敬老の日の雑学11選!始まりは兵庫の小さな村だった

9月の祝日といえば敬老の日ですが、いつ、どこで始まった日なのかはあまり知られていません。

始まりは1947年、兵庫県の小さな村が開いた敬老会だったとされています。9月15日という日付が選ばれた理由も、農作業の暦にまつわる実務的なものでした。

名前は3回変わり、祝日の日付も2004年から動き始めています。そんな敬老の日にまつわる雑学を11個ご紹介します。研究や公的資料にもとづく項目には出典を添えています。

兵庫の村から始まった

まずは、敬老の日が生まれたきっかけと、9月15日という日付が選ばれた理由から見ていきましょう。

1. 発祥は兵庫の小さな村

敬老の日の始まりは、1947年9月15日に兵庫県多可郡野間谷村(現在の多可町)が村主催で開いた敬老会だとされています。招待されたのは55歳以上の住民で、公会堂で食事をふるまい、播州歌舞伎の余興でもてなしたと伝えられます。

いまの感覚では55歳は若く思えますが、1947年の平均寿命は男性50.06年、女性53.96年でした。当時の55歳は長寿の部類に入っていたのです。国民の祝日になるより19年も早く、ひとつの村の行事として敬老の日は動き出していました。

※「野間谷村」は「のまだにむら」と読み、現在の兵庫県多可町の一部にあたります。

出典:厚生労働省 平均余命の年次推移

2. 言い出したのは35歳の村長

敬老会を提唱したのは、野間谷村長の門脇政夫さんでした。1947年4月に35歳で村長に当選し、その年の9月にはもう敬老会を開いています。

動機については、子どもを戦地に送って心をすり減らした親の世代に報いたい、戦後の混乱で年長者を軽んじる風潮が出てきたことを憂えた、と語っていたとされます。敬老の日は、若い村長が年長者への敬意を形にしようとしたところから広がっていきました。門脇さん自身は98歳まで生きています。

3. 9月15日は農閑期だった

9月15日という日付が選ばれたのは、農作業が一段落する農閑期にあたり、気候も過ごしやすい時期だったという実務的な判断からだとされています。年長者を敬った養老の滝の伝説も参考にしたといわれます。

一方で「聖徳太子が593年9月15日に悲田院を建てたから」という説がよく語られますが、その日付には根拠がないとされています。「元正天皇が養老の滝を訪れた日」という説も、『続日本紀』の記述は9月20日で、15日ではありません。

※「悲田院(ひでんいん)」は貧しい人や孤児を救うための施設です。

※「続日本紀(しょくにほんぎ)」は奈良時代に編まれた歴史書です。

名前と制度は変わり続けた

村の行事は全国へ広がり、呼び名も日付も何度か姿を変えていきます。ここでは制度の移り変わりを追ってみましょう。

4. 名前が3回変わった祝日

最初の呼び名は「としよりの日」でした。1950年に兵庫県が県民運動として制定し、翌1951年には中央社会福祉協議会が全国運動として9月15日に定めています。

その後、1963年の老人福祉法で「老人の日」となり、1966年の祝日法改正で国民の祝日「敬老の日」になりました。改名の背景には、「としより」という呼び方はよくないという声があったとされています。

5. ずれ始めたのは2004年

2001年の祝日法改正、いわゆるハッピーマンデー制度によって、敬老の日は2003年から9月の第3月曜日に移りました。ところが2003年は9月15日がたまたま第3月曜日にあたったため、その年の日付は動きませんでした。

実際に9月15日から離れた最初の年は2004年で、この年の敬老の日は9月20日でした。制度が変わった年と、実際に日付がずれた年は同じではないわけです。

6. 老人の日はまだある

2001年の老人福祉法改正で、9月15日は「老人の日」として残されました。さらに同じ日から21日までの1週間が「老人週間」と定められています。

つまり祝日である敬老の日とは別に、9月15日の老人の日が現在も法律上は存在しているのです。ただし老人の日は祝日ではなく、法律上の記念日という位置づけになります。毎年この時期には、内閣府と全国社会福祉協議会が老人週間のキャンペーンを実施しています。

7. シルバーの語源は座席

シルバーシートが初めて設けられたのは、1973年9月15日の敬老の日でした。国鉄の中央線快速などで設置され、同じ日に伊豆箱根鉄道でも導入されています。

名前の由来は、浜松工場に在庫があった新幹線0系のシルバーグレーのモケット生地を流用して座席を作ったことにあるとされます。座席の色を変える案は、国鉄本社旅客局の須田寬さんが出したといわれます。高齢者を「シルバー」と呼ぶ言い方が広まるきっかけになったとされ、JR東日本は1997年5月に呼称を「優先席」へ改めました。

※「モケット」は電車の座席などに使われる、けば立った厚手の布地です。

8. 純銀ではなくなった銀杯

100歳を迎えた人に内閣総理大臣から祝状と銀杯を贈る事業は、1963年度に始まりました。当時、100歳以上の人は全国で153人でした。

銀杯は長く純銀製でしたが、2016年度から洋銀製に変わっています。洋銀は銅・亜鉛・ニッケルの合金で、表面に銀メッキを施したものです。1杯あたりの単価は約7600円から約3800円に、事業費は2015年度予算の2.7億円から2016年度予算案の1.5億円へ縮減されました。

出典:大和総研コラム(2017年)、厚生労働省(2025年)

数字と世界の敬老

最後は、いまの日本の高齢者をめぐる数字と、海外の敬老の日を見ていきます。

9. 100歳が10万人に迫る

厚生労働省の発表によると、2025年9月1日時点で100歳以上の人は9万9763人でした。前年より4644人増えており、増加は55年連続、過去最多の更新が続いています。

10万人の大台まで、あとわずかというところまで来ました。内訳を見ると女性が8万7784人で、全体の約88%を占めています。

銀杯を贈る事業が始まった1963年の該当者は153人でしたから、およそ650倍という計算になります。100歳が珍しくなくなったことが、数字からも見えてきます。

出典:厚生労働省 百歳以上の高齢者について(2025年)

10. 65歳は高齢者ではない?

日本老年学会と日本老年医学会は2017年に「高齢者の定義と区分に関する提言」を公表しました。あくまで学会の提案で、制度が変わったわけではありません。

提言は、65歳以上を高齢者とする区分に医学的・生物学的な明確な根拠はないと指摘し、65〜74歳を准高齢者、75〜89歳を高齢者、90歳以上を超高齢者と呼ぶことを提案しました。いまの高齢者は10〜20年前に比べ、身体機能の変化が5〜10年遅く現れているというデータが根拠です。

祝日法には、敬老の日の対象年齢の定義はありません。

出典:日本老年学会・日本老年医学会 高齢者の定義と区分に関する提言(2017年)

11. 海外にもある敬老の日

アメリカの祖父母の日は、主婦マリアン・マクエイドさんの運動が発端です。1978年にカーター大統領が布告し、レイバーデー後の最初の日曜日と定められました。公式の花は忘れな草です。

イタリアは2005年の法律で10月2日を祖父母の日と定め、大統領が毎年10人の祖父母を表彰しています。

韓国も1997年に10月2日を老人の日、10月を敬老の月と定めました。国連の国際高齢者デーの10月1日が国軍の日と重なるための調整とされます。中国の敬老の日は、重陽の節句の記事で紹介しています。

※アメリカの祖父母の日は「National Grandparents Day」、イタリアの祖父母の日は「Festa dei Nonni」といいます。

まとめ

敬老の日は、1947年に兵庫県の野間谷村が開いた敬老会から始まったとされ、国民の祝日になったのは1966年のことでした。9月15日という日付も、農閑期で気候が良いという実務的な理由から選ばれたと伝えられます。

呼び名は「としよりの日」「老人の日」を経て現在の形になり、2004年からは9月の第3月曜日へ移りました。それでも9月15日は、老人の日として法律に残されています。

100歳以上の人は10万人に迫り、65歳を高齢者とする区分にも見直しの提案が出ています。敬老の日が指す長寿の姿は、これからも少しずつ変わっていきそうです。

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