十字軍の雑学10選!アサシンの語源は大麻ではなかった
聖地エルサレムを目指した十字軍は、およそ200年にわたって続いた中世ヨーロッパの大きな出来事です。
ところが今日よく知られた逸話の中には、後の時代に作られたイメージが混ざっているものも少なくありません。
暗殺者を意味するアサシンの語源が大麻だという有名な話は俗説と見られていますし、砂糖が伝わったきっかけが十字軍だったという説明も、実は因果が逆さまでした。
そんな十字軍にまつわる雑学を10個ご紹介します。
1. 十字軍とはどんな遠征か
十字軍は、聖地エルサレムをイスラム勢力から取り戻すための軍事遠征で、1095年の呼びかけから1291年のアッコン陥落まで約200年続きました。
国が送った軍ではなく、教皇の呼びかけに応じた諸侯や騎士が個人の誓いとして参加し、第1回には王が1人も加わっていません。
2. 当時は十字軍と呼ばれず
この遠征に加わった人々は自分たちの旅を巡礼と呼び、衣服に布の十字を縫い付けて、十字のしるしをつけた者と名乗りました。
十字軍を意味する英語のcrusadeが記録に現れるのは1706年で、遠征が終わってから400年以上あと、フランス語のcroisadeでも16世紀のことです。
3. 味方の都市を略奸した遠征
第4回十字軍はエジプトを経由する計画でしたが、ヴェネツィアへの船賃を払えなくなり、1204年4月、同じキリスト教の都コンスタンティノープルを占領して略奸しました。
ビザンツ帝国が首都を取り戻すのは57年後で、この事件が東西教会の溝を決定的にしたとされます。
4. 騎士団が担った金融の役割
テンプル騎士団は1119年ごろ、聖地へ向かう巡礼者を守るために生まれ、ヨーロッパの支部に預けた財産を聖地で引き出せる仕組みや、王侯への融資を手がけました。
借金を抱えていたフランス王フィリップ4世は、1307年10月13日の金曜日に彼らを一斉逮捕しています。
5. サラディンが送った氷
アッコン包囲戦の最中、病に倒れたイングランド王リチャード1世のもとへ、敵将サラディンが果物と雪を届けたと伝えられます。
ただし出典はサラディンの側近が書いた伝記で、著者は熱心な賛美者であり、騎士道的な人物像は後のヨーロッパ文学が育てた面もあるようです。
6. 砂糖とレモンは先に届いた
砂糖とレモンは十字軍が持ち帰ったと語られますが、サトウキビは7世紀から10世紀にイスラム勢力を経てスペインやシチリアへ伝わり、レモンも10世紀にはシチリアにありました。
十字軍が果たしたのは聖地で砂糖を作り輸出し、ヨーロッパへ大量に流し込んだことです。
7. アサシンの語源は大麻ではない
暗殺者を指すassassinの語源がアラビア語のハシーシーに由来するのは確かですが、大麻を使う者という意味ではなく、ニザール派をののしる蔑称だったとする説が主流です。
麻薬を使った証拠はなく、山の老人が薬で若者を操る話を広めたのはマルコ・ポーロです。
8. 国別の十字の色は今と逆
1188年、ジゾールで会談したイングランド王ヘンリー2世とフランス王フィリップ2世は、第3回十字軍で部隊を見分けるため、イングランド軍が白十字、フランス軍が赤十字、フランドル軍が緑十字と決めました。
現在のイングランド国旗は赤十字で、当時とは逆の配色です。
9. 数字を広めたのは商人の子
アラビア数字とゼロが広まった主な道筋は十字軍ではなく、イスラム支配下のスペインやシチリアを介した学術交流と、地中海の商業網でした。
決定打は1202年にピサのフィボナッチが著した算盤の書で、彼がこの数字を学んだのは商人だった父の赴任先の北アフリカです。
10. 捕虜になった王の身代金
1250年4月、マンスーラの戦いに敗れたフランス王ルイ9世はエジプトで捕虜となり、解放の条件はダミエッタの返還と40万リーブル・トゥルノワ、王室の年間収入のおよそ1.6倍にあたる額でした。
この支払いはテンプル騎士団からの借り入れによって工面されたとされます。