栗の雑学12選!日本の栗がアメリカの森を滅ぼした
秋になるとお店に栗が並びます。ゆでたり、ごはんに炊き込んだり、ケーキになったりと、いろいろな姿で私たちの前に現れます。
ただ、あの黄色い部分が植物としては何なのか、イガはどうしてあんな形なのか、あらためて考えると知らないことばかりです。日本では縄文時代から人の暮らしと関わり、海を渡った先でも思わぬ出来事を起こしてきました。
そんな栗にまつわる雑学を12個ご紹介します。研究にもとづく項目には出典を添えています。
栗という植物のふしぎな正体
まずは栗そのものについてです。ふだん食べている部分の正体や、栗という植物がもつ性質を見ていきます。
1. 食べているのは種の一部
栗を食べるとき、私たちが口にしている黄色い部分は果肉ではありません。植物としては種子の子葉、つまり芽を出すための栄養をためた部分にあたります。
硬い鬼皮が果皮で、その内側にある渋皮が種皮です。外側のとげとげしたイガは殻斗と呼ばれ、総苞片という特殊化した葉が集まってできています。
栗はブナ科クリ属の堅果で、公園で拾えるドングリと同じ仲間です。
※「殻斗(かくと)」は実を包む器のような部分で、「総苞片(そうほうへん)」はそれをつくる葉のことです
2. 栽培グリの起源をたどる
栗の栽培品種は、丹波地方などの野生グリを有史以降に改良したもの、と長く言われてきました。ところが農研機構と岡山理科大学、秋田県立大学の遺伝解析では、この通説は支持されませんでした。
西日本の野生グリ、東北の野生グリ、栽培グリの3つのグループが、およそ2万年前の同じ時期に分岐していたことが分かったのです。栽培グリは丹波を含めどの地域の野生グリからも遺伝的に離れていました。
野生グリの実は5g程度ですが、栽培品種では30gに達するものもあります。
出典:農研機構・岡山理科大学・秋田県立大学の研究チーム(プレスリリース・2023年)
3. 栗の花の匂いをめぐる俗説
栗の花の独特な匂いについて、ヒトの精液と同じスペルミンという成分が原因だ、という説が広く語られています。ただ、この説の根拠は薄いようです。スペルミンそのものには、ほとんど匂いがないことが分かっています。
2019年の研究では、栗の花の匂いの主成分は1-ピロリンという物質だとされました。ほかに1-ピペリデインなどの成分も検出されています。
出典:Analytical and Bioanalytical Chemistry 掲載の研究(2019年)
4. 低温で寝かせて甘くする
栗は収穫した直後よりも、低温で寝かせたほうが甘くなるといわれます。茨城県農業総合センター園芸研究所の試験では、無処理で糖度9.6だった栗を-3℃の温度帯に3週間置いたところ、17.1まで上がりました。
ただしこの試験は、クリシギゾウムシという害虫の防除を目的に高電圧を併用した条件下のものです。家庭の冷蔵庫の話とは前提が違いますが、チルド室で寝かせると甘くなるとも言われています。
※「クリシギゾウムシ」は栗の実の中で育つ虫です
出典:茨城県農業総合センター園芸研究所(令和2年度成果情報)
日本人と栗の長いつきあい
続いては、日本の暮らしと栗の関わりです。食べ物としてだけでなく、建物や言葉のなかにも栗は登場します。
5. 柱にも枕木にも使われた木
栗の木材は水や湿気に強く、腐りにくい性質があります。そのため、土に埋まる部分や水にさらされる場所の材として古くから選ばれてきました。
青森県の三内丸山遺跡にある大型掘立柱建物では、6本の柱すべてに直径約1mのクリ材が使われていました。強度と耐久性が求められる鉄道の枕木にも、栗材は用いられてきました。
※「掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)」は柱を直接地面に埋めて建てた建物です
6. 勝ち栗はもともと搗栗
縁起物として知られる「勝ち栗」は、もともと「搗栗」と書きました。生または煮た栗の荒皮をむいて天日で干し、臼で搗いて渋皮を落とした保存食のことです。
この「搗つ」が「勝つ」に通じることから、武家の出陣祝いなどに使われるようになりました。栗はそれ以前から重んじられていたようで、平安時代の『延喜式』には丹波国の名産品として栗が挙げられています。
※「搗栗(かちぐり)」の「搗つ(かつ)」は臼でつくことです
7. 桃栗三年柿八年の続き
「桃栗三年柿八年」ということわざには、続きがあります。1674年の『役者評判蚰蜒』には「桃栗三年柿八年、人の命は五十年」という歌謡が見えます。
1786年に序が書かれた『譬喩尽』になると、「枇杷は九年でなり兼ねる、梅は酸い酸い十三年」まで載っています。よく知られる「柚子の大馬鹿十八年」も辞典に収録されていますが、続きの文句は地域や版によって異なります。
※『譬喩尽(たとえづくし)』は江戸時代にまとめられたことわざ集です
8. 害虫を天敵で抑えた話
1941年、岡山県で外来の害虫クリタマバチが初めて確認されました。この虫は1960年代半ばには沖縄県を除く全国に広がり、各地のクリ園に大きな被害を与えます。在来品種の多くが被害を受け、抵抗性のある品種への植え替えが進みました。
転機になったのは天敵の導入です。1982年にチュウゴクオナガコバチが茨城県つくば市で放され、以後40年以上にわたって被害が抑えられています。
出典:農研機構の研究成果情報
海を渡った栗をめぐる話
最後は、国境をまたいだ栗の話です。日本の栗が海外に与えた影響や、外国から入ってきた名前をたどります。
9. アメリカグリを襲った病気
かつてアメリカ東部の森を覆っていたアメリカグリは、クリ胴枯病菌によってほぼ全滅しました。この病気は1904年にニューヨークのブロンクス動物園で確認され、1876年以降に輸入された日本産のクリ苗木とともに持ち込まれたとみられています。
もともと約40億本あったとされるアメリカグリは、1940年ごろには商業樹種として壊滅し、1950年ごろまでに成木がほとんど姿を消しました。一方で日本のクリはこの菌に強く、大きな被害を受けませんでした。
出典:コネチカット州農業試験場ほか
10. 天津甘栗は天津産ではない
「天津甘栗」という名前ですが、天津で採れた栗というわけではありません。主な産地は河北省の燕山山脈一帯で、天津はかつての積出港として名前だけが残りました。
使われているのは日本栗ではなく中国栗です。中国栗には渋皮が実に密着せず、きれいにむけるという性質もあります。産地から港へという流通の道筋と、こうしたむきやすさが重なって、いまのかたちに落ち着いたと考えられます。
11. マロンとマロニエの違い
「マロンは栗ではなくマロニエのことだ」という説明を見かけますが、これは正確ではありません。フランスでは、マロンもシャテーニュも同じヨーロッパグリの実を指します。
違いは実の中身にあり、薄い膜で分かれていない大粒のものをマロンと呼びます。フランス野菜果実技術センターの基準では、隔壁のあるものの割合が12%未満であることが目安とされています。
一方、マロニエの実はマロン・ダンドと呼ばれ、こちらは有毒で食べられません。
※フランス語ではマロンがmarron、シャテーニュがchâtaigne、マロン・ダンドがmarron d’Indeです
12. 黄色いモンブランは日本発
日本でおなじみの黄色いモンブランは、日本で生まれたお菓子です。1933年に東京・自由が丘で創業した洋菓子店「モンブラン」の創業者が、ヨーロッパ旅行でモンブラン山に感銘を受けて考案しました。
持ち帰りを前提とした設計で、台にはカステラを使い、栗はマロングラッセではなく日本人になじみのある黄色い甘露煮を選んでいます。創業者は洋菓子を広めたいという思いから、あえて商品名を商標登録せず、そのため黄色いモンブランは全国に広まっていきました。
まとめ
ふだん食べている黄色い部分は果肉ではなく種子の子葉で、外側のイガは葉が集まってできた殻斗にあたります。遺伝解析では栽培グリと各地の野生グリが約2万年前に分岐していたことが分かり、丹波の野生グリから改良されたという通説は支持されませんでした。
海の向こうでは日本のクリとともに渡った病原菌がアメリカグリの森を奪い、日本では黄色いモンブランという独自の菓子が生まれました。栗という一つの木をたどるだけで、植物学から歴史、菓子の話までがつながっていきます。
秋に栗を手に取ったとき、その一粒の背景を少し思い出してみてください。