大友宗麟に関する豆知識
戦国時代の九州で強大な勢力を誇ったキリシタン大名、大友宗麟は教科書にも載っている有名な武将ですが、実は彼の人生には驚くべき秘密が隠されています。
サッカーの日本代表クラスの特技を持っていたり、奥さんから恐ろしい呪いをかけられたり、さらには引きこもって家臣を激怒させたりと、私たちが知っている偉人のイメージとは少し違うエピソードが満載です。
今回は、そんな大友宗麟の面白すぎる雑学を13個ご紹介します。
1. 「宗麟」は本名ではなく法名
広く知られている宗麟という名前は仏門に入った際の法名であり、彼の本当の名前は義鎮(よししげ)といいます。
キリシタン大名としての印象が強い彼ですが、実は若い頃に出家して禅宗の教えも深く受けていたという意外な過去を持っています。
2. 源頼朝の血筋を自称していた
豊後国を支配していた名門の大友氏は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の隠し子を初代当主とする由緒正しい家柄であると主張していました。
周囲の国人を従わせて巨大な領国を統治するためには、こうした権威ある血筋の裏付けが必要だったのです。
3. 20歳で凄惨なお家騒動を経て当主になる
父親が側室の子に家督を譲ろうと企てた結果、逆に重臣たちが父親らを討ち取るという「二階崩れの変」と呼ばれる事件が起きました。
この凄惨な争いによって実権を握ることになり、20歳の若さで大友家の第21代当主として波乱の人生を歩み始めます。
4. 現代ならサッカーの日本代表クラス
武将としての活躍だけでなく、蹴鞠(けまり)の腕前が超1流であり、幕府の将軍から名手の証である特別な称号を授かるほどの実力者でした。
現代のスポーツに例えればサッカーの日本代表選手のようなもので、華麗な技術で当時の人々を魅了していたのです。
5. 洗礼名「フランシスコ」の由来
48歳の時にキリスト教の洗礼を受けた彼ですが、その洗礼名は若い頃に出会った宣教師のフランシスコ・ザビエルに由来します。
ザビエルとの出会いは彼の価値観に計り知れないほどの影響を与え、その後の南蛮貿易や海外文化への強い関心へと繋がっていきました。
6. 仏教徒とキリシタンのダブルスタンダード
禅宗へ出家して法名を名乗りながらも、同時にキリスト教の教えに深く魅了されていくという複雑な信仰の時期がありました。
伝統的な仏教勢力との関係を保ちつつ西洋の宗教も保護しており、当時の常識からは考えられない特異な態度をとっていました。
7. 日本初の実戦用大砲「国崩し」
ポルトガルから大砲と弾薬を輸入して「国崩し」と命名し、戦国時代の軍事技術において他国を圧倒する先見性を見せました。
臼杵城に籠城した際にはこの巨大な大砲を実際に発射して凄まじい威力を発揮し、攻め寄せる宿敵の島津軍を恐怖に陥れて撃退しています。
8. お金で守護大名の座をゲットした
幕府の13代将軍に対して多額の金銭援助を行い、その見返りとして豊前や筑前などの守護大名に任命されることに成功しました。
武力だけでなく、南蛮貿易で蓄えた財力と政治交渉を巧みに利用して九州地方での勢力を大きく伸ばしたのです。
9. 引きこもりで家臣をガチギレさせた
1時期は酒宴などに溺れて奥に引きこもってしまい、老臣たちが何度面会を求めても顔を出さずに政務を放棄しました。
当主としての責任を投げ出した怠惰な振る舞いは、お家のために命を懸けている重臣たちの激しい怒りと失望を買うことになります。
10. 雷神・立花道雪の「おびき出し作戦」
主君を見かねた重臣の立花道雪は、あえて派手な宴会を開くという奇策で宗麟の気を引きました。
不思議に思って顔を出した主君を待ち構えていた道雪は、涙ながらに猛説教をして政務への復帰を強く促したという、主従の絆を感じさせる熱い逸話が残っています。
11. 元妻が側室にかけた恐ろしい呪い
側室のもとへ走った夫に絶望した元妻は、多くの僧侶達を集めて自分を裏切った相手を呪うための恐ろしい儀式を行いました。
カエルの目に熱した鉄を刺すというおどろおどろしい呪術は、愛憎が入り交じる戦国時代の闇を物語っています。
12. 呪いに怯えて失踪したというフェイクニュース
元妻の呪いを恐れた彼が5日間行方不明になり、あばら屋で発見されて「城には帰りたくない」と泣き叫んだ逸話があります。
大名の失態として語り継がれていますが、実は後世の書物によって面白おかしく創作された「フェイクニュース」だと言われています。
13. 宿敵の降伏を見る直前に無念の病死
島津の侵攻から領地を守るため豊臣秀吉に臣従し、九州平定のための圧倒的な大軍の支援を引き出すことに成功しました。
しかし秀吉の軍勢の前に宿敵が降伏するのを見届ける直前、58歳でチフスなどの重い病により無念にもこの世を去ってしまいます。