平将門の雑学11選!首が宙を飛んで関東へ戻った

平将門は、平安時代中期に関東で反乱を起こし、自ら「新皇」を名乗った武将です。皇族の血を引きながらも朝廷に反旗を翻したその生涯は、歴史書だけでなく怪談や伝説にも深く刻まれています。亡き後も「祟り」の伝説で語り継がれ、現代の東京にも将門ゆかりの場所が残っています。そんな平将門にまつわる雑学を11個ご紹介します。

1. 「新皇」を名乗った反逆

平将門は940年ごろ、関東地方(当時の「坂東」)に独自の政権を打ち立て、自ら「新皇」と称して天皇と対等な存在として振る舞いました。

朝廷にとっては前代未聞の反逆行為であり、その知らせを聞いた都の人々は深い恐怖と困惑に陥ったと伝えられています。

2. 一族の争いが国家反乱へ

将門と叔父・平国香との土地をめぐる争いが、「天慶の乱」のきっかけになったとされています。

最初は親族間のもめごとに過ぎませんでしたが、やがて関東一帯を巻き込む国家規模の乱へと発展し、天皇を頂点とした朝廷の支配体制を根底から揺るがす事件となりました。

3. 将門を討った俵藤太

将門を討ち取ったのは同族の平貞盛と、「俵藤太」の異名で知られる藤原秀郷です。

秀郷は巨大な百足(ムカデ)を退治したという民話でも有名な人物で、将門との戦いの詳細については今なお諸説あり、謎の多い歴史の一場面として長く語り継がれています。

4. 首が空を飛んで関東へ

将門の首は都・京へ運ばれて晒されましたが、3日後に突然空中へ舞い上がり、東の関東方向へ飛び去ったという不思議な伝説が語り継がれています。

「我が体はどこだ」と叫び続けたとも伝わっており、後世の怪談・軍記物語・芸能など多くの作品に深く影響を与えてきました。

5. 大手町に今も残る将門塚

将門の首が落ちた場所が、現在の東京・大手町にある「将門塚(首塚)」の由来とされています。

高層ビルが立ち並ぶオフィス街のただ中に今もひっそりと残るこの塚は、歴史ファンだけでなく全国各地から多くの参拝者が訪れるパワースポットとして広く知られています。

6. GHQも諦めた将門の塚

第二次世界大戦後、GHQ(連合国最高司令官総司令部)が将門塚の撤去を計画しましたが、担当した関係者が次々と体調を崩したといわれています。

工事は中止となり将門塚は現在の場所に残り続け、「将門の祟り」の伝説のひとつとして今なお語り継がれています。

7. 東西同時に起きた大反乱

将門の反乱とほぼ同じ時期、西国でも藤原純友が瀬戸内海で海賊を率いて反乱を起こし、東西でほぼ同時に大規模な騒乱が勃発しました。

この東西同時反乱は「承平・天慶の乱」と総称されており、当時の朝廷がいかに不安定な状態に追い込まれていたかをよく物語る出来事です。

8. 桓武天皇の血を引く家柄

将門の父・良将は桓武天皇の子孫にあたり、将門自身も皇族ゆかりの名門「桓武平氏」の出身でした。

その高貴な血筋を持つ人物が朝廷に反旗を翻したという事実は当時の人々に大きな衝撃を与え、将門の反乱を単なる武力衝突以上の歴史的な事件として後世に伝えました。

9. 江戸文化でも大人気の将門

平将門の名は江戸時代にも色あせることなく、歌舞伎・浮世絵・読み本(通俗小説)など多くの娯楽作品の題材として広く人気を集めました。

現代でもゲームや漫画・映画に頻繁に登場し、平安時代の反逆者でありながら時代を超えて愛されるキャラクターになっています。

10. 神田明神に祀られる将門

東京・神田明神は平将門を祭神のひとりとして祀っており、将門を「江戸の守護神」として信仰する文化が今なお続いています。

IT企業やゲーム会社など秋葉原周辺の企業・個人が多く参拝することでも知られており、現代的な賑わいを持つ神社として広く親しまれています。

11. 関東武士の礎を作った男

将門が支配した「坂東8ヶ国」(関東地方の8つの国)は、後に源頼朝が鎌倉幕府を開いた地域とほぼ一致しています。

将門の反乱が関東を武士の拠点として確立するうえで大きな役割を果たしたとも評されており、日本の武家社会を語るうえで欠かせない歴史上の人物です。

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