の信玄餅ですが、実は本人が考案したという確証はなく、彼が非常食としていた餅が由来との説があるのみです。
現在の形は昭和の戦後に作られたものですが、名前の威光を借りて全国に広まり、郷土の英雄への親しみから生まれた商品と言えます。
8. 「戦国最強」だが、村上義清には惨敗していた

常勝のイメージがある信玄ですが、猛将の村上義清には二度も惨敗を喫しており、上田原の戦いなどでは多くの有力家臣を失う壊滅的な被害を受けました。
この敗北を糧にして、彼は慎重で盤石な戦略を組み立て、真の最強軍団を築き上げたのです。
9. 三条の方の悪女説?

正室の三条の方は、かつて物語の中で嫉妬深い悪女として描かれることが多かったです。
しかし近年の研究では、信玄との間に多くの子をなし、家庭を支えた良妻賢母だったとの説が有力です。
公家出身の高貴な振る舞いが、武家社会で誤解を招く一因となりました。
10. 「甲州金」の純度は時期によりバラバラ

日本で初めて体系化された甲州金ですが、その純度は一定ではなく、産出量の変化や軍事費の増大に伴って金の含有量が調整されていたことが判明しました。
信玄は金の質を巧みに操作することで財政を保ち、過酷な戦国時代を生き抜いたのです。
更新日:2026年2月18日(水) 12:35

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