ポーカーの雑学12選!初代世界一は投票で決まった
トランプ遊びのなかでも、ポーカーはどこか大人びた雰囲気をまとっています。役の強さ、賭けの駆け引き、表情を消した顔つき。
けれど成り立ちをたどると、20枚の札で遊ばれていた時代や、大統領の選挙資金、AIとの対戦まで、思いのほか幅広い話が出てきます。強い役が強いことにも、きちんとした理屈がありました。
そんなポーカーにまつわる雑学を12個ご紹介します。研究にもとづく項目には出典を添えています。
ポーカー誕生をめぐる物語
ポーカーは最初から今の形だったわけではありません。札の枚数も役の並びも、時間をかけて少しずつ整っていきました。
1. 20枚だけで遊んだ時代
ポーカーの原型は、1829年ごろのアメリカ・ニューオーリンズで遊ばれていたとされます。使う札はA・K・Q・J・10の20枚だけで、4人に5枚ずつ配るとちょうど配り切る形でした。
役もワンペアからフォーカードまでしかなく、フラッシュやストレートはまだありません。52枚のデッキに移ったのは1830年代から45年ごろで、そこでフラッシュが加わり、ストレートは南北戦争のころにさらに加わったと言われます。
※ペルシャのカードゲームを起源とする説はかつて有力とされましたが、今は否定的な見方が強くなっています。
2. 死者の手札と呼ばれる札
1876年8月2日、西部の町デッドウッドの酒場で、ガンマンのワイルド・ビル・ヒコックがポーカーの最中に背後から撃たれて亡くなりました。このとき手にしていたのはAと8のツーペアだったと語られ、その組み合わせは「デッドマンズハンド」と呼ばれます。
ただし話の出所は、遺体を処置した理髪師の手紙が1926年の伝記に載ったもので、事件から50年後のことでした。当時の記録に手札の記述はないと、歴史家も指摘しています。
※「デッドマンズハンド」という言葉自体はそれ以前からあり、1907年版のゲーム事典ではJと8の手を指していました。
※5枚目の札については諸説あり、定まっていません。
3. 責任転嫁の語源はポーカー
責任を人に押しつけることを英語で pass the buck と言いますが、これはポーカーの卓から生まれた表現とされます。ディーラー役が誰かを示すために置くマーカーを「バック」と呼び、鹿角の柄のナイフがよく使われたことが由来として有力です。順番が回れば、そのバックを隣の人へ渡していきます。
活字に現れたのは1865年で、責任転嫁の意味で定着したのは1902年ごろでした。
※トルーマン大統領の机にあった「The buck stops here(責任は私が引き受ける)」の札は、連邦少年院で作られ1945年に贈られたものです。
4. 役の順位は確率が決めた
52枚から5枚を選ぶ組み合わせは、全部で2,598,960通りあります。このうちストレートは10,200通り、フラッシュは5,108通りで、フラッシュのほうが約2倍出にくい計算です。
役の強さは誰かが好みで決めたものではなく、出現する数が少ない順に並べた結果でした。強い役ほど珍しいと考えれば、覚えにくい順番も少し頭に入りやすくなります。
※ロイヤルフラッシュは4通りしかなく、確率にすると約65万分の1(1/649,740)です。
世界一を決める舞台の裏側
世界一を決めるWSOPは1970年に始まりました。華やかな大会に見えて、初期には手作りのような逸話がいくつも残っています。
5. 世界一は投票で決まった
第1回のワールドシリーズ・オブ・ポーカーは1970年、ラスベガスのビニオンズ・ホースシューで開かれました。参加者はわずか7人で、この大会の歴史でもっとも少ない人数です。
しかも勝ち抜き戦ではなく、ひととおり遊んだあとに参加者の投票で誰が一番強いかを決める方式でした。選ばれたのはジョニー・モスで、賞品は銀のカップだったと伝えられます。
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※優勝者に金のブレスレットが贈られる現在の形は1976年からです。
※「1回目は全員が自分に投票した」という語り草は、後世の作り話とされています。
6. 連覇を呼んだ10と2
ドイル・ブランソンは1976年と1977年のメインイベントを連覇しました。参加者は22人と34人という規模でしたが、語り継がれているのは勝ち方のほうです。
両年とも最後の勝負で手元にあった2枚は10と2で、どちらも劣勢の場面からフルハウスに化けての逆転でした。以来、この組み合わせは彼の名をとって「ドイル・ブランソン」と呼ばれています。
※本人は1978年に戦術書を出版し、手の内を明かしたせいで損をしたと語っています。
7. 86ドルから頂点に立つ
2003年、経理の仕事をしていたクリス・マネーメーカーが、86ドルのオンライン予選から勝ち上がってメインイベントを制し、賞金250万ドルを手にしました。お金を作る人という響きの名前が本名だったことも、話題を大きくします。
この年839人だった参加者は翌2004年に2,576人へと3倍にふくらみ、この広がりは「マネーメーカー効果」と呼ばれています。
※参加者はその後も増え続け、2024年には10,112人と歴代最多になりました。
8. 日本人初のブレスレット
木原直哉さんは東京大学を卒業したプロのポーカープレイヤーで、2012年にWSOPで日本人として初めて優勝しました。さらに話題になったのが2026年6月で、初日に残りチップ1枚まで追い込まれながら逆転し、14年ぶり2本目のブレスレットを獲得します。
その3日後には別の種目でも勝ち、3本目を手にしました。賞金はそれぞれ約43万ドルと約30万ドルでした。
意外な人物と科学の視点
ポーカーに関わってきたのは、卓に着く人だけではありません。政治家や発明家、そして研究者の話をご紹介します。
9. 勝ち金が選挙費用になった
のちにアメリカ大統領となるリチャード・ニクソンは、第二次世界大戦中の海軍勤務のあいだにポーカーで腕を上げ、およそ6,800〜8,000ドルを稼いだと伝えられます。彼はこの勝ち金を、1946年の下院議員選挙の資金に充てました。
伝記によれば選挙費用全体の約2割にあたる額です。当時の8,000ドルは今の価値でおよそ11万ドル、1,000万円を超えるとされます。
10. 手札が見える中継の発明
テレビ中継で選手の手札が見えるのは、卓に埋め込まれた「ホールカードカメラ」のおかげです。考案したヘンリー・オレンスタインはポーランド生まれで、両親を殺害されたホロコーストの生還者でした。
戦後は渡米して玩具業界に入り、トランスフォーマーをアメリカへ広げた立役者にもなります。特許の取得は1995年、テレビでの初使用は1999年のイギリスの番組でした。
※これによってポーカー中継は、見ても分からない競技から見て面白い競技に変わったと言われます。
※本人も1996年にWSOPで優勝し、2021年に98歳で亡くなりました。
11. 表情より腕に出る自信
ポーカーは顔色を読む勝負だと思われがちですが、2013年に発表された実験は少し違う結果を示しました。プロがチップを賭ける約2秒の映像を学生78人に見せたところ、顔だけを見た場合の正答率は偶然を下回り、腕の動きだけを見た場合がもっともよく手札の強さを言い当てたのです。
自信があると腕の動きがなめらかになるためと説明されています。
※実験の方法には批判もあり、結論が定まったわけではありません。
出典:アメリカの研究チーム(Psychological Science・2013年)
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12. 6人対戦を制したAI
2019年、カーネギーメロン大学とFacebookの研究チームが開発したAI「Pluribus」が、6人制のテキサスホールデムでプロ15人と対戦し、勝ち越しました。相手の手札が見えない不完全情報のゲームで、しかも多人数の卓はAIにとって難問とされてきた分野です。
学習にかかった計算費用はクラウド換算でおよそ144ドル、対戦時も市販のパソコン程度の性能で動いたと報告されています。
出典:カーネギーメロン大学などの研究チーム(Science・2019年)
まとめ
20枚の札で遊ばれていた時代から、AIがプロに勝ち越す現在まで、ポーカーは形を変えながら続いてきました。
役の強さが出現する数の少なさで決まっているという話は、ルールの裏側に理屈があると分かって気持ちのよい発見です。一方でデッドマンズハンドのように、語り継がれるうちに形が整っていった逸話もあります。
調べていて面白かったのは、確かな記録と怪しい語り草が同じ卓の上に並んでいることでした。次にトランプを手にしたとき、どれかひとつ思い出してもらえたら嬉しいです。