サケの雑学12選!イクラはロシア語だった

秋になると売り場に並ぶサケは、朝食にも弁当にも入っている身近な魚です。けれど少しのぞいてみると、赤い身なのに分類は白身魚だったり、川に入ってからは何も食べずにのぼり続けたり、湖のヒメマスが実は同じ種だったりと、知らなかった顔がいくつも出てきます。

一方で、放流した魚が戻ってくる割合はピーク時の7分の1まで下がり、利根川では遡上がゼロという年も出ています。

そんなサケにまつわる雑学を12個ご紹介します。研究にもとづく項目には出典を添えています。

サケの体と一生のしくみ

切り身の姿ばかり見ていると気づきにくいのですが、サケの体と一生には変わったしくみがいくつもあります。まずは生き物としてのサケから見ていきます。

1. 母川回帰は匂いの記憶

サケが生まれた川に戻ってこられるのは、稚魚が海へ下るときにその川特有の匂いを覚え込む嗅覚刷込によるという説が有力です。匂いの正体は単一の物質ではなく、川ごとに違うアミノ酸の組み合わせだと考えられています。

覚えられる時期には限りがあり、その期間を過ぎると刷り込みは起こりにくくなるとされます。ただし匂いが手がかりになるのは川に入ってからの最終段階で、広い外洋から沿岸までたどり着く仕組みには、まだ分かっていない部分が残されています。

※「刷込(すりこみ)」は、限られた時期に覚えたことが、その後も長く記憶として残る現象のことです

出典:北海道大学などの研究(サケ属魚類の嗅覚刷込に関する研究)

2. 赤いのに分類は白身魚

サケの身は赤く見えますが、日本の一般的な基準では白身魚に分類されます。赤身か白身かを分けるのは筋肉に含まれる色素タンパク質ミオグロビンの量で、100グラム中10ミリグラム以上あれば赤身魚、それ以下なら白身魚とされています。

サケの赤みはミオグロビンではなく、エビやカニに含まれるカロテノイドの一種アスタキサンチンによるものです。エサとして取り込んだ色が身に移ったもので、見た目と分類が食い違うのはそのためです。ただし、国際的に統一された定義ではありません。

※「アスタキサンチン」は、エビやカニの殻やサケの身などに含まれる赤い色素成分です

出典:農林水産省

3. 遡上中は何も食べない

川に入ったサケの親魚は、遡上している間エサを食べません。海では銀色だった体が黒ずんでブナ毛と呼ばれる模様が浮かび、オスは上下の顎が伸びて曲がる鼻曲がりや、背中が盛り上がる背っぱりといった姿に変わっていきます。

産卵と放精を終えた親魚は、大半が数日のうちに力尽きます。ただしメスのなかには、1か月以上その場にとどまって産卵床を守り続けるものもいるといいます。

※「産卵床(さんらんしょう)」は、メスが川底の砂利を掘ってつくる卵の産み場所です

4. ベニザケとヒメマスは同種

湖にすむヒメマスは、海に下らず一生を淡水で過ごすベニザケの陸封型で、生物学的には同じ種です。日本での天然分布は北海道の阿寒湖とチミケップ湖にかぎられ、支笏湖などへは1894年に阿寒湖から移されたのが最初とされています。

一方で、天然のベニザケが恒常的に遡上する川は国内にありません。店に並ぶベニザケのほとんどが輸入ものなのは、そうした事情によります。

※「陸封型(りくふうがた)」は、本来は海へ下る魚が、湖や川にとどまって一生を過ごすようになったものです

サケと人の歴史・食文化

サケは古くから食べられ、道具や保存食にも使われてきました。ここでは人との関わりをたどってみます。

5. 村上藩が始めた種川の制

越後村上藩の下級武士だった青砥武平治は、サケが生まれた川に戻る性質に着目し、1763年に種川の制と呼ばれる取り組みに着手しました。三面川に分流を設けてそこで産卵させ、産卵が終わるまでは禁漁とする仕組みで、人工ふ化ではなく自然の産卵をそのまま守って数を増やそうという考え方でした。

分流は1794年までおよそ30年かけて広げられ、導入前は多くても200両から300両ほどだった鮭の漁獲高は、1000両を超えるまでになったと伝えられています。

6. サケの皮で作る冬の靴

アイヌの人々が使っていたチェㇷ゚ケㇼは、サケの皮を干して縫い合わせて作る冬用の靴です。長いものになると1足に4枚から8枚のサケ皮を使い、靴底には背びれの部分を配置して滑り止めにしていました。

中に干し草を敷き、植物の繊維で編んだ靴下と合わせて履くことで、軽くて丈夫なうえにあたたかい履物になりました。

※「チェㇷ゚ケㇼ」は「チェプケリ」と読み、アイヌ語で魚の靴という意味の言葉です

7. イクラはロシア語だった

イクラという呼び名はロシア語のикраに由来し、本来はサケの卵にかぎらず魚卵全般を指す言葉です。ロシアではサケの卵を赤いイクラ、キャビアを黒いイクラと呼び分けています。

日本では大正時代に、樺太庁の水産試験場がロシア伝来の製法で塩漬けの試験製造を行ったことが、広まりの契機とされます。伝来の経路には諸説ありますが、粒がつながったままの筋子と区別する必要から、ばらした卵を指す呼び名として定着していったようです。

8. ルイベは溶ける食べ物

ルイベはアイヌ語に由来する言葉で、ルが溶ける、イペが食べ物を意味するとされます。秋の終わりに川で獲ったサケを冬の寒さで自然に凍らせて長く保存し、食べるときは凍ったまま薄く切っていました。

現代では冷凍庫で凍らせる作り方が一般的になり、家庭の台所でも作れる料理として残っています。

いまのサケをめぐる話

最後は現在進行形の話です。売り場に並ぶ顔ぶれも、川に戻ってくる数も、この数十年で大きく変わりました。

9. サーモン寿司はノルウェー発

1980年代の日本には、サケを生で食べる習慣がほとんどありませんでした。寿司のサケといえば加熱して使うもので、生の切り身が回転寿司をまわるような光景は思い浮かばなかったのです。

そこでノルウェーは、自国の養殖サーモンを日本に売り込むプロジェクト・ジャパンを1980年代半ばに立ち上げ、政財界や流通業者との関係づくりを地道に進めました。1990年代半ばにはサーモンの寿司が広まり、いまでは回転寿司の人気ネタの上位に定着しています。

10. 戻る割合はピークの7分の1

放流した数に対してどれだけ戻ってきたかを示す単純回帰率は、1996年度の全国計4.52パーセントが最も高く、2025年度は0.66パーセントの暫定値まで下がっています。ピーク時のおよそ7分の1にあたる水準です。

日本はいまも年間11.6億尾を放流していますが、2024年漁期の来遊数は全国で約1790万尾にとどまり、前年比78パーセントでした。戻ってくる魚の小型化も進んでいるといいます。

※「単純回帰率」は、4年前の放流数に対するその年の来遊数の割合をみる簡易な指標です

出典:水産研究・教育機構

11. 利根川で2年続けてゼロ

利根川は、太平洋側でサケが戻ってくる事実上の南限とされ、河口から200キロ近くをのぼっていきます。埼玉県行田市の利根大堰では、2013年に1万8696匹という最多記録が残っています。

ところが2024年の遡上は、1983年の調査開始以来はじめてゼロとなり、2025年も続けてゼロでした。その原因はまだはっきりしていません。

出典:埼玉新聞、国土交通省利根川上流河川事務所

12. ご当地サーモンは112ブランド

天然のサケが記録的な不漁に沈む一方で、国内の養殖サーモンのブランドは増え続けています。みなと新聞の調査では、2026年4月中旬時点で全国に112ブランドがありました。

前年の113から1つ減ったものの、海面養殖だけでなく陸上養殖への新規参入や投資が相次いでおり、海に面していない内陸の県まで地元産サーモンを名乗るようになっています。

※ご当地サーモンの多くはニジマスやギンザケで、秋に川をのぼるシロザケとは別の魚です

出典:みなと新聞(2026年)

まとめ

生まれた川の匂いを覚えていて、そこへ戻ってくること。赤い身なのに日本の基準では白身魚に分類されること。そして、放流した魚が戻ってくる割合がピーク時の7分の1まで落ち、利根川では2年続けて遡上がゼロだったこと。

体のしくみをたどる話と、いまの数字をめぐる話が、同じ魚の上に重なっているのがサケという魚の面白いところです。売り場に並ぶ姿からは想像しにくいのですが、その切り身も長い旅をしてきた魚の一部です。次に食卓で見かけたときは、少しだけその道のりを思い浮かべてみてください。

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