ウィリアム・シェイクスピア に関する豆知識
「ロミオとジュリエット」や「ハムレット」など、誰もが一度は耳にしたことがある名作を生み出した劇作家、ウィリアム・シェイクスピアは、1564年にイギリスのストラトフォードで生まれ、役者として舞台に立ちながら数々の戯曲を執筆しました。
彼の生み出した美しいセリフや劇的なストーリーは、400年以上経った今でも世界中の人々を魅了し続けています。
今回は、そんな彼の知られざる驚きの雑学を12個ご紹介します!
1. 誕生日と命日が同じ日
彼は1564年4月23日に誕生し、それから52年後となる1616年の全く同じ日付にこの世を去ったと言われています。
正確な誕生日は現存する洗礼の記録から推測されたものに過ぎませんが、彼自身の劇的な生涯の始まりと終わりを象徴する、世界中で非常に有名なエピソードです。
2. 名前のスペルが全部違う
彼自身の直筆のサインは現在もいくつか残されていますが、現代において一般的な英語の綴りで書かれたものは1つも存在していません。
書くたびに異なるスペルを自由に使用していたとされており、当時の英語にはまだ公式に統一された正書法がなかったことがわかります。
3. 妻に残した遺産は「2番目に良いベッド」
彼の遺言書には、残された妻に対して自分たちの家にある「2番目に良いベッド」を相続させるという奇妙な文言が記されていました。
これが妻への意地悪だったのか、それとも来客用ではない夫婦の思い入れのある特別な品だったのかは、現在も議論の的です。
4. お墓には呪いの言葉が刻まれている
彼の墓碑銘には、「私の骨を動かす者に呪いあれ」という、劇作家らしからぬ非常に恐ろしい言葉が刻まれていることで知られています。
遺骨の移動を防ぐための強烈な警告文だと考えられており、この呪いの言葉のおかげで現在も彼のお墓は掘り起こされていません。
5. 1700語以上の新しい英単語を生み出した
彼は数多くの既存の言葉を組み合わせたり名詞を動詞として使ったりするなどして、1700語以上もの英単語を新しく作り出しました。
日常的に使われる「眼球」や「孤独な」といった言葉も彼が生み出したものであり、現代の英語表現に計り知れない影響を与えています。
6. 「空白の7年間」が存在する
1585年から1592年までの7年間という長い期間は、彼がどこで何をして過ごしていたのかを示す歴史的な記録が一切残されていません。
この期間は「失われた年月」と呼ばれており、学校の教師をしていたという説や、海外を旅していたなどの様々な憶測を今も呼んでいます。
7. 俳優としても舞台に立っていた
彼は優れた台本を書く劇作家としてだけでなく、所属する一座で俳優としても活動し、実際に舞台の上で演技を披露していました。
自身の作品に出演していただけでなく、同時代の他の劇作家が手がけた作品に役者として参加していた記録も数多く残されています。
8. 作品の多くは共同執筆だった
近年の研究により、彼が単独で書いたとされる名作の多くは、他の劇作家たちとの共同作業によって生み出されたことが判明しています。
現代の脚本制作と同じく、当時の演劇界では複数の作家がチームを組んでひとつの台本を書き上げる手法がごく一般的なものでした。
9. 生前は本を出版していない
彼は舞台で上演するためだけに台本を書いており、一般向けの読書用の本として作品を出版することには全く関心がありませんでした。
現在も名作の数々が残っているのは、彼の死後に友人たちが原稿を集め、ひとつの作品集(ファースト・フォリオ)として世に出版してくれたおかげなのです。
10. 「シェイクスピア別人説」がある
田舎出身の彼が高度な教養を要する傑作を書けたはずがないとして、本当の作者は別の人物だったとする説が今も存在しています。
別の貴族や知識人が正体を隠すために彼の名前を借りていたという陰謀論であり、現在に至るまで長年にわたり議論が続いています。
11. 女性の役も男性が演じていた
当時のイギリスでは女性が舞台に立つことが法律で禁止されており、演劇界は完全に男性だけで構成された世界となっていました。
そのためジュリエットのような若いヒロインの役も、すべて声変わりのしていない少年俳優たちが巧みな演技力で担当していました。
12. 妻の名前はアン・ハサウェイ
彼の妻の名前は、現代の有名なハリウッド女優と全く同じ「アン・ハサウェイ」という名前であったことが歴史的な事実として知られています。
彼女は夫であるシェイクスピアよりも8歳年上の女性であり、彼がまだ18歳だった1582年に結婚して3人の子供をもうけました。