エジソンの雑学12選!3か月で学校を退学した発明王

電球や蓄音機など、暮らしを変える発明を次々と生み出した発明王トーマス・エジソン。

教科書にも登場する有名人ですが、その人生をのぞいてみると、学校をすぐに退学したり、空を飛ぶ薬を作ろうとしたりと、思わず驚いてしまう一面がたくさんあります。

努力家として語られる一方で、ちょっと意外なエピソードも数多く残されているのです。

そんなエジソンにまつわる雑学を12個ご紹介します。

1. 退学した発明王

発明王として広く知られているエジソンですが、小学校に入ると先生に質問ばかりをくり返し、わずか3か月で退学になってしまったと伝わっています。

みんなが当たり前と思うことでも自分が納得するまで問い続けたその姿勢が、のちの数多くの発明につながったのかもしれません。

2. 母が育てた天才

学校を去ったエジソンを自宅で根気よく教えたのは、もともと学校の教師をしていた母親でした。

周りの大人たちが手に負えないと見放しても、母だけは息子の才能を信じて支え続け、その家庭での学びが、後に世界を変える発明家となるための大切な土台になったと言われています。

3. 空飛ぶ薬の実験

少年時代のエジソンは、人が空を自由に飛べるようになる薬を作ろうと本気で考えたことがあったそうです。

実際に友人に飲ませて試してみたところ、その友人はとても激しい腹痛を起こしてしまい、あたりは大さわぎになってしまったという、少しこわい逸話まで残されています。

4. 聞こえない発明家

エジソンは若いころから、耳がほとんど聞こえなかったとされています。

日々の生活で不便なことも多かったはずですが、本人はむしろ静かな環境のおかげで物事に深く集中できると前向きにとらえ、その障がいを研究に打ち込むための大きな力へと変えていたと伝わっています。

5. 千を超える特許

エジソンが生涯のうちに取得した特許は、なんと1000件をはるかにこえると言われています。

光をともす電球から、街全体に電気を送りとどける発電のしくみまで、手がけた分野はおどろくほど広く、新しいものを生み出そうとする好奇心の大きさが、その数字からよく伝わってきます。

6. 声を残した機械

エジソンは14671877年に、蓄音機(フォノグラフ)という音をそのまま記録して残しておける画期的な機械を発明しました。

録音した自分の声をその場で再生してみせると、声が機械から流れることなど想像もしてい難かった周りの人たちは、まるで魔法を見たかのように大いに驚いたと伝わっています。

7. 京都の竹の電球

白熱電球はエジソンが発明したものと思われがちですが、本当の功績は長い時間光り続ける形へと実用化したことにあります。

光のもととなるフィラメントという細く光る部分に日本の京都(八幡)産の竹を使うことで、電球の寿命を以前よりもはるかに大きくのばすことに成功したそうです。

8. 一万通りの失敗

エジソンは自分自身の失敗について、それは決して失敗などではなく、ただうまくいかない方法を1万通り見つけただけなのだと語ったと伝わっています。

思うような結果が出なくてもあきらめず、ねばり強く試し続けたその前向きな姿勢こそが、数々の発明を生み出したのでしょう。

9. 世界初の研究所

エジソンはメンロパークという場所に、世界ではじめてとなる研究開発のための施設を作りました。

発明家がたった一人だけで挑むのではなく、多くの専門家が仲間として協力し合いながら次々と発明を生み出していくという、まったく新しいやり方を、この場所で作り上げたのです。

10. ハロー広めた人

電話に出るときに使う第一声の「ハロー」という言葉を、世の中に広く広めていったのはあのエジソンだったと言われています。

やがて電話をつなぐ仕事をする交換手の女性たちはハローガールと呼ばれるようになり、この短いあいさつの言葉は世界中の人々へと広まっていったそうです。

11. 動物で見せた危険

エジソンは「電流戦争」と呼ばれる激しい争いの中で、ライバルが推し進める交流という送電方式がいかに危険であるかを世間に示そうとしました。

なんと動物に電気を流してみせる実演まで行い、自分の方式(直流)の方がずっと安全なのだと人々に強く印象づけようとしたと伝わっています。

12. 最後の息の試験管

エジソンが息を引き取るときの最後の息を入れたとされる試験管が、今もアメリカの博物館に大切に保存されています。

亡くなった部屋に置われていた空気をそのまましっかり密閉して残したものだと言われ、偉大な発明家の名残として、今も静かに展示され続けているそうです。

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